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2007年1月 4日 (木)

恋文の書き方

何かを伝えるために書く、という行為の原点は「恋文」ではないかと思う。書かずにいられない情熱を抑えつつ、ちょっと距離を置いて、読み手の側にも立ってみる。大人の恋文なら、そんな配慮が必要だ。

 自分を後回しにしてみて、先に相手の好みや考え方に思いを巡らせる。便箋とカードなど、どんな形がその人に向くか思案する。季節感や呼びかけ文に、相手が喜びそうな題材を探す。その人の心に響きそうな表現を、いくつも挙げてみる。しゃれた言葉も使いたいが、相手が知らない言葉だったら印象は悪くなる。それに、こちらの思いを押しつけないように注意をして……。そうしてつづった恋文に、書き手の個性が反映されて、魅力的で、励まされるなどよい面が感じられれば、それは読み手の心に響くに違いない。

 日刊工業新聞のような実利的な新聞記事は、通常、それとはまったく異なる書き方をしているようにみえる。意識するのは「おもしろいか」「役に立つか」。ハードルの高さは、恋文とは比較にならないほど。ひと目見て、「へえ〜」とも「これは使えそう」とも思えなければ、最後まで読んでもらうことさえかなわない。

 でも実は、07年には記者17年目となる私だって、あまりえらそうなことはいえない。「この原稿、何をいっているか分からないよ」。こんなデスクからの問い合わせ電話がいまだに時々、かかってくる。今、文字にしている文章だって、果たしてうまく読み手に通じているのだろうか? 
 
 読み手の立場になって書くということは、恋文にも記事にも共通して難しく、忘れがちの、そしてとても大切なことだ。それに、書くことは、書き手の思考も文章力もさらけ出すから、読み手のことを想像すると常に恥ずかしさがつきまとう。文章が拙くて誤解が生じることだってある。でも、読み手のことを想って、時間をかけて材料を集め、悩んで執筆したことは、多くの場合、文面から見て取れる。それが、文章という名のコミュニケーションだ。だから私たちは懲りずに、またペンやキーボードに手を伸ばすのだ。「伝えたい」その思いがある限り。

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