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2010年10月

2010年10月25日 (月)

「取材できません」の回答だけでは…

取材調整をお願いしたメールの返事がたった一言、「この件は取材できません」で入っていることが、たまにあります。大学の広報さんで2,3回ありました。断りにくいから簡単にすませたいのかもしれませんが、新聞記者は納得しないと引き下がらないものです。「なぜ無理なのか」を必ず聞きます。そして「いつなら(少し待てば)可能なのか、そこまで待ってもいい」とか「問題部分は伏せて書くのでどうか」など提案します。きちんと説明してもらうのがベストですが、具体的には明かせない場合でも、こちらの提案を聞いたうえで、なんとかすべく考えてほしいと思います。広報さんは学内外板挟みになりやすく、大変だとは思いますが、win-winの関係を築くには対話をぜひ、お願いしたいのです。

この夏のとある案件。親しい広報担当幹部に「○の件、耳に挟みました。取材のご調整を」と頼んだ件がそうでした。メールが冷たいのにむっとして、即電話。私は「この案件は、大勢の機関が絡んでいるのでまもなく、他紙も取材に動く可能性がある。その時に、先につかんでいた私が抜かれっぱなしの状況では悔しい。すぐ記事にできなくても、話を聞かせておいてもらって、例えば『どうしても発表にしたい』というのなら、その後で詳細な解説記事を書くのに使うとかで対応するので、とりあえず話を聞かせてほしい」といいました。そうしたら、「じゃあ、Aさんなら取材が可能かもしれない。(通常の広報の窓口から)申し込みしてみて」といわれました。

そんなわけでAさんの取材時もどきどきしていて、「書かないでといわれたら、こうこうだといって、何とか粘らないと」と思案していました。ところが、意外にも取材はスムーズ。Aさんはリストまで用意してくれていて、ちょっと複雑な案件だったのに、ばっちり理解できるところまで説明してくれました。終了後、副学長に「何の問題もありませんでしたよ」というと「そう? それはよかった」。なんだったんだろうね、当初の【取材拒否】は。まあ細かな事情まで突っつく必要はないのでそれでOK、記事化後もクレームはとくにありませんでした。

一方でこじれた案件もあります。文科省の採択発表があり、省内取材でその詳細資料をもらい、取材申し込みしたのに、「詳細が文科省HPで掲載される前には、取材を受けられない」とのBさんの返事でした。なんで? 「他紙に先に書かれることがないなら、HPと同時掲載でもいいので、先に取材させてください」と提案してもだめ。Bさんはまだ社会人になって数年、広報になって半年程度だから、対応がわかんないのかなあ。しょうがないので、この案件を受けている産学連携部局の担当幹部に電話してみると、別に具合悪いことはなさそうで。ところが直後にBさんから電話で、「勝手なことをしないでください」みたいなことをいうので頭に来ちゃいました。アタシはこの担当者にこれまでに4回くらい取材しているので、通常なら直接、取材申し込みするところ。それをBさんの顔をたてて広報に取材申し込みしたのに~。

それで「だめだとか、事情が変わったとかは、ちゃんと背景を説明してほしいんですよね。前回いわなかったけれど、Bさんの手配でいった取材、C先生がこなくてD社長だけで取材したでしょう? 広報としてBさんが同席しているのだから、その場でC先生にどうしたのか問い合わせすべきだし、それが無理なら後で『実は予定を忘れていたそうです』とか伝えてほしかったですよ。今回の件もそちらの事情があるかもしれませんが、納得できる理由や説明を伝えてくれるとうれしいのです」といいました。

それでその案件、どうしたかって? 書きましたよ。だって文科省で取材して、手元に資料があるんだもん。2本合わせての記事で、少し控えめな方に入れてあげましたが、書かないですごすわけにはいきませんでした。でもね、これがもっときつい記者だったら、「こんなくだらない案件、成功するはずないだろう」みたいなイジワルな書き方をしたと思いますよ。私はその後、普通の態度で□さんにリリース問い合わせをしたりしていますけど。マスコミと広報は対立しようと思えばいくらでも対立するけれど、win-winでないとね。精神的にも嫌だし、時間だってもったいない。というわけで広報さんには、「取材はちょっと困る」時にも、少し余裕をもって上手な対応を、よろしくお願いいたします。

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2010年10月18日 (月)

「東大一人勝ち」からほど遠いノーベル賞

「他紙が書かないことを、書く」をモットーとする私は、ノーベル賞のようなマスコミ総動員イベントがあまり得意ではありません。今回はうんうんうなって、「近年、大学の話では【東大一人勝ち】が頻繁に出るけれど、ノーベル賞は違うじゃん」ということに着目しました。11日付一面コラム「産業春秋」で書いています。

もちろん、日本人のノーベル賞受賞者のうち、東大と関係あるのは小柴先生など何人かいるのですが、数人だけで、しかもいずれも理学系です。化学賞は工学系の受賞者が少なくないのに、東大工学部は今回の根岸英一パデュー大学特別教授が学部卒というのが初ケース。教員としての経歴だけでなく、学部や大学院でも、東大工学系はいなかった。東大工学系研究科って教員が助教以上で470人、教授で160人もいて、工学系では世界最大級ですよ。それだけに根岸先生が初というのは意外でした。候補は何人もいるのですけどね。

これは他マスコミで見た情報で、自分で取材していないのでそこはエクスキューズなのですが、北海道大学は鈴木章名誉教授の案件で、「ノーベル賞取るぞ!」と全学的に活動していたのだとか。それを知って、「東大くらい目立ちもし個性もある教員が多いところでは、組織的にうんぬんっていかないよねえ。これは浜田純一総長も、小宮山宏前総長も、大学運営で強調していたし、私もそう思う。あっちこっちでいろいろな研究者が活躍しているので、大学としてはまあ、ノーベル賞が来ればうれしいけど、来なくても別にい~という雰囲気かな」と思いました。

ところで、この「東大工学部関係者の受賞は初」というのは、私が気づいたのではありません。受賞記事の大騒ぎが一段落した時、携帯電話に伝言が残っているのに気づき、連絡をくれたその東大関係者と話して分かったのです。ありがとうございます、先生。「他が書かないことを書く」は、こちらの問題意識もありますが、取材先のご助言も大いに有効です。実は今、ネタ不足で近年にないほどの自転車操業状態なのです。つ、つらい。取材先の皆様、「他紙が書かないことを書く」は、「他紙では取り上げてくれないことを書いてくれる」と解釈して、ぜひお声をかけてくださいね~。

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2010年10月 5日 (火)

取材先とは細くなっても長く付き合う

専門記者の魅力は、取材先との関係が細くなっても長く付き合うことができることです。いったんは切れたかに見えても復活が可能です。相手が大学教員だと移動が少ないし、移動しても最近はウエブなどで連絡先が分かるので、とくにそうですね。弊紙のメーンの企業が相手だとこうはいきません。広報担当者が移動して、営業担当に回ると、その後に仕事でかかわることはほとんどなくなって、特別に個人的に付き合うか、将来役員になって会社の表舞台に出てくるかを期待するしかありません。役所の場合はなにしろ移動が早いから、「もうお別れなの…」と涙を飲むことが少なくありません。ところが、回りも早いため2,3カ所移動したらまた、近しい担当に戻ってかかわりが復活することもありますね。

一例に、某著名大学の工学系の研究科長であるA先生とのおつきあいを聞いて下さい。始まりは10数年前、某学会の年会ハイライト紹介の記者懇談で出会いました。本人の技術もおもしろかったうえ、学会全体のキーパーソンだったので、技術取材で何度か取材に行きました。その後、私の担当も替わって10年強、お会いしていませんでした。途中、大学発ベンチャーの取材で、発明者としてのA先生とメールはやりとりしたのですが、ベンチャー経営にはタッチしていないとのことで会わずじまい。その後、「A先生だ!」と発見したのは、前研究科長の就任後に開かれたマスコミ懇談でした。A先生が副研究科長か何かで、なんと海外出張の成田から懇談パーティに駆けつけての参加。「先生、ちっとも変わっていませんね~」「山本さんこそ、変わっていないね」と会話しました。これ、互いに持ち上げ合ううれしい会話の定番ですよね~。

それから約1年、A先生がこの春に研究科長に就任。これはチャンスと取材に出向くと、ネタが出るわ出るわで大感激です。口火が切られたテーマが、博士問題だったので、「どこの先生もいっているような話だと、ちょっと聞き飽きているんだけど、大丈夫かな」と思ったのですよ、最初は。ところが、「そうなんだ!」と思う新たな視点を示してくれたのです。私は、「優れた博士とは」という前向き定義を持っています。「だれもいない、何もないところから、新たな視点で社会を切り取り、仮説と立てて実証し、賛同者を増やしていく力を備えている人」という山本説です。先生は、「米国は博士が社会で活躍しているのは(これに相当する)力を身につけて発揮しているから。これからの日本にはこういう人材が必要だ。でも、日本はキャッチアップで成功してきたので、今の役員以上は『修士で十分だ』の感覚を捨てきれない。人材についての危機感が共有できるのは、日本企業ならその下の研究所長、工場長クラスだ。ので、これからは役員ではなく、その下をターゲットにしていく」と述べたのでした。おもしろいでしょう?

質とともに量もスバラシイ。通常のニュース2本に、博士の社説1本、コラムが書けて【大漁】です。さらに「この話、正式に決まったらぜひ」と頼んでいた案件があって、返事待ちとなりました。そうしたら!! やがて研究科長のマスコミ懇談案内が入って。「例の件、うち優先でお願いしていましたが、大丈夫ですか」とやりとりをし、ぎりぎりのところで他紙より先に掲載となりました。向こうも懇談会の目玉にそれを据えていたから、「うちが最優先でしょ」と大きな顔をしていうのも悪いなあと思いまして、これくらいは譲歩いたしましょう。記者懇談の時は、ネタ紹介を前に「これも書いた。その件もうちが先に掲載済み」と、密かにほくそ笑んでいたのでした。

その懇談会の配付資料に、研究科PR冊子があり、A先生のインタビューが載っていました。そこで驚いたのは「学生時代の失敗談は?」で、なんと博士進学の大学院の試験日を間違えて受験できず、それで民間にいったん就職したのだということです。その後、大学に戻ってきて、今は巨大研究科のトップとして、産学連携・人材育成に熱意を燃やしているわけですから、人生分からないものですね。人生、山あり谷あり。細くなっても長く粘る。これで参りましょう。

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