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2010年3月

2010年3月31日 (水)

4月から大学面が変更に

火・金と週二回で続けてきた「大学・産学連携」面ですが、4月からは金曜のみの1ページに変わることになりました。といっても、火曜はこれまで「科学技術」「大学・産学連携」の2ページだったのを、「科学技術・大学」を2ページにし、その中で大学記事を大いに扱うという形です。そのため、「山本が、大学・産学連携の記事出稿を火金向けに注力するのは変わらない。ただ、大学・産学連携ネタだけで週2ページを維持するのは厳しい。だから、不足分は科学技術の記事を入れてよいことにする」というのが主旨です。これで「えっ、原稿が足りない? あと2本はこれから書くけれど、もうほかにリリースも余っていないよう。この後、超多忙な先生のアポが入っているのだけど、間に合わない!」と目をつり上げて対応する恐怖感が、軽減されることでしょう。

弊紙の大学・産学連携面は2003年10月から6年半、週2をキープしてきました。ところが、この面で載せてきた産学連携の記事数は、2005年をピークに2008年はその7割に。減少ペースが変わらないと推計すると、2009年は6割です。じゃ、残りの4割は何かというと、産学連携以外の大学単独の記事ということです。つまり、大学の国際化とか、大学院教育とか、大学評価とかです。広くは産業界とかかわる研究や人材の話だからと、扱っていますが、産業紙という弊紙の特性からいうとどうかなあ、と。ただ、そのどちらの場合も、法人化当時のように劇的にニュースが出てきて、発表・リリースも目白押し、というわけにはいかないのが現状です。

以前、取材先のキーパーソンの一人が、「大学の産学連携部局は将来、国際化や就職支援の部局みたいに、大学の定常的な組織として根付くことが必要」といっていました。なるほど、とその時は思いましたし、今その形にシフトしつつあるのだとも感じます。ただ、そうなるとニュースはさらに少なくなるわけで…。でもね、まだまだ「今まで手つかずだったところが表面化してくる」面はあると思うのです。例えば先日、電気通信大学主催のシンポで取り上げられた、産学連携で開発したソフトウエアの知財問題(特許とは大幅に扱いが違う)がそうです。「これ、おもしろそうでしょ? 大学人うちうちの普通のシンポと違って、企業の皆さんも、勉強したいと思っているでしょ?」と気持ちを込めつつ、シンポ開催案内を記事にしました。その結果、締め切り(実際は延長中)過ぎで申し込みが途絶えていたのに、記事掲載後に40件ほどの申込が相次いだのだそうです。

以前、「産学連携も一段落して」という表現を使ったら、産学連携の関係者に「産学連携はますます、盛んになっていますよ!!」と怒られてしまいました。そう、ブームは一段落した、けれど実績は積み上がっていて、大型成功例などが出てくるのもこれから。ですよね、すみません、先生。ということで、取材先の皆様も、ぜひ「これは」と皆をうならせる活動を展開して、そして私にお声をかけてくださいね。お待ちしています!

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2010年3月25日 (木)

異動と学長選と

親しい二つの私立大学の広報さんが異動になりました。お一人は総合大学の広報課長さんで、職員さんだけでは手が回りきらないため、PR会社も活用していて、広報・PR社の両者が取材に同席するなどのことが少なくなかった特徴(これは他の大学では経験したことがない)があります。急ぎ問い合わせで片方が不在でも、もう片方が対応してくれることが多く、ずいぶん助かりました。もう一人は理工系総合型の大学の中堅の方で、広報の前は産学連携の部局にいたので、私の取材ニーズをよく理解して対応してくれたのがよかったです。どちらも6年くらいのおつきあい。いろいろありがとうございました。新しいセクションでもご活躍くださいね。

日刊工業新聞社の科学技術部の方は、大きな異動なし。欠員だったところに、若い理工系修士出身者が加わるのでパワーアップの方向です。あと編集局内ではいろいろ変わったのだけど、実はあまりよく把握していません。皆、記者出身で業界担当の時は、社長人事などの記事で動き回っていたにもかかわらず、自社内の人事については、興味の強弱に差があるのが不思議です。部長クラスでもひょうひょうとしている人がいる一方、裏事情を集めるのが大好きな駆け出し記者もいたりして。私は…、自分の日々の活動に直接、かかわる部分は気になるけれど、それ以外は淡泊な方かなあ。

再び取材先の話に戻りますが、学長や産学連携の副学長も、さすがに国立大学法人化の2004年当時の在任者はほとんどいなくなりました。大物・W大学のトップは在任が長かったのですが、とうとう初夏に学長選を迎え、次期トップが決まるはず。実は去年、学長選の1年近く前に書いた記事にちょっとクレームが来て。親しい先生だったからなのだけど、「山本さんがA先生に取材して書いたんだって? でも、この話はA先生の担当じゃないからねえ、ちょっと内部でもめているんだよ。学長選に向けて皆、思惑があるもんで」っていわれたんですよ! それ以上の詮索はしませんでしたが、大きな大学は大企業と同様、大変なのですネ。

この大学学長は産学連携の推進者なので、残念ですが仕方ないです。「みんないなくなっちゃっう、寂しいね」。これ、長寿の方のコメントみたいですね。若い時に亡くなると、葬儀にも大勢が駆けつけてにぎやかなのに、100歳超だと来てくれる同年代も少なくて、寂しいって感じ…。いえいえ、専門職としての産学連携関係者や、職歴がまったく変わらない大学教員も、大勢いるではありませんか。長く粘っているかららこそのパワーでがんばってまいりましょう!

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2010年3月15日 (月)

社会人としてがんばる心がけ

若い2人の大学院生の旅立ちをお祝いする会を開きました。大学発ベンチャーのアンケートを、日刊工業新聞と東京農工大学の共同で実施し、その時に彼らが、アンケートの集計の部分でうんと協力してくれたこともあって、ずっとやりとりしてきた2人です。自分にも期待と不安で一杯だった時があったなあ、と思いながら【贈る言葉】として、私が社会人として大事だと思うことを伝えました。

1つ目。人間関係がうまくいかないからといって、会社を辞めないこと。だって、転職した先にだって、性格の合わないのがきっと出てくるから。それに嫌な上司であっても、個人事務所でなく普通の企業なら、2年くらいでどちらかが移動となって離れられるものです。

2つ目。辛い時期にあたっても、必ず乗り越えていくこと。うまく解決することができなければ、周囲の状況が変わるまで、嵐が過ぎ去るのをじっと待つのでもいい。耐えることを含めて、「自分は乗り越えたのだ」という自信が、その後、とても重要になるから。

3つ目。社内外で評価される人になること。社内でいいポジションについても、組織に守られているにすぎないようなものでは、その人の本当の評価ではないから。社外で評価されるというのは、社会に貢献しているという意味合いも強いですよね。それに昔と違って組織にも何が起こるか分からないし、社外での生き方がシッカリしていれば、定年退職で燃え尽きてしまうこともない。定年って、彼らにとってははるか先のこと(あ、もちろん私にとっても)ですけどね。

かくいう私も、厳しい上司に何年も仕えて、トイレで泣いているとか、いろいろありましたわ~。自信過剰になりがちな人は別にして、「自信を持つ」というのは、すごく大切なこと。仕事でもなんでも、人と違うこととか、新しいことを思案すると、プラス面と同時にマイナス面も思い浮んできますよね。周囲に反対する声もあるでしょう。でもそういうときに、「私はこれで行く」と踏み切れるのは、過去の経験から【自分に自信があるから】だと思います。そして失敗したとしても、「自分で判断したのだから、仕方がない」と思える。あ、これはこの間のブログでも書きましたね。

どうもこれまでの経緯でみると、私は辛い時期が10年に1度くらいやってくる。もう少しすると次の辛いサイクルに入りそうで、ちょっと不安。でも、それも受け止めていけるだろうと思うのも、これまでの積み重ねで自信がついてきたからです。なんと私は、4月で勤続20年なのです。たぶん、勤続記念のお休みももらえると思うので、少し大型の旅行も計画中。辛いことを乗り越えるにはやはり、楽しいこともたくさん、用意しておかなくちゃね?!

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2010年3月 9日 (火)

裁判員候補に選ばれた!

裁判員候補に選ばれて地方裁判所へ行くという珍しい経験があったので、産学連携とはまったく関係ないけれど、ちょっとご紹介します。もちろん、実際に裁判員に選ばれて、法廷に出てみたいと思っていたのですが、残念ながらくじにはずれてしまいました。資料によると、有権者1億人のうち、1年間で裁判所への呼び出しがかかる(私はこの段階)のが400人に一人、0.25%です。そのあと裁判所でのくじなどでの絞り込みで、実際に参加するのが5000人に一人、0.02%です(私の入った部屋にいた人数でいうと、5分の1の絞り込みという感じでしたが)。うーん、数値の印象って、「○分の△」と「□%」とで、意外に感じが違うものですね。科学技術記事では小数点以下の%を問題視することはあまりありません。だから気づかなかったけど、今回これらの数値を見てそう思いました。

裁判員制度のスタート前は、企業人が裁判員に選ばると仕事に影響するのではと、心配されていましたよね。でも、私の経験した感じでは、「ほかの人では代替しにくい重要な仕事を持っている場合、事情を説明して辞退の希望を受け入れてもらうことは、けっこうできる」との印象です。事情を説明する機会は、まず「今年1年の間に、裁判員候補に選ばれる可能性があります」という通知に返答するとき、それから「裁判員候補になったので、裁判所へ○日に来てください」という1カ月半ほど前の通知に返答するとき、そして裁判スタート初日で、裁判員を選出する当日の午前中に現地にて、と3回、ありました。例えば前日に、出張や重要な会議が決まった場合でも、対応してもらえそう、との印象を持ちました。ただ、選ばれたら3日程度は拘束されるから、それに備えて仕事の前倒しで忙しかったことを考えると、やっぱり「もう少し呼び出し人数を減らしてもよいのでは」という感想は持ちました。

今回、東京地方裁判所に向かう地下鉄駅の出口で、同業他社(一般紙とテレビ局)の司法記者クラブ詰め記者に声をかけられたんです。「場合によってはお話を聞かせてください」って。同業他社に取材された(されかけた)のは3回目。一つは選挙の出口調査。あともう一つは、地方の夏祭り(有名なもの)の県外出身者向け体験踊り子隊に参加した時、感想を聞かれたもの。その程度だったから、裁判員に当たって、記者会見をされる側にもなってみたかったな。いちおう、美容院にもいっておいたわけだし。

裁判ものでネタを一つ。数年前のこと。当時の科学技術部長が電話をかけてきて「あのさあ。裁判に行ってほしいんだけど」といいました(弊社関係者の方、N元部長の口調を思い浮かべてくださいね)。当時は裁判所に入ったことがなかったので、知的財産がらみの公判を取材しろという注文かな?と思ったんですよ。そうしたら「いや、そんなに遠くないから。2時間くらいでしょう」という。ははあ、裁判所が近場ってことかな、公判時間が2時間ってことかな? さらに会話を交わして、まさかこれは? と思いつつ、ぬか喜びしてはいけない、と心を落ち着かせて…。最終的には「サイパンの大学が、日本の大学と連携したがっていて、取材希望があるので、出張に行かないか」という話だと判明しました。ドイツって聞こえれば出張間違いなしだったけど、「もしかしてサイパン?でも出張なんかあるはずない場所だし」と警戒したわけで。裁判とサイパン、この似て否なるもの。サイパンも楽しいけれど、裁判員の体験もぜひいつか…と、今から次のチャンスを楽しみにしています。

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