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2010年2月

2010年2月24日 (水)

東大TLOの山本社長の言葉が心に染みて

2月23日付大学面で、山本貴史東京大学TLO社長を「産学官を結ぶ コーディネーター群像」の連載に取り上げました。最初に、共同研究費が数億円、ライセンス量が数千万円の大型案件の交渉話をもってきて、読者の興味を引くよう意図しました。そのほかにも、さすがこの分野の先駆者である山本社長だけに、話の内容も深くって。私の心にとくにしみ通ってきたのは以下のことです。「(日本)企業はだめな理由を多数言ってくるが、絶対に当たる新規事業はない」「(なのに)日本企業は石橋をたたいても渡らない」。これに対して「米国企業はリスクを把握したうえでチャレンジする」ということでした。

心に響いたのは、最近、あれこれ落ち込むことが続いていた自分のこととして捕らえたからです。いえ、私が、石橋をたたいても渡らないタイプなのを反省した訳ではないのです。石橋をたたかずに渡って、失敗するタイプでもない。周囲が「それは難しいのでは?」ということに対して、心配性の面もあるのであれこれサーチして、そのうえで「私はこれで行きます」と我が道を行くタイプです。山本社長が挙げた米国企業のよい例の方かな、と思います。

だから反省したのは、決断時のことではなくて、その後のことです。現在の苦労は、リスクを把握したうえで取り組んだ結果、思った通り大変だった、というものなのです。だから、「残念、やっぱりこうなったか。でも自分で納得して決断して始めたことだから、いいんだ。最後までやり通すしかないよね」と考えるべきなのでしょう。米国企業だって「残念、まあ事業開発というのはそういうものだ」とさらっととらえ、次の事業にチャレンジするということなのでしょう。

もう一つ、山本社長の発言で感心したこと。「産学連携のさまざまなコミュニケーションで、トラブルとかもめ事とか、嫌なのもたくさんあるのでは?」と質問したのですが、あまりそうでもない様子で。どうも、人から見ると揉めていて大変だと思われることを「僕は、揉めていると思っていないのかも」っていうのです。例えば相手は「山本社長と実はあの時、けんかをした」とある場で打ち明けているのに、「僕はそのこと、覚えていなかったんだよね。けんかしたつもりはなくて。まあ、仕事柄コンフリクトはしょっちゅうだけど」っていうのだから。なるほどね。そういうさらったしたところ、見習いたいなあ。ぐじぐじと悩んでいたワタシを反省です。

ところで、こういう発言をブログに書いてしまうのって、微妙ですよね。ほかのケースも含め、もし個人的なおしゃべりの場で聞いたのだったら「このこと、ブログに書いていいですか」って相手にまず、確認するでしょう。でも、今回はそうしていないのです。なぜかというと、「産学連携のコミュニケーションについて取材を」と頼んだ、公式の席で出てきた話だから。つまり、記事にしきれなかった部分の発言を、ここで活用しているのです。もちろん、取材でも「ちょっと、ここはあまり書かないで」とか「関係者を刺激するから、気を付けてよ」と言われた部分は、記事でもブログでも気を付けますけれどね。取材相手からよい考え方や姿勢を吸収できるという記者のラッキーな点を、ブログ読者にも共有してもらえれば、と思っています。

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2010年2月12日 (金)

連載にかこつけて会いに行く

「産学官を結ぶ コーディネーター群像」の連載を、9日から始めました。火付の大学面での短期連載です。前回、カガクギジュツ食堂の童話(?)でいっていたもので、皆で順番に担当する連載ではなくて、一人連載(という言葉はないかな?)です。産と学、TLOと知財本部、研究者と大学経営陣などいろいろ意見対立がある中で、どうコミュニケーションしていますか?と聞く企画です。

初回の安田耕平キャンパスクリエイト社長の話はいかがでしたか。産学共同研究の費用交渉は、知財本部など大学の担当部局がやってくれるのではなくって、今でも教員がしているというのは、私も知りませんでした。そうすると自分の給与や研究費は通常の大学の活動で確保できているから、「いくらでもいいけど、じゃあ50万円」っていったりする。相手の企業は安くて喜ぶというかというと、通常の人件費分も入らない金額に驚いて、「やる気があるんだろうか」といぶかしく思ってしまう、って。なるほど~。すでに何人か取材済みなのですが、いつもと違う裏話が聞けて(もちろん、みな記事にします)、予想外に楽しい企画となっています。

連載記事を企画する理由は、もちろんそのテーマが重要だからというのもあるけれど、そうしないと紙面が埋まらない(ニュースは散発的に出てくるので、それだけをあてにしていると記事が足りなくなる)というのもある。それから、著名で気になっていた人や、これといった取材申し込みテーマはないけれど、ネタがあるに違いない人に、会いに行くときに活用するというのもあります。つまり、「この連載の取材をお願いします」と申し込み、連載にかこつけて会いに行くという具合です。

今回もひとつ、ありました。なにしろ顔が広い人なので、「最近はどうですかネ」とおしゃべりして、何かヒントをもらってこようと期待して行きました。そうしたらばっちり。連載のほかに、その人が政府に働きかけているという提案についての記事が書けて、さらにもらったデータと合わせて社説に膨らませました。もうひとつ、顔写真入りの小さいコラムも、と考えたけど、あまりに頻繁にその人の名前が紙面に出ると、偏っているといわれるなと思って、それはパスしたほどです。一つを聞いて一つの記事にするのとは違った、広がりのある書き方になるのがいいですね。もちろん、仕事が効率的なこともメリットです。以前、科学技術部にいたある先輩は、そういう仕事ができた時は「今日は大漁だ~」といっていました。あ。カガクギジュツ食堂にぴったりの表現ですね。翌日、食堂で出すメニューは、ゴージャスなブイヤベースって感じですかネ?

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2010年2月 4日 (木)

ニッカン村のカガクギジュツ食堂

ニッカン村のカガクギジュツ食堂は、カヨちゃんちの家族経営です。食堂の代表として、お客さんと公式なやりとりや、村の別のお店との調整をするのはお父さんです。お母さんは毎日の料理サービスの元締めです。私たちきょうだいは、それぞれの分野の食材を探してきて、月曜から金曜まで腕をふるっています。食堂のお客さんは食材提供者でもあることが多く、「今ならではのいい素材が手に入ったので、使ってくれないかな」とか「あの料理はすごかったね」とか、お客さんの口に入る前でも後でも、みんなと交流しています。

カガクギジュツ食堂は数年前に、ダイガクカフェを併設しました。火曜と金曜だけのオープンで、カヨちゃんが専任担当者です。サイドディッシュは冷凍物も使っていいことになっているのですが、メーンディッシュはしっかりしたものが必要で、さらに品数が足りない場合は、多少古くてもなんでもいいから、とにかくそろえるように、といわれています。よって日々、お母さんとやりとりしながら、次の開店日にはあれ、その次はあれとそれ、と予定を組んでいくのです。

もちろん一人ではなく、きょうだいのほか全国のいとこも日常的に参加してくれています。とくにメーンが大変なので、「カフェ向けの材料が手に入ったので、メーンをつくってあげるよ」といわれると、とにかく感謝、感謝、もうひとつ重ねて感謝です。「これ、置いておくと傷みそうなので、明日使ってよ」といわれれば、絶対に断りません。カヨちゃんが計画していた料理は延期して、常にみんなの料理を優先しています。だけど、だれも何にもいってくれないときは、カヨちゃんが作り続けるしかありません。よって、「これ、念のためとっておこう」という配慮も必要になってきます。理想は、入手した食材をすぐに調理してお客さんに提供することなのですが、それはダイガクカフェの運営には危なすぎるのです。

今の時期はよい食材が少なくて大変です。でもそれもあと少し。年度末になると食材が急に豊富になり、みんなからの食材提供も増えるのです。そうすると、料理の種類は多くなるのですが、全部を出そうとすると数皿しか提供できなくなったりします。もうちょっと早く材料を用意してくれれば、工夫もこらせるし、たくさんつくって出せるのに、ね。とりあえず、食材がどどっと増えるまでの間を見込んで、近く1月半にわたる企画メニューを始めます。それはそれでいつもと違う味わいがありますよ、とお客さんにアピールしよう。カヨちゃんはそう考えているところです。  おわり

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