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2008年3月18日 (火)

事実であっても、表現は柔らかく

先日、文科省の行政官と、大学の機能分化や個性化について話しました。それで、「この分野は単独でしっかり、だけどこのテーマは地域・大学連携で、そしてその取り組みはうちの大学ではもう手がけない、と選別するのが戦略だ」といわれ、なるほど、地方・小規模大学などで個性を意識するということはそういうことなんだな、と思いました。それで、そんな話を元デスクらとの飲み会の席でしたところ、「んー、山本さんはちょっと、一流大とそうでないところと、差別するところがあるからなあ」といわれちゃいました。「そんなことないですよ! それぞれ役割が違うでしょう、といっているだけですよ。少し前まで、どの大学も『もうミニ東大ではいられない』とかいっちゃって、それまではミニ東大だったの? と驚くくらいの意識で、そういうのは問題なのでは、といっているだけです」と息巻いちゃいました。でも、その後、現デスクにも「この表現じゃ学長、怒るんじゃないの」と地方国立大学長インタビューの原稿でいわれたことがあったのを思い出しました。「だってご本人がそういったんですよ」というも、手直しをしたっけ。うーん、知らず知らず、冷たくしてしまっている面があるのかしらん。

一方、今日お邪魔してきた東京理科大学の専門職大学院、知的財産戦略専攻の取材で、これに関連した感想を持ちました。特許申請をしたけれど、特許庁から拒絶理由通知がきて、つまり「あなたの発明(と思った案件)は同様のものが出願されているので、発明になりません」と分かった時のこと。「知財は人格に直結していて、発明者はものすごくショックを受ける。だから、特許庁の担当者も、間に入った知財担当者も、発明者のショックを和らげるような上手なコミュニケーションをしなくては」と女性教授の弁。授業では、学生に発明(仕事に近い技術の案件のほか、生活アイデア的なものも可として)をさせ、それに対して教授が拒絶理由を書いてみせて、そのショックを体験させているとのことでした。

内容は、「あなたの大学は東大とはまったく違うでしょう」とか「そのアイデアはとっくの昔に、別の人の特許で成立しています」ということであったとしても、きちんと配慮しましょう、ということでしょうか。実は私は昔から、傍若無人のところがなきにしもあらずで…。あ、おびえないでくださいよ。さすがに記者20年近くなるので、取材された側の反応や記事になった場合の周囲の影響を考える姿勢は身に付いている、だけど時にはうっかり…という具合でしょうか。ですから、取材先の皆様、気に障った場合などぜひ、その後に申告していただけませんか。その場合は「山本さんのあの記事、まったくひどかったよ」とはいわないでください

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