記事のネット化と新聞人の気持ち
新聞各紙の過去の記事を見るデータベース(DB)を、最近、,数種類いじりました。普段は主要な新聞を読んで切り取るので間に合っているのですが、キーワードで一斉に探せる簡単さはもちろん、圧倒的で、それを使う必要性が出てきたのです。改めて驚いたのは、「どの記事も同じような顔をしている」ということでした。記事の見出し、本文とも、基本的には(値段の高いPDF出力をしない限りは)横書きの、ずらずらっと並んだ文章で出てくる。「A紙一面」などの情報が別欄に出てくるものの、基本的には一面トップもベタ(一段の見出しに続いてそのまま本文が、べたっと付いているもっとも小さい記事)も変わらない。苦労の末、一面トップで、かっこいい見出しでバーン! と載ったはずの記事は、どこへいっちゃったの? って感じ。
DBでもキーワード一律検索だけじゃなくて、「より読まれている順」「より価値が高いと読み手が思った順」ではっきりと出てくるのなら、いいかもしれないなあ。閲覧数のカウントも、読み手の採点も、ネットだから当然、簡単に計算できるでしょうし。そうすると、ニュースの価値が客観的に示されることになりますね。通常は記事の大きさとかレイアウトは、新聞社のデスクや整理部が手がけています。それって社会が、新聞メディアの知性とか、社会性とか庶民性とか(実は相反するものもあるけど)ひっくるめて信頼して、新聞社に任せることで、成り立っているものです。でも、本当のところは怪しい。「もっと大きく扱われていいはず」と怒る執筆者(記者)や、「A大学の記事はあんなだったのに、我々の記事はどうしてこんなに小さいの」と思う取材された方は、釈然としないですもんね。だから、より客観データが取れるのはいいかもいsれません。
ネットによる大変化は、新聞関係者のだれもが気にしていますが、他業界(出版とか流通とか)と同じく、予想以上の変化に驚きつつも、新たな収入を十分に確立する(つまり新聞社の社員全員に給与が払えるだけの)ビジネスモデルが描けていない、というところではないでしょうか。大事なのは情報というコンテンツであり、その内容の価値創造については、新聞社・新聞記者の長年のノウハウがかなり強いと自負している。でも、記事をDB会社に売っている(日刊工業も含め、どの社もそう)一方で、新聞発行ストップに踏み出す社はまだ、ないわけで。今、定年退職を迎えつつある団塊世代の先輩方は「俺たちはセーフだな」といっているけれど、新入社員あたりは、ねえ。どうなっているのでしょう。私たちの世代は微妙なところかな。「山本さんの記事は、ネット閲覧数がこれだけしかないからねえ。客観的評価ですよ、これは。じゃ、給与は5割カットで」といわれるようになるとか…。むむむ、極端に悲観的な例えになってしまった。なんでもそうだけれど、社会の変化の先端にいなくてもいいけれど、なんとか自分らしく生きていけるだけの柔軟性を、身につけることにいたしましょう。
DBでもキーワード一律検索だけじゃなくて、「より読まれている順」「より価値が高いと読み手が思った順」ではっきりと出てくるのなら、いいかもしれないなあ。閲覧数のカウントも、読み手の採点も、ネットだから当然、簡単に計算できるでしょうし。そうすると、ニュースの価値が客観的に示されることになりますね。通常は記事の大きさとかレイアウトは、新聞社のデスクや整理部が手がけています。それって社会が、新聞メディアの知性とか、社会性とか庶民性とか(実は相反するものもあるけど)ひっくるめて信頼して、新聞社に任せることで、成り立っているものです。でも、本当のところは怪しい。「もっと大きく扱われていいはず」と怒る執筆者(記者)や、「A大学の記事はあんなだったのに、我々の記事はどうしてこんなに小さいの」と思う取材された方は、釈然としないですもんね。だから、より客観データが取れるのはいいかもいsれません。
ネットによる大変化は、新聞関係者のだれもが気にしていますが、他業界(出版とか流通とか)と同じく、予想以上の変化に驚きつつも、新たな収入を十分に確立する(つまり新聞社の社員全員に給与が払えるだけの)ビジネスモデルが描けていない、というところではないでしょうか。大事なのは情報というコンテンツであり、その内容の価値創造については、新聞社・新聞記者の長年のノウハウがかなり強いと自負している。でも、記事をDB会社に売っている(日刊工業も含め、どの社もそう)一方で、新聞発行ストップに踏み出す社はまだ、ないわけで。今、定年退職を迎えつつある団塊世代の先輩方は「俺たちはセーフだな」といっているけれど、新入社員あたりは、ねえ。どうなっているのでしょう。私たちの世代は微妙なところかな。「山本さんの記事は、ネット閲覧数がこれだけしかないからねえ。客観的評価ですよ、これは。じゃ、給与は5割カットで」といわれるようになるとか…。むむむ、極端に悲観的な例えになってしまった。なんでもそうだけれど、社会の変化の先端にいなくてもいいけれど、なんとか自分らしく生きていけるだけの柔軟性を、身につけることにいたしましょう。
| 固定リンク | 0
コメント