« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月28日 (月)

ワン・オブ・ゼムではなく

ここ数年、多大なエネルギーを注いできた私のプロジェクトが一区切りになります。詳細は後日(4月)にブログでもご紹介しますが、そのプロジェクトの発表会に対して、「お時間あれば聴きにいらしてくれるとうれしいです」というご案内メールを出しました。記者の本業がらみではあるけれど、本業そのものではないという個人プロジェクトです。そのため、ご案内先も本業がらみの親しい方々が中心なのですが、「どこまでお声をかけていよいものか」と悩みました。いつもの取材・記事執筆では、基本的に相手にメリットがあるものだから、わがままをいいやすいのですが、今回は私個人の事柄です。「△さんもいらっしゃるそうですので、よろしければご紹介しますよ」といった、相手のメリットになりそうなところをアピールはしていました。それでも、もし逆の立場だと想像すると、「えー、発表の場所も不便だし、仕事の時間を割いてまで、こんなの行きたくな~い。案内なんてもらって、困ったなあ」と感じるのでは、と心配したのです。

それが。予想外に大勢の方、15人も参加してくれたのです!! 質問もたくさん出て、それらにもほぼ答えられました。聴講者は「山本佳世子がこういう内容で、一つの区切りを達成したのか。今後の本人の活躍にもプラスだろうし、ひとつ聞きにいってみるか」と思って、来てくださったのでしょうか。「日刊工業の記者」というワン・オブ・ゼムではなく(もちろんよい仕事ができるのは日刊工業の記者だからこそですが)、「山本佳世子」という、なんでしょう、ある種の「価値ある存在」を認めて、それに対して来てくれたのだ、とこれまでにない自信を感じる経験となりました。

併せて少し前に、失敗したことも思い出しました。親しい女性の名誉教授に久々にお会いしての会話です。名誉教授「山本さんには△でお世話になったものね」、山本「え、△? それ、私ですか? 15年前? 覚えていないなあ」、名誉教授「んもう、これだからね、新聞記者は。医者と同じね。こっちにとってはとっても大切なことでよーく覚えているのに、相手はいつもの仕事の一つでしかないんだから」というものでした。幸い、こんな口調のさばけた先生なので、すぐに謝って問題にはならなかったのですが、「ワン・オブ・ゼム」扱いしてしまったなあと反省したのです。

さまざまな話を聞きに行って、いろいろな人とつながることができる、仕事は魅力的なものです。時には忙しくて「ワン・オブ・ゼム」になってしまうケースもあるかもしれない。でも、なるべく常に、「ワン・オブ・ゼムではなく」、「あなた」と「私」という1対1の関係を大事にしていかなくてはいけませんね。信頼感や、利害を越えて「応援してあげよう」という互いの思いは、そんなコミュニケーションの中から育まれてくるものに、違いないのですから。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月16日 (水)

「来てください」の連絡は早めに

取材先から、イベントや会見で「よかったらいらしてください」との案内をもらいますが、「もっと早くに言ってくれればよかったのに」と思うことが時々、あります。「おもしろそう、参加したかったなあ。でも、アポの変更を取材先に頼み込むほどの、大ニュース取材ではないからねえ。しょうがない、パス」となってしまいます。シンポジウム開催とか記者会見とか、日程がそこそこ早く決まっているはずなのに、案内は2日前って、なんでかなあ? 言い出しにくくて、遅くなるのかな??

とある案件。「近くなったら詳細を連絡します。日程はここです」とだけ聞いていました。それが数日前になっても連絡がないので、「行かなくてもいいんだな。なにしろ場所が遠いから、ラッキー」と思っていました。そうしたらメール、次いで電話があり、「今日から始まりました。取材にぜひ」ときたんです。その時点で、「えー、やだなあ」というのが本音でした。お世話になった機関だし、もっと事前PRがあれば、お手伝いも考えたのだけど、今更ねえ~と、「断るつもり9割」でした。「開催後に様子を取材させていただく、といのでどうですか。なぜなら~」と理由を3つくらい挙げて対応しました。ところが相手も意外にしぶとい。「4日間、ずっとお忙しくて無理なのですか」。まあ、エネルギー効率を考えるとYesなのですが…。そのほか何回かやりとりがあり、「では、次の3月の開催時にいらしていただけますか」といわれて、焦りました。3月なんて、絶対だめ!! また弊社幹事が回ってくる時期だし、個人的にも忙しい。…「わかりました、予定変更を含め、なんとか考えてみます」となりました。

前に、個人コミュニケーションのノウハウで読んだことを思い出しました。「ねえ、ハワイに連れて行って」「えーっ、ハワイなんて無理だよ」「そうなの、残念ね。じゃ、草津温泉に連れて行って」「草津か、草津ならまあなんとか…」と、おねだりが成立する、というものでした。それと同じですね。って、ねだる方のノウハウを読んだはずなのに、ねだられてしまってどうするんだろう…。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 4日 (金)

「この部分って書いていいの?」

取材のテーマそのものに対して、「これって書いていいの?」と迷うことはほとんどありません。そんな丸秘事項なら相手が先に、ダメだと制しているからです。けれど、取材を進める中で「この部分って書いていいデータなのかな?」ということが時々、あります。最近の例を二つ挙げてみます。一つは新プロジェクトの予算で、もう一つは協会会長選挙の候補者の得票数でした。

駆け出し時代に受けた訓練は、「聞いたこと、知ったことはすべて書く」というものでした。でも、少し経験を積むと、こちらが配慮してあげないと危ない取材先がある、ということも分かってきました。「「いやあ参っちゃったな、あのデータ、出たらまずかったんだよ」と取材先がいってきたりするのです。それがすごい情報なら「書いちゃダメっていわれませんでしたから」と毅然と(?)跳ね返し、読者のメリットを守ります。でも、たいしたことのない情報なら、取材先が「かわいそうだったな」と気になります。

予算の件は、個別取材で出してもらった資料に書かれていました。でも公募プロジェクトの公表事項以外では、金額はあまり表に出さないでしょう? 巨額で大ニュースっていうほどではないけれど、規模が示せるなら、プロジェクトの本気度が分かって、やっぱり読者には情報としてプラスのはず。書いた方がいいと判断しました。そこで、「この予算は~なのですか?」とちょっと別の角度からの質問をしてみました。もし、公表が好ましくない場合はここで、「あ、これは出さないで」と相手が気づいて反応してくれると思ったからです。結果、その反応はなく、安心して記事に書き込むことができました。

もう一つは発表の資料配付です。次期会長選出に向けた選挙結果で、3人の獲得票数が30、27、21票と載っていました。1位と2位がけっこう、競っていたんですね。最初は「当事者としては書かないでほしいだろうな」と思いましたが、なにしろ配布資料に載っているんですからねえ。私が配慮して書かなかったとしても、すでに公になってしまった情報です。それに、例えば大規模人気大学の学長選だったら、得票数の結果は衆人の関心の的であるのは間違いないでしょう(通常、表には出てきませんが)。というわけで、「書くべきだな」と判断しなおしました。「△先生も意外に健闘したんだね」って読者にプラスの情報になるでしょう。落選者の票が1票しかなかったら、協会もさすがに公表しなかったかもしれませんが。

記者は取材先Aと取材先Bの間で、どっちにも寄らない(寄り切ってしまわない)コウモリだと口にしてきましたが、このケースも同じですね。「この情報を出したら、読者は喜ぶか? 取材先は困らないか?」の両方を勘案し、読者と取材先のどちらにも寄り切らないのですから。これって何といいましょうネ。ダブルコウモリ? コウモリの二乗? それとも新種のコウモリかなあ?

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »