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2007年3月

2007年3月30日 (金)

講演と記事の力の入れ方

あるテーマ(産学連携以外)で頼まれた講演をして、自分で考えた分としてはまあちゃんとできたつもり、でした。それで、聞きにきてくれていた同業他社の人と、弊社支社の記者に感想を聞いてみました。そうしたら、思っていた以上に出来が悪かったみたいで…。ご指摘の一つは、パワーポイントがよくない(枚数が少ない、見栄えがしない)ことでした。

もちろん、上手にできている、とは思ってはいませんでした。言い訳をいたしますと、「我々記者は取材・執筆が本業で、そっちの仕事の方はとても大変。だから、それを題材にした講演は、少々ヘタでも許してもらえない?」みたいな気持ちがあって…。取材は、世の中に出ていない新しい話を取ってきて、「どう! こんな話、聞いたことないでしょう!」って見せるものなので、それに対する自負が強いのです。ですから、「いくら講演で美しいグラフを出したって、そんなの経産省のHPに出ていて、だれでも入手できる資料じゃない?」と軽んじてしまう傾向があります。それに、講演を頼まれることは頻繁にはないので、おもしろいと思われる最新の取材事例を盛り込んでも、二度と使えない資料になってしまう。同僚も、「懇談(講演より軽い席)なら、記事コピーを配布して、取材裏話をして終わり」っていっていたし。…でもね、傲慢ですよね。はい。反省です。

最近、「ものすごくたくさんの記事を書いているね」といわれるのですが、それは、署名記事になる記事(インタビューなど)が多くて、目立っているためなのです。担当になった駆け出し記者だと、自信がないから署名入りの企画記事は避けていたはずです。で、ちょっと自信が出てくると、署名記事はうれしくて、名前が出るとなると記事に対する手のかけ方が1ランク、上がっちゃいます。なのに、講演みたいに名前が出るうえに、記事以上にその人となりが分かる場で、こんな失礼なことをしていてはおかしいですよね。大勢の方(聴講者)を拘束している、という記事とは違う条件でもありますし。そうですね、余力がないなら講演依頼を断る。受けるならちゃんとしたものを出す。記事と同じ心構えでいくことにします。

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2007年3月27日 (火)

職業人としての「I&We」

日経グループが発売した女性誌「日経EW」を買いました。EWはエグゼクティブウーマンを指し、係長から役員までの管理職女性が読者ターゲットなのだとか。編集長巻頭言であったのは、「視線はいつも、IではなくWe」というものでした。でも、それって違う、と私は思いました。女性の管理職を支援する雑誌だからそういったのでしょうけど、今の時代に持つべき視点は、すべての人において「I&We」(&は、そして、と読む)ではないかしらん、と思うのです。

伝統的な日本社会では、会社組織の男性は組織内一員としての「We」の意識が強かったですよね。だけど、今は一流企業だってどこでつぶれるか分からないし、転職だって大いにあり。組織外とのつながりを公私ともに持っていないと、変化に対応できません。そして、外で評価されるためには「I」が、個人としてどんな力量を持ち、個性的な考えを持っているかが、問われてくるのだと思います。

一方、女性は数も少なくて、長く仕事を続けている人は専門職のことが多い。組織内の派閥や飲みネットワークに入れてもらえなかった女性には、ゼネラルな仕事で昇進するチャンスがなかったためでしょう。孤立しながら「I」のプライドでがんばってきた女性が、上の世代には多いと感じます。でも、それだと数が増えてきた若い女性には「付いて行けない」って思われがちで。先輩女性として後輩をみたり、管理職として組織内のことを考えたり、子育てで会社を辞めたてもいずれ復活するために社外ネットワークを確立したり、「We」の感覚が必要かな、と感じます。

男性も女性も、ライフスタイルも価値観も多様化している時代です。「自分は自分」という意識と、だけど「自己満足だけではなく、組織内外に、そして社会にプラスになる仕事を」という意識のバランスを、大切にしたいと思うのです。

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2007年3月23日 (金)

私立大広報さんは力量に差が

R大学の広報さんが小ネタを持って来訪してくれました。会見で名刺交換していた程度だったのですが、話題の多い大学なので、少し親しくなれてうれしかった。で、ご持参のネタについて発表と掲載を尋ねると、「一般紙と地方紙でこんな感じの取り上げ方(テーマとか、紙面での大きさとか)でした」と説明してくれて。発表はなし、とのこと。記事の雰囲気を具体的に説明してくれるのは記者にとってはありがたく、広報として優秀なんだな、と思いました。企業の広報だと、他紙で取り上げられていることを上手に隠して、日刊工業新聞にも大きく書かせてしまおうという?悪党?もいて、後で気づいても嘘はいっていない以上、こちらは抗議できない、ということがあります。また、企業が不祥事を起こして、社会部記者の攻撃を防ぐ防衛戦となった場合も、はぐらかしのうまい悪党広報が頼りにされるでしょう。だけどまあ、大学の広報はそこまで要求されませんよね。

 他のネタを抱えていたので執筆を少し遅らせました。そうしたら「今日、○記者クラブにリリースしました」とリリース文がファックスされてきたではありませんか。オヨヨ。急ぎ出稿に切り替え、リリースよりは書き込んだ記事にしたけれど、紙面での大きさは一回り小さくなっちゃう。まあ、これくらいのネタなら、いいか。リリース予定を聞かなかったのが、私の失敗だったなあ。…広報は、数日後のリリースを予定しながら、わざと私に伏せたのかな? 「リリースの予定があります」といい忘れただけ、だと思うけれど…。

 私の担当では、大学知財本部など実務で面識のある人には直接、アポして取材にいきます。教員の技術成果を取材する部の仲間も、そうです。でも、どこに取材にいったらいいか不明の時や、役員が相手の場合は、大学の広報部・課に取材を申し込みます。国立大は元国家公務員2種の事務職員という雰囲気がどこも似ているのに対し、私立大はしっかりしたところと、できの悪いところと二部される気がします。

 例えばW大は、広報のどの人に頼んでもアポ取りや問い合わせの対応が早くて、安心感があります。S大は組織ではなく特定個人が優れていて、ひところはよく取材にいったけど、移動があって普通の人に変わったのでほとんど不通になってしまった。特定個人による、というのは記者の方でも同じなのですけれどね。T1(東京など、Tがつく大学は多いので、ティーワンとします)大はPR会社も活用していて融通性が高いため、文科省の事業採択一覧リストを前に「どの案件を取材しようかな〜」という時には、ついT1大に注目しちゃいます。
 そうそう、4月にアポをとってもらっているT2(ティーツーです)大の広報にはちょっと苦い思い出が。創立○周年というのに合わせて、理事長取材をしたのですよ。そこで出たけれど詳細が分からなかった案件について、広報に資料を出してもらってニュースを仕上げ、その後に理事長インタビューも掲載しました。そして後に開かれた○周年記念パーティへ参加しました。理事長のそばにに寄っていって「開会冒頭のごあいさつに出ました×の件は、先日のインタビュー記事でも取り上げさせていただきまして」とあいさつしたら、「僕、それ読んでないんだよね」。マジ? ひどすぎませんか、それ。「理事長室で日刊工業を購読して毎日、目を通して」とはいいません。だけど、取材を調整した人の話が記事になった時くらいはそれを本人にお知らせしてくださいよね。広報さん、頼みますよっ!

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2007年3月16日 (金)

独自記事の幸せ

最近、昔の記事をチェックする必要があって、大学・産学連携の取材を始めた00年度(当初は、環境・エネルギーの技術とTLO担当)から、A4・14冊にわたる自分の記事のスクラップノートをめくりました。だいたい半年で1冊。独自記事(オリジナル)が8〜9割を占めていて、それらは本当に【私の記事】。かわいいものです。その後に大きく育っていった案件など、うれしいですよ。日本の大学・産学連携の動きをきちんと追い、ある場合には先導もしている、と実感できますから。専門記者の醍醐味です。反面、発表もの(大きいものは記者会見、小さなものはリリース資料のみ)は記憶に薄い。なるべく他紙と違う視点を、と意識しますが、極端にいえば、どの記者でも書けるものですから、思い入れが生じないのです。

もっとも、日刊工業新聞のメーンである業界担当記者はたいへんです。弊紙のウリである自動車をはじめ、エレクトロニクス、情報・通信などの記者は、ものすごく忙しい。読者が求めている以上、大量の発表ものを手際よく書かねばならない。でもそれで疲れていては始まらない。他紙との差別化にはなっていないから。オリジナル記事でどんなものが書けるか、が問われるのです。

それを考えると、私の担当はなんと幸せなことか。発表は多くないから、オリジナルメーンで取材計画が立てられ、週2回の掲載ですから準備もしておけます。ふた月に一度ほど、自分の記事をスクラップする時はとてもハッピー。「今回もよく仕事をしたんな〜」と、オリジナル記事の大きさや見出しの体裁を確認しながら愛でます。もっとも、将来のメディアはネットがメーンになることは間違いないですよね。伝統あるビジネス雑誌の「日経バイオテク」は、ネットのみで印刷物がなくなったのだと聞きました。ニュースの内容(コンテンツ)が第一なのはもちろんです。でも、やっぱり切り抜ける記事の体裁がないと寂しいかも、と思いつつ、鋏を動かし、糊を付けるのです。

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2007年3月13日 (火)

社内人事と私の文章の欠点

年間最大の関心事ともいえる【社内人事】の内示(4月発令)がありました。うちの科学技術部では、デスクが交替し、私の同期の男性が新デスクに。それに欠員だった文科省詰め(3席のうち1席があいていた)には、少し年長の先輩男性が入ります。どちらもこれまでも接触があって、「性格的に合う相手だな」と思っていたので歓迎です。これからも快適に取材・執筆に取り組めそうです。

その日、4年近く見てもらったデスクらと飲みにいって、私の文章に対する最後のアドバイスをいただきました。それは、私の記事は、「取材対象にたいする思い入れが過度に入ったものが時々、見受けられる。もっと淡々と、すっきりと書くべき」というものでした。ニュース記事の場合は、変な形容詞が踊るとみっともない、読み手がしらけてしまう、というのです。

これって、別なところでもいわれました。以前、純文学の小説家を目指して、勉強していた時期がありました。。その時、「悲しい、寂しい、と書くな。悲しみを感じさせる描写の文章でそれを示せ」としつこくいわれました。第三者の目で客観的にニュースを報道する、著者よがりではなく読者の心に響く小説を書く、そのためにはそういう形が必要なのですね。

一方、読み物記事は【思い】というか、取材先に共感した点だとか、「当事者はこういっているけれど、それはおかしいのでは」という批判とか、盛り込むべきだと思います。実は、ちょっと後悔しているのが、この半年、大量に読み物記事やインタビューを執筆してきた内閣府・イノベーション25の件です。おもしろい! と思った点はしつこく書いてよくやったと思うけれど、批判的な視点がまったく盛り込めなかったのです。注文を付けるべきところで筆を曲げた、というわけではないのですが、要するに私が未熟だったのでしょう…。ちょうどイノベーション25の中間報告が出て一区切りしたところ。内閣府の仕事は新しい担当者をメーンにし、私はサブに回ることになるかな、と考えています。その分、本来の大学・産学連携の記事については、ニュースでも、読み物でも、もう一段、レベルの高い記事を書いていかなくては、と思っています。

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2007年3月 8日 (木)

日刊工業のインターンシップで成長した大学院生

東京工業大学の科学技術コミュニケーションの授業に合わせ、インターンシップ生を昨年秋などに指導しました。先日、報告会に出席して、その修士1年の彼(マスコミに就職希望)の成長ぶりにびっくりしました。もちろん、私が担当者になって日刊工業新聞で指導したのは3週間にすぎず、彼はそのほか高校生相手のイベント(重力に逆らってペットボトルロケットを飛ばす)で、「重力くん」の着ぐるみを1日、着ていたというし、いろいろな経験で変わったのでしょう。けれど、これまで社内の後輩指導は、機会があれば同席取材に誘って、その後に解説をする程度しかしてこなかった私としては、成長を実感して感激した初ケースでした。

彼の報告でよかったのは、「何を学んだか」を具体的事例で説明していたことです。バイオ担当の記者(うちの部の中堅)と一緒にJSTの会見(研究成果)に出席して、自分で書いた記事はどう記者に直されたか、というケースは、基礎的な研究成果だったから、とくにプロ記者との差が強く出て、 

1)表現の厳密さより、分かりやすさを重視して書く
2)読者の視点に立つ。何に役立つのか、今までとどう違うのか、読者の生活にどう影響するのか、を書く 

というポイントを皆に説明しました。それから、「自分の専門外の記事は直しが少なく、専門に近い記事がもっとも直された。それは専門家寄りの立ち場で書いてしまったためだ」と実感した話もよかったですね。

報告会では、インターンシップ約10件の発表に対し、活動内容や発表手法などひっくるめて「どれがおもしろかったか」を参加者30人ほどで投票しました。それで、彼の発表が圧倒的多数でトップになったのです。実は、他機関は数日という指導も少なくなく、3週間、ほとんどフルで指導した日刊工業新聞としてはうれしかったですね〜。このことは協力してくれたうちの科学技術部の部員にも上司にも伝えるつもりです。

それから、ゆっくり考えながら話すタイプ、という彼の印象も大きく変わって。私は懇親会に出られなかったので休み時間に声をかけたのですが、持ち出した3件の話にぱぱっと答えてきたのでびっくりです。発表は全体的に「インターンシップ先の社会人の活動を見てきました」みたいなのが多かったため、副学長が「皆さんは物見遊山に行ってきたのかね」と厳しい質問をしたのに、彼はものおじせずに自分なりの意見を返していました。ま、この副学長は教育的見地から、わざときつい言い方をしたのでしょう。別の副学長は満足度が高くて、「こういう分野は東工大になかったところだから、どんどんやってほしい」という感想だったとか。

ただし、私から彼に後で注文したのが一点あり。原稿を先輩記者に「直された」「修正された」というべきところを、「訂正された」と表現したことです。我々からすると、「訂正」は、社名間違いなどの大ミスを発生させて、翌日に「訂正記事」を出し、社内的には始末書も書くという、それはそれは恐ろしい言葉なのです。私も…2、3年に1回、やってしまう。それを10分の発表の間に何度も口にされて、精神衛生上、ぐったりしてしまった。ということで、最後にそれだけ彼に「修正」してきたのでした。

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2007年3月 6日 (火)

取材のつもりでなかったのにネタが3件

文部科学省が06年度にスタートした「キャリア多様化・若手研究者活躍プラン事業」で、採択校の地方国立A大学に、事業の評価委員会委員に選んで頂いて先週末、出かけてきました。知財本部の関係でおつきあいのあるB先生が、この事業にもかかわっていて、お声をかけてくれたのです。A大学は日刊工業新聞の地元支社の記者がわりとよくカバーしてくれているので、私から「文科省の資料でこんなのがあるけれど、ネタだと思うから取材してみて」と頼むことが多い。時々、B先生などの上京時に私も取材をする、という具合で、直接、出向くのは初めてでした。

 その日はまず、その支社の記者とランチ。支社・支局からのネタは、日刊工業新聞の「東日本」「西日本」など地方ものを収容する面にひっぱられがちなのです。取材・執筆者に「これは大学面で」といって出稿してもらいたいので、「よろしくね」とPRしてきたのでした。そして、A大学には委員会開始の15分前着で調整していたのですが、階段で見かけた顔を見つけてつい声を…。付き合いの古いTLOの方でした。「広報に紹介するから、ぜひ」と連れて行かれ、名刺交換。委員会にぎりぎり到着というのは、生意気そうだから避けたかったのだけどなあ。でも、大学の広報とつながりができるのは悪くない。簡単な問い合わせはどんな大学職員でも対応してくれるけれど、急ぎの確認で無理を言うときなど、面識があるある方がやりやすいから、ね。

 評価委員会で、07年度の計画について聞いたとき。私からの質問は「おもしろいアイデアだと思いますが、地元中小企業の反応はどうですか」。実は、中小企業はこの話には乗ってこないだろう、と思ったから。そうしたら、当事者の企業人(事業の推進委員会委員)が、期待しているとの答え。へーっ。やっぱり、先入観で判断するものではないですね。で、これってネタじゃん。後の懇親会の席で、教育担当副学長に確認すると「いやあ、こんな席で取材なんて、さすがの記者根性ですね」といわれ、ちょっと得意。でもね、敵もさるもので…。

 B先生が「知財本部の最近の話も、後で聞いてください」といってはいたんです。でも、飲み会の席だから。初対面のCさんが向かい側から資料を渡してくれた時も、
「ご参考」という程度だと思ったんです。でも、話が長い。「この話、他マスコミで紹介されています?」「いえ、されていません」。…ネタだわ。了解です、B先生。

 さらに、そのうしろで初めて見る顔がちらちら、こっちを見ている。飲むでもなく、話すでもなく。果たして、CさんからそのDさんに交替。額に玉の汗をかきながら説明してくれる。もちろん、新規の話で、ネタです。B先生いわく、「いやあ、若い人にもよいチャンスだと思ったんです」。さすが、B先生若手育成の意識はあちこちで発揮されていますね。

今回のA大学行きは、取材時間をとっていなかったことから、会社の出張でなくて個人の活動という形にしたのですが、なんたることでしょう。まあ、よい意味での公私混同というところですか。来年度の委員会の時には、取材時間をちゃんと確保しておきますからね、B先生。

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2007年3月 1日 (木)

「発表する予定」といわれても諦めない

取材していて「ニュース記事として書けるかな」と思った時に、最初に気になるのは、「他マスコミにもう出ているのでは」ということです。一つ前のブログで書いた通りです。でも、そのハードルをクリアしてもまだ安心はできません。「発表を予定している」と相手が言うことがあるからです。

すでに内容を聞いてしまっている時は、なんとか先に書かせてもらうよう交渉しますが、内容を話してくれる前に「発表まで話せないから」といわれると辛い。連携先とか他の教員とかで、話が聞けそうなら後にそれを試みますが、ツテがその相手しかない場合はアウト。諦めます。

ところが、それでも「諦めずに、どう予定しているかを聞くべし」と思うことが、最近、何回かありました。1つのパターンは、秋〜年末の取材でそういわれて、「いつごろ発表ですか」と聞いたら、「正式には新年度から走り出すので、3月かな」という返事だったもの。「それなら今の段階での状況を記事にしても、構いませんね」。半年もたてば内容はそれなりに変わってくる。だから、他紙が「日刊に載っているのに、会見するなんておかしいじゃないか」と怒ることはないでしょう。半年も前の話だから、それが分かる一般紙記者はほとんどいないでしょうし。それから、なるほどと思ったのは、「発表するまで公式の取材では話せないけれど、学内報でここまで出ちゃっているから…」というもの。学内報メーンに書かせて頂きました。

それから、私の質問に対して「来月に予定している」といっていたのに、その後、会見案内がないというケースも。問い合わせてみると、連携先企業との調整が付かず、ペンディング中とのこと。当然、「ぜひ、うち単独での掲載をご検討くださいね」と再プッシュです。そのうち手続きがトラブって、関係者の間で「もう発表は無理ですね」となることを祈りつつ。そういえばこの件は、それからさらに1カ月たっている。もう一度、連絡してみようっと。

こういう取材ノウハウをブログで公開するのは、「コンペティターの他紙記者が参考にしてはおもしろくないなあ」とちょっと考えました。でも、今読んでいてくれる皆様は、私の取材先だということが多いですよね。コンペティターはまあ…、実際には読んでいないでしょう。だから、「発表をしたい、と皆様の上司がいっても、その意向をくんだうえで、日刊工業で先に大きく掲載するということが可能ですよ」とここでお伝えしているつもりなのです。「じゃ、一般紙に先に書いてもらって…」と考えちゃだめですよ。相手はうち、ということで、よろしく!

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