学生を主役とする教育での連携
大学間連携の記者会見が最近、多くてつい「また?」と反応してしまいます。特別に多いのは早稲田大学でしょうか。東京女子医大と大がかりな、先進的な取り組みを今春、始めたのに、同様の医工・健康系での連携を筑波大と発表して、東京農工大と会見して、さらにまた○大と…(取材中、ただし地方紙に先に書かれてしまった)という具合。ただでさえ大きな大学なのに、ねえ。
そんな中で、山椒のようにぴりりとしていて気に入ったのが、東京での会見を受けて20日大学面で掲載した 「山形大と立命館大 授業改善に学生視点 国立・私立の枠越え相互提案」です。いわゆる教育での大学間連携なのですが、単位互換とか、大学院生の研究指導とか、当初、想像していたものとは違っていました。具体的には、今年度から大学の努力義務となった、授業改善活動のファカルティー・デベロップメント(FD)に、学生の意見を反映させるとのこと。学生による授業評価(先生の授業の善し悪しを学生が採点する)はここ数年でかなり浸透してきましたが、学生が10人ずつ連携相手校へ行き数日間、授業を受けて、その評価をするのだとか。なるほど、それは学生にとっても教員にとっても刺激になりますね。「両大学は学生中心主義ということろで共通していて、一方で山形・京都、国立・私立という異質性があることが、この取り組みでは生きてくる」との説明でした。
「学習者である学生を中心に据えた教育」というのは、立命館は明確に打ち出していたテーマで、山形大も文科省前事務次官の結城章夫学長が就任当時から掲げていたそうです。でも、私は最初、その意味がよく分からなくて。今回の会見を通してはじめて、「学生中心主義というのは、学生の立場、視点、メリットを最優先して、大学のあり方を考えるという意味なのか」と知ったのです。ちょっとカルチャーショックでした。それまでは、「学部生の基礎教育や就職支援などに力を入れる中堅大学が、口にする言葉だよね」というくらいの理解でしたから。そう思ってよく取材に行く大規模大学を見ると、なるほど、まったく違う。研究型大学というのは、教員や博士クラスの研究にどうプラスか、という視点で大学をとらえているところなのだ、と実感したのでした。
もう一つ、FDという言葉の説明が会見の中ではなかったこともショックでした。文科省の常駐記者だと、FDという言葉を知っているのがやっとでは、と思っていたし、私だって「FDって、先生同士の授業改善の勉強会じゃないの? なんで学生がからんでくるの?」と不思議に思っていたくらいです。「会見後にこっそり尋ねようか」という迷いを振り捨て(笑)、皆の前で質問したのはそのためです。でも、どうやら会見の出席者は教育専門の記者ばかりで、皆、よく分かっているらしい…。さらに重ねて、ショック(笑)。
でも、それを除くと、発表の手はずといい、資料といい(地元紙では知られていても、東京の我々はよく知らない、特異な教育プログラムの紹介とか)、とてもよくできた会見で感心しました。問い合わせ先にはちゃんと広報の携帯電話が入っていたし(以前のブログでも書きました)。あと…、小さいおみやげもうれしかった。サクランボ(山形の名産)5つほどと、どら焼き(「立命館」と入っている)一つ。あ、これで記事執筆の具合が変わった訳ではないですよ。なくても同じ書き方ですよ。対する大学だって言うはずです、「おみやげによって、記事を大きくしてもらおうと狙ったわけではありません」って。ただ、私はそのことによって、東京でメジャーではない大学の「どうぞよろしく」という気持ちを感じ取ることができたわけです。発表の中身がいいうえに、そういう姿勢が明らかならば、応援してあげたくなるのが人情です。え、もっとすごいおみやげがよかったのでは、って? まあ、企業のパーティとかだとわりとあるんですけど、大学でそんなのが出てきたら皆、ビビっちゃうでしょ。お礼やお願いで活用する、小さなモノやメールの文章というのは、「気持ちを伝える」そのためのものなのですから。
そんな中で、山椒のようにぴりりとしていて気に入ったのが、東京での会見を受けて20日大学面で掲載した 「山形大と立命館大 授業改善に学生視点 国立・私立の枠越え相互提案」です。いわゆる教育での大学間連携なのですが、単位互換とか、大学院生の研究指導とか、当初、想像していたものとは違っていました。具体的には、今年度から大学の努力義務となった、授業改善活動のファカルティー・デベロップメント(FD)に、学生の意見を反映させるとのこと。学生による授業評価(先生の授業の善し悪しを学生が採点する)はここ数年でかなり浸透してきましたが、学生が10人ずつ連携相手校へ行き数日間、授業を受けて、その評価をするのだとか。なるほど、それは学生にとっても教員にとっても刺激になりますね。「両大学は学生中心主義ということろで共通していて、一方で山形・京都、国立・私立という異質性があることが、この取り組みでは生きてくる」との説明でした。
「学習者である学生を中心に据えた教育」というのは、立命館は明確に打ち出していたテーマで、山形大も文科省前事務次官の結城章夫学長が就任当時から掲げていたそうです。でも、私は最初、その意味がよく分からなくて。今回の会見を通してはじめて、「学生中心主義というのは、学生の立場、視点、メリットを最優先して、大学のあり方を考えるという意味なのか」と知ったのです。ちょっとカルチャーショックでした。それまでは、「学部生の基礎教育や就職支援などに力を入れる中堅大学が、口にする言葉だよね」というくらいの理解でしたから。そう思ってよく取材に行く大規模大学を見ると、なるほど、まったく違う。研究型大学というのは、教員や博士クラスの研究にどうプラスか、という視点で大学をとらえているところなのだ、と実感したのでした。
もう一つ、FDという言葉の説明が会見の中ではなかったこともショックでした。文科省の常駐記者だと、FDという言葉を知っているのがやっとでは、と思っていたし、私だって「FDって、先生同士の授業改善の勉強会じゃないの? なんで学生がからんでくるの?」と不思議に思っていたくらいです。「会見後にこっそり尋ねようか」という迷いを振り捨て(笑)、皆の前で質問したのはそのためです。でも、どうやら会見の出席者は教育専門の記者ばかりで、皆、よく分かっているらしい…。さらに重ねて、ショック(笑)。
でも、それを除くと、発表の手はずといい、資料といい(地元紙では知られていても、東京の我々はよく知らない、特異な教育プログラムの紹介とか)、とてもよくできた会見で感心しました。問い合わせ先にはちゃんと広報の携帯電話が入っていたし(以前のブログでも書きました)。あと…、小さいおみやげもうれしかった。サクランボ(山形の名産)5つほどと、どら焼き(「立命館」と入っている)一つ。あ、これで記事執筆の具合が変わった訳ではないですよ。なくても同じ書き方ですよ。対する大学だって言うはずです、「おみやげによって、記事を大きくしてもらおうと狙ったわけではありません」って。ただ、私はそのことによって、東京でメジャーではない大学の「どうぞよろしく」という気持ちを感じ取ることができたわけです。発表の中身がいいうえに、そういう姿勢が明らかならば、応援してあげたくなるのが人情です。え、もっとすごいおみやげがよかったのでは、って? まあ、企業のパーティとかだとわりとあるんですけど、大学でそんなのが出てきたら皆、ビビっちゃうでしょ。お礼やお願いで活用する、小さなモノやメールの文章というのは、「気持ちを伝える」そのためのものなのですから。
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