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2009年7月

2009年7月27日 (月)

取材相手について若手からコメントを受けて…

親しい取材先A先生に「いい研究成果が出た、特許を出したばかり」と声をかけてもらい、A先生と共同研究した中心のB先生(あと、記事では相手の希望で社名を伏せたけど、メーカーとも組んでいる)に技術の取材をしました。話題の分野だったので、出稿して即、一面掲載へ。社のウエブでやっている「ニューストップページ 週間アクセスランキング」では4位に付けました。産学連携という私の「主戦場」ではないけれど、やっぱり反応がいいとうれしいですね。

ところが、社内研修で久しぶりに会った、親しい駆け出し記者からコメントが来ました。弊社でもっとも最初に私が指導をするという、変則的ないきさつがあった若手です。その彼が「この間の一面のB先生、悪い奴ですよ」といってきました。ははあ、悪い奴ねえ。ベテラン年長記者だったら「あいつ、タヌキだから気を付けろよ」っていうところでしょうか。「私はB先生と10年近く、おつきあいしているんだけど」と、かつがれているのではない、との意味を込めてまず、返します。聞くと、支局で親しくしている地元国立大学が、B先生と近いところで(一緒に?)研究をしていて、トラブルになったらしい。「特許で~をしているんですよ」と地元大学の関係者から聞いたのか、具体的に挙げてくる。うーん、それってまずいのかな?? 明らかに具合が悪い話だと、B先生がからむうような大学や弁理士もほっておかないと思うのだけど。私は「確かに大胆でやり手で、昔からトラブルも敵も多いのは聞いてはいるよ」といったものの、困ったな、よく分からないよ。そこへ、昼食に行く若手仲間にせかされて(研修で、久々に皆が集まって、うれしいのでしょう)、彼はひっぱられて、やりとりの続きはまた後日…。

とりあえず、先送りできたけど、彼にどう話したらいいんだ~? そんな時、社の科学技術系記者OBとのおしゃべりで、出てきた話がヒントになりました。そのOBの話というのは「この間、△教授の記事、見た? 大きく出てたな。あの環境エネルギーの先生、昔からマユツバだっていわれるんだけどな。その分野の研究者に話すと『いやあ、あんな技術はちょっと…』って反応で。でも、そういう中からとんでもなくいいものがうまれてくるかもしれないしな」。おおお。そうですよね、イノベーションは周囲となじまない人やビジネスから生まれてくるわけであって。トラブルを起こす人だからといって、とにかく敬遠すべしという論はおかしいよね。これがヒントになって以下のメールに発展しました。

「先日、特許の~が問題だといっていましたが、B先生の場合は××なので、問題ないのでは、と想像しています。B先生の最近の様子は、周辺のC大学やD大学でちょっと聞いてみますね。うわさやトラブルの時には、一方の言い分だけを鵜呑みにしないで、できる限り、両方の意見を聞くことが大事ですから。それに、訴訟など大きなもめ事になっていないレベルでは、記事の対象内容(今回は新たな研究成果)自身が優れていて問題なければ、記事化してよいという判断もできると思います」。実際は、トラブルの内容・レベルと、新たな報道する事実の内容・レベルを見比べながら、上司と相談し、リーズナブルな線を探すとことになるでしょうか。

今回の件で私は、B先生自身の問題だけでなく、駆け出し記者に対する複雑な思いがあったな、と振り返りました。ベテランの私の記事・取材先にクレームを付けてきたので、「なんか生意気になったじゃん、いっぱしの記者らしく」というちょっとしたショックが、尾を引いていたんですよ。今、考えると。怒ったわけじゃないけれど、少々、むっとしたのはあったし。それに、研修後に会話をしながら「昼食に誘おうかな」と思ったところに、同年代の記者らと連れたっていってしまったから、寂しかったのかもしれない。つまり、「子供も成長してくると、それなりの口答えをし、親より友達が大事になってくる」と実感した。そういう出来事だったようです。

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2009年7月16日 (木)

産学連携担当と次官の交替

中央官庁の人事異動の季節、今回は文科省の産学連携担当者が2人、替わられました。あ、私が産学連携担当から替わったという話ではありません、タイトルが分かりにくくて失礼しました。まず、研究振興局の研究環境・産業連携課の田口康前課長は、研究開発局原子力計画課長へ。ご後任で着任されたのが、科学技術・学術政策局の科学技術・学術戦略官(地域科学技術担当)をされていた柳孝課長です。2009年度スタートの大型事業「産学官連携拠点」は、文科省・経産省の産学連携で、大学支援と地域支援の、合計4課がずっと議論し、関係を深めてきました。この件で柳課長は田口前課長と一緒に動いていらしたのです。とくに地域の大学の産学連携担当者の間では、大歓迎に違いありませんね。

この研究環境・産業連携課の小谷和浩技術移転室長は、室長の肩書きはそのままに、別のお仕事(基礎科学力強化戦略の関連)がメーンになるそうです。小谷前室長のお仕事をそっくり引き受けるのは、新たにいらした渡辺栄二室長代理です。直前は国立大学評価のお仕事をしていたとか。こちらの前職も、産学連携と比較的、近いわけですね。

それから次官も交替です。って、世の中としては次官の話が先なのでしょうけれど、まあ「産学連携日記」としてはこの順番で(笑)。銭谷真美前次官は文教がとても強い方でしたが、今回はうって替わって、文教経験がないという科学技術ばりばりの坂田東一次官です。就任会見では本当に、科技話ばかりでした。質問は第四期科学技術基本計画、原子力、JAXA、スパコン…。途中、予算の話や、お子さんの学校が私立か公立かといった質問を挟む程度。「文教で改善、注力する点は」と、文教ど真ん中の質問は、11件の一番最後だったんですよ。弊社は文部科学行政としては科学技術がメーンなので、これまで銭谷前次官の会見はたまにしか出ていなかったのですが、「これからは毎回、出席する必要があるね」と同僚と顔を見合わせました。一般紙さんの会見出席者もきっと、文教担当から科技担当に替わるのではないでしょうか。

役所は人事異動が多いので以前は閉口していました。けど、さすがにクラブ詰めが長くなってくると「あ、あの人がこんどはこっちなんだ。あの話を聞きに行くのに行きやすいな」といったメリットも出てきました。さて、これからどう回ろうかしらん…。

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2009年7月10日 (金)

思い出の香り…

取材で若い頃、通っていた場所に行きました。懐かしいな、と思いつつ周囲を回ったら、「あ、これは」という思い出の香りが…。切なくなりましたよ。ああ、あのころはそうだったな、って。

と、まあ、昔の恋人の香りのような具合に書きましたが、実はそんな話ではありません。出身研究室へ行っきたのです。私の先生が「いい研究成果が出たから、記事に書いて」と2年に1度くらい、声をかけてくれます。卒業後、なつかしく思いつつ、顔を出すにはちょうどよい頻度なのです。

それで、取材の後に、研究室をのぞかせてもらって。昔はなかった排気ダクトが完備されて、これは法人化してから労働安全環境がうるさくなったからだな、とか。この机はあのときのまま、でもこの棚は新しいのね、とか。楽しみます。そこで出てきたのが、思い出の香りです。硫黄化合物を扱っていたんですよ。硫黄。つまり、「香り」というより「臭い」です。それが、続きになっている部屋のこっちと、あっちとで、ちょっと違う。けど、どちらも覚えがあったのです。化学式、どんなのだったっけ。あのころ、手先ににおいが付いてねえ。年頃なのに。休日があって三日間、実験しなかったにもかかわらず、においがとれなかった時はショックだったな…。そんな切ない「思い出の香り」でした。

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2009年7月 2日 (木)

現場を把握しつつ、マクロを語れるジャーナリスト

東京工業大監事を終える技術ジャーナリスト・西村吉雄さんの最終講演を聞きにいってきました。西村吉雄さんはご存じですか? 東工大の末松元学長と同じエレクトロニクスの研究室出身で、博士まで進学して博士号をとった後、日経BP(当時は日経マグロウヒル)へ。日経エレクトロニクス編集長として10年以上の経歴で、その後、電気・電子産業の講演や、MOTや科学技術ジャーナリストでの客員教授などの仕事が増え、東大の正規教員も経験したあと、04年の法人化から東工大の監事をされていました。

ここ10年ほど、共著を含めて年1冊は本を出版する形を続けられているとか。私は駆け出し記者のころからおつきあいさせていただいています。技術の博士号を持つジャーナリストで、早大の科技コミュニケーションなどで学生指導もしながら、社会科学的な文献(本や論文)を活用した調査研究が得意。ミクロもマクロもカバーし、他の人とは違う説得力のある論を張れるところがすごくて、「こんな人はほかにいない」と感じさせます。最近、著作を読み直す機会があったのですが、「10年前に西村さんがいっていたのは、こういうことだったのか。その通りのことが起こっているなあ」と実感している次第です。

今回の講演から、その特異で刺激的な論の一端をご紹介します。カッコ内は私の解説です。

●団塊世代(本人はその少し上)が大学生だったころ、18歳の全人口は250万人で大学生は29万人だった。今は18歳の全人口が130万人と半分になり、大学生数は60万人と倍になった。つまり、今の大学の入りやすさは、かつての4倍になっている。18歳人口のうち学校(専門学校など含む)にいるのは団塊世代の時は2割だが、今は8割になる。

8割もの子供が、勉強が好きで進学しているはずがない。楽しくて収入のよい仕事があれば、大勢が仕事をしているはず。そんな仕事がないから学校にいるだけ。(かつては工場などで若い人の労働力が必要だったけれど、今は不要)。もし大学などに進まなければ、日本は若者の失業者だらけになってしまう。つまり大学は、若者の失業対策として意味がある。

●理工系離れが問題だとか、いい技術系人材が大事だとか、産業界もいうけどそれは嘘。「では、技術者の給与を挙げて、必要な人材をひっぱるのですね」といって、首を縦に振る経営者はいない(今はどの産業でもそうだけれど、優秀なのが少数いればいい、あとは正社員である必要はない、と経営者は思っている)。一流大学は気づいていないだけで、中堅以下の大学では、理工系を出てスーパーの店頭に立つなどの若者が少なくない。なぜなら、産業界が技術系の人材をあまり必要としていないため。

●日本は高等教育への税金投入が少ないという。それは別に問題ではない。税金投入の少ない分は、個々の家計(親)の負担に依っている。それは、個人の判断による資金活用法だ。高い消費税で国の資金を増やし、税金として投入する官僚・政治家主導の国家より、よいと思う。ただ、納税者の大半は国立大学のメリットをほとんど受けていないことを、関係者は心する必要がある。大学生(納税者の子供)の7割は私立大に通っている(研究開発成果が製造業に貢献している、といっても、サービス業をはじめとする全産業中の製造業の、そのまたごく一部しか恩恵を受けていない)。大学は(税金を受けている以上は)とにかく教育。そのことを国立大理工系などはとくに意識しなくてはいけない。

と、こんな具合です。おもしろいでしょう? 評論家か実務家か、どちらかにしかなれないのが普通だけれど、その両方ができる人がいる…。日々の記事執筆で追われる記者も、志としてはこのクラスを狙いたいところですね。

それにしても、今回は「引用」が大半のブログです。記事で「西村さんのように、独自視点を打ち立てるんだ!」と刺激を受けるのはいいけれど、もっと楽に書けるはずのブログでこれですから、情けないですね。ま、私は足元からまず、がんばるといたしましょう…。

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