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2009年5月

2009年5月21日 (木)

「理研スパコンからNECが撤退」で一日が過ぎる

14(木)科学技術面で「次世代スパコン開発 NEC・日立が離脱 理研が大幅設計見直しへ 10年度稼働『黄信号』」を載せました。この件で13(水)は、文科省記者クラブ幹事としても、大わらわだったのです。この日は弊社のクラブ在籍4人のうち、私が「一日中、電話番も含めて文科省にへばりついている担当日」だったのです。まず10時半ころ、2、3の資料配付申し込み電話を簡単に受け付けていたところ、理研の人が「まもなくご説明、お願いします」と来る。何、何?? 直後、同僚から電話。「今日の理研の件、お願いします。携帯電話にメールしました」。慌てて携帯をみると、その同僚から、この「理研のスパコン開発からNECが離脱」の話で連絡があったので、資料を貼りだして、発表予定を知らせてください、と入っているじゃないですか。およよ。周囲がにぎやかな通勤途中に入ったメールで、気づかなかったんだ。

皆が集まるスペースに出て、読売新聞が抜いたニュースだと判明。11時からの会見と決めるも、「30分もないのにそんな設定して、クラブの各社が、急すぎるって怒るのでは」と思いつつ、「担当者が今、こちらに向かっています」とアナウンスしたら、「担当者が来次第にしてくれ、なるべく早く始めてほしい」との反応。そうか、一般紙は夕刊締め切りが昼過ぎにあるから、急いでいるんだ。弊紙は夕刊がないけれど。で、11時の8分ほど前に担当者が着、「会見始めます」とアナウンスすると、どどどと各社が会見室へ入ってくる。「え、11時からじゃないの」という社があり、「もう読売に出ているんだから、(会見時間を設定しての)しばりも何もない、早く早く」という記者がいて、「これは(ネタ元とはまた別の、理研の会見だから)新しい形であって、そうではないんだけどな」という声も聞こえ…。ここで30分ほどで、いったん会見を終えるも、その後、数社がさらに話を聞いていて、20分ほど続いたようでした。

私は弊社のデスクと、NECのコメントが取れるというエレ担当編集とやりとり。執筆へ。NECと組んでいた日立に確認の電話。そのうち、3時20分から、文科省内の担当課の会見が入ることになりました。夕刊向けの原稿は終わったから、少しは軽く(簡単に)なるかと思いきや、4時まで質問がとぎれない。実は元々、JSTの技術モノ成果の会見が4時から予定されていて、どこで区切るか、幹事として司会をする私は気が気じゃなくて。ようやく、ジャストに終えて「あとは個別にお願いします」と結ぶ。

ところが、そのまま全社が会見室の隣のソファー席に移動して、担当者を囲んで人だかり(個別じゃなくなっている…)。JST側と発表する大学教授には待ってもらうことにして。「いいですよ、我々も発表の準備がありますから」とスクリーンなどを動かしていてくれたのですが、ソファー席はいっこうに収まらない。4時半、「そろそろ…」とJSTにもいわれ、「次のレクを始めます」と声をかけると、ああよかった、ようやくソファ席から人が離れ、一部は会見室へ、一部は各社のブースへとちらばって。次のレクの内容は、やや分かりにくかったけど、解禁指定は幸いにして数日後。幹事からの質問のあと2、3の質問が出て、なんとか終えられました。

幹事としてこんな形でばたばたするのは、初めての経験でした。その幹事業務は昨日で無事、終了。新型インフルエンザも、弊社のバイオ担当は土日出勤が続いたようですが、幹事としては怖れていたほどではなく、幸いでした。文科省クラブの皆さん、いつもコウモリの私を冷たい目で見ずに、サポートしていただき、ありがとうございました。これを機に、コウモリであってもコウモリなりに、今後ともよろしくお願いいたします。

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2009年5月 8日 (金)

コウモリ、大臣・次官会見を仕切る

…タイトルの通りです。文部科学記者会にて、日刊工業新聞の幹事業務がまわってきて、文科省の塩谷大臣と銭谷事務次官の会見(合計週3回)をしばらく仕切ることになりました。文科省クラブは大きく分けて、文化・教育・スポーツ・芸術などの文教と、科学技術の2つの内容があり、各社の記者も社会部と科学部の両方が在籍しています。一般紙は文教の初等中等教育がメーンだけど、日刊工業は扱うのがほとんど科技ネタです。去年は一般紙が文教でうちは科技という分け方をしていたのですが、今年はそうはいかなくなってしまいまして。「私は科技メーンじゃないし~、文教といっても大学だけだも~ん」といつも逃げているコウモリの私が、文教側の会見の進行をすることになってしまいました。

本日は国会衆議院の議員食堂を使っての朝8時半からの大臣会見。スペースが狭くって、大臣の正面70センチメートルくらいの場所に、横手からテレビカメラ押されるように幹事の私が座って、でも記者や文科省関係者のほとんどは座れず、廊下に向けてずずっと固まっている。私の背中合わせに座っていたのは与謝野大臣で、隣のテーブルは財務省グループが、文科省よりさらに多人数で取り囲んでいる…。幹事の仕切りといっても、特別なことがなければ、準備してきた質問の第一声をするのが大きな仕事。あとは、各社から質問が続くので、最後の切り上げ時を幹事が判断する程度のことです。でも、なにしろ普段、この場にお邪魔していない私(科技担当の仲間は、内閣府の野田科技担当大臣の会見に出ている)がするのは恥ずかしいんですよね。

GWが始まるときは、心配でした。「新型インフルエンザ感染者、国内発生! 患者は東京都の高校生! 都内全面学校閉鎖へ!」なんてことになり、会見設定などでGWが吹っ飛ぶかも、と考えましたから。本当に助かった。反面、苦しかったのは、質問事項の用意です。お休み日を除いた営業日でいうと、次官会見、大臣会見、再び次官会見と3日連続になり、「インフルエンザも大丈夫そうだし、何を質問する?」って、一般紙の記事をめくって頭をひねらなくてはなりません。ちなみに、今日の大臣会見は、不祥事があった日本漢字能力検定協会の商標権についてでした。

5月1日から始めて、GWの雰囲気が残る時期の足慣らしという具合でした。でも来週は、外の団体からの会見なども続くので、山場です。文教のテーマは流れを知らないので不安ですが、「新型インフルエンザや漢字検定協会の話の方が、素粒子の研究発表より、分かる気がする」から(笑)。それに、「文教って、こうなんだ~」といった発見も楽しむ面もあります。とはいえやはり、大事は起こらない方が助かります。何事も起こりませんように、と祈る日がしばらく続きます。

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2009年5月 1日 (金)

補正予算記事などでばたばた

補正予算関係で4月27日付に一面「文科省が新助成制度 大学出向企業研究者を支援」を、科学技術面に「地域産学官共同研究拠点 47都道府県に整備 文科省 科学技術で経済活性化 JST・地方経産局と協力」を載せました。「47都道府県に整備は予算が約700億円! でスゴイ話に思えるけれど、掲載面はなぜこうなっているの?」と思われたことでしょう。まあ、すぐ分かるかもしれませんが、科技学面記事は他マスコミに先に出てしまった案件なのです…。

思いおこせばちょうど一週間前の24日金曜日。その日はいつもより朝早く出て、その700億円の執筆をし、うまくいけば一面トップだとわくわくしながら出稿しました。しかしその直後に、通信社が昨晩、ウエブニュースに載せていることが発覚しました。ショック。10時半からの社内研修でも、しばらくはそのショックを引きずっていましたが、これはまあ仕方がない。私が取材した時間には、すでに通信社がアップしていたのだから、完敗ですね。私にはまだ次がある! というわけで、急いでもう一つのネタ(一面に載ったモノ)を執筆・出稿しました。幸い、通信社の記事は地方紙が中心の掲載のようで、首都圏の一般紙には載っていないことから、科学技術面での【敗者復活】も決定。3時頃、その2原稿の修正でデスクから電話、お弁当を一口、電話、もう一口、電話…となんどもやりとり。その後、仲間と3人で慶応大学の新塾長の就任会見へ。戻って執筆、不足を仲間に調べてもらって出稿。その後、この日が締め切りだった本の著者登場インタビューを仕上げました。

でも、これに優る忙しさがもしかしたら来るかも?!と今、おびえているのです。それは、豚インフルエンザ。今日から文部科学省の記者クラブで、弊社が幹事なので、大きな動きがあったらそれこそ、夜中の会見設定などにばたばたすることになるのです。これについては次回。とりあえず、GWが吹っ飛ぶような動きがないことを祈りつつ。

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