フレッシャーズ女性は男性より優秀か
フレッシャーズや若手では「女性の方が男性より優秀で、元気がある」ってよくいわれます。私も最近、若い人との交流が増えて、そうかなと思うことがあります。例えば女性は比較的、語学が得意で海外にもどんどん出ていて、となると度胸があって機転も利く、という傾向です。でも、「女性の方が」という発言者が、男性の場合、「フェミニストぶるために(半分無意識、半分意識して)そういってる面もあるのかな」とちょっと、警戒します。だって、男性の大学院生や若手社会人にも、いうまでもなく優秀な人がいるわけですから。
一つ思うのは、私が関わっている分野(記者、理工系、産学官連携)では、その場に女性が少ないため、結果として優秀な女性が多くなる、という現象があるのかも、とうことです。つまり「男性は100人いて、能力的にも1番から100番までそろっている。でも女性は10人で、入試や採用を通ってきた以上、1番から10番しかいない」みたいな。たぶん、短大保育科・幼稚園とか看護学校(っていうのかな?)・介護施設とか、女性が多い社会では「女性は男性よりできる」といわないのではないかしらん。
それから、年代が上がるにつれ、「女性の方ができる」とはいわれなくなる。つまり、出世競争といったら変ですが、社会的に活躍度が広げられる人の選抜が進むと、男性が100人中上位10人に絞られてくる。その時、合わせて10人しかいなかった女性は、体力や家庭の事情、リーダーシップ教育のチャンスなどで、男性に比べて弱みが多いため、早々にゼロになってしまう。「女性の数を増やさないと」とよく言われるのは、そのためでしょう。
ただし、そんな中でも生き残ってきた女性の場合、フレッシャーズ時代よりさらに目立つのもあって、本当に強力〜。今、企業役員や官庁審議官クラス、県知事などになっている女性たちを見ると、「女性は差別されているなんて、もはや口にできないよね〜」と思ってしまいます。もちろん「才能と努力に加えて、それを生かす環境やチャンス(官庁はこれが平等なのは確か)など、すべてを捕らえられた人だけ」なので、そうでなかった大多数の女性との『格差』の激しさに、くらくらしちゃう。もう一ついうと、そういう立場になった・なれる人にしてみれば、「女性の数が増えたら、目立たなくなって損しちゃう」という面が、あるんじゃないかなあ。
実はこういう話は普段、私はあまりしないのです。だって、「じゃ、本人の能力はどの辺なの」って問われてしまうから。それに仕事のうえで私も、女性ということで得をしている、と思うから。女性として辛かったのは、生理痛が重かった時くらいかな。これはかなりラッキーなこと。でも、能力があっても、環境やチャンスに恵まれない女性も少なくないことを考えると、あまり威張るわけにはいきません。私は残念ながら授からなかったけど、子供を持った女性の場合は、段違いに大変だと思いますし。一方で、記者や研究職は専門職だから、自分がハッピーに生きていく仕事をしていれば、周囲の評価が悪くたって関係ない、とも思う…。けっこう複雑です。
少し前に、女子高生に仕事の話をした(2月末ブログで、「机につっぷして寝られてショック、といった書いた)時、彼女らになんとなく通じたらしいのは、「仕事は収入のためとか、社会貢献とか、いろいろあるけど、とにかく楽しいものだからがんばってみようよ!」ということでした。家庭に入っちゃって仕事のおもしろさを味わえないのは、もったいないよ、というのをにじませて。時には辛いこともあるけれど、嫌な上司や先生だって普通は2、3年でいなくなるんだし、ね。あ、今のうちの上司がそういう対象だっていっているわけではないですよ。ほんと、本当、そうじゃないんですってば〜!
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