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2011年3月

2011年3月31日 (木)

論説委員の兼務になります!!

4月から大学・産学連携担当の編集委員のまま、論説委員を兼務することになりました。どちらの名称も「それってどんな仕事?」とよく聞かれますので、説明しますね。私が社内確認したうえで理解しているのは以下のような具合で、念のため大手一般紙の科学部長にも聞いた感じでは、間違ってはなさそうです。編集委員は「経験豊富なベテランの記者」と理解したらよいと思います。現場での仕事を持っていますが、年齢やそれまでの経歴によって働き方は少し違います。記者から上がった中堅(私はこれでした)は、それまでの通常の記者に対し、「編集委員になったんだから、もっと働きなさいよ」というようなプレッシャーをかけられるケース、といえますかネ。管理職を経て、この肩書きで現場に復帰したケースでは、もう少し余裕を持って動いているような気もします。所属は通常の記者と同様、編集局の各部です。

一方、「論説委員」は専任の場合、編集局とは独立した「論説委員室」に所属して、社の言論をリードする立場として、社説や一面など重要なコラムの執筆を業務としています。傾向として、編集局の仕事を兼務していない論説委員の場合、けっこう上位の管理職から執筆する立場に戻る形となることが多く、全体に年齢が高めです。それから部長や編集委員が、論説委員を兼務することもあります。私はこれにあたります。

 

どちらが格上かというと、論説委員が上です。よくいうと、大局的にものを見る論説委員と、日々の現場を見ている編集委員といえるでしょう。ですが、「取材される側にとってどっちがいいか」は微妙なのでご注意くださいね。論説委員なら社説に取り上げてくれる可能性は高いのですが、逆にいうと普通の記事にしてくれる可能性が低い。「論説委員ねえ。彼らは記事、書いてくれないからねえ」との感想を示した知人がいて、笑っちゃいました。現場の記者、編集委員だと「これは一面だ!」とがつがつ取材する案件であっても、論説委員だと「ふーん。そのうち参考にするか」で終わってしまうことが、けっこうあるみたいです。私の経験では、弊社の論説委員(論説委員室の所属)が「これ、論説懇(論説委員向けの懇談会)で出てきた話で、どこも(どの社も)書かないと思うから、取材してみたら?」とネタを紹介されたことがあります。これは、一般紙でも弊紙でも、論説委員が、面倒な取材に自らかけずりまわるようなことはしない、ということを示しています。だから、すぐ記事にしてもらいたいならば、その分野の担当が長い編集委員に伝えた方がよい、と判断してください。

怒濤のごとく案件が押し寄せて、異常に長く感じられた、この3月末の記者クラブ幹事業務でしたが、これは現場担当ならではの仕事です。セ・リーグの開幕延期問題の大臣ぶら下がり会見(前回のブログで書きました)で、たいしたことのない質問を投げかけただけで、「で、できた…」とほっとしている、情けない私。セ・リーグとパ・リーグの二つがあることは知っていたんですけどね。昨日もすごかったですよお。中学校の教科書検定(もちろん弊紙には関係ない話題です)で、意見の相反する「子どもと教科書全国ネット21ほか」と「新しい歴史教科書をつくる会」の会見が続いて、韓国メディアが押し寄せてきたのです。司会として仕切れるのか? と恐怖でした。もしかして、激しい質疑応答でぐちゃぐちゃになって「幹事、なにやってんだよ!!」と怒鳴られたらどうしよう、って。

あああ、長かった3週間。明日からは記者クラブ幹事が別の社に交替です。「現場が一番いいでしょう」ってよくいわれるし、確かにそう思います。同時に現場ならではの怖さを併せ持ちながら、4月から新しい役目も担ってまいります。

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2011年3月28日 (月)

セ・リーグ電力問題で大臣ぶらさがりを手配する

プロ野球のセ・リーグが、電力消費の大きいシーズン開幕を延期することを決めた、24(木)のことです。東日本大震災による東京電力の節電要請に対し、パ・リーグは開催延期を決めたのに、セ・リーグはそれを好まず興業優先で予定通り開幕、としていて、批判を浴びていました。ナイターとか東京ドームでの照明の電力が「一般家屋の○戸分」とか一般紙に出ていて、「これでも実施しようというのはスゴイ根性だなあ」と驚いていました。それまでは、ごく普通の一般国民として。

それが。24(木)午後、テレビ局2社の記者二人が、「セ・リーグも延期に変更となった。高木文部科学大臣からこれについての談話をとりたいので、大臣ぶらさがり(囲みともいう)会見の希望を出してほしい」と希望を寄せてきました。これ、私が手配するの??

この3週間は日刊工業が幹事ですが、そうはいっても記者各自の取材・執筆もあるので、記者クラブ在籍の記者4人で「この日の午後はAさんが当番」というように割り振っています。さらに会見の手配や仕切は、4人のうち科学技術(旧科学技術庁ネタ)と文教(旧文部省ネタ)2人で分けて、それを基本に融通しあっています。この日の午後は私が当番で、スポーツは弊紙には関係ないけれど文教ネタなので、しょうがない、私がいたします。

文科省の広報、大臣秘書室、相幹事(フォローし合う別の社がいる)の文教担当記者らに聞き回り、「記者クラブ全体として、大臣のコメントを出してもらう場を要請する」という形に決める。それから40分くらいかな。「国会参議院で実施中の文教科学委員会終了後、大臣のぶらさがり会見をします。終了予定は17時半予定ですが、5分ほど早まっています。詳細はメールで各社へいれます」と私がアナウンスすることに。「することに」の表現でわかるように、幹事といっても「私がアナウンスするんですか?」と聞きながら状態です…。

指定時間まで15分ほど。ちょ、ちょっとまって、国会記者証は持っているけど、クラブバッジを同僚から借りなくちゃ。場所はええと、参議院分館2階って、どこ? 広報室に駆け込むも、もはやもぬけの殻。どうしよう、参議院の配置図なんかウエブなんかで探せる? あと10分しかないのに。そこに、各社出払った最後のメンバーと思われる、他社の記者が出かけていくところを発見、助かった、「私もご一緒させてください」。

建物すぐ外からタクシーに。国会、近いのにタクシーなのかと思うも、帰りに歩いたら10分かかったから、当然だと後で納得です。他社さんは「たしかあの建物だと思うんだけど。分館と別館と両方、あるんだよね」「以前は政治部だったからよく知っていたけれど、しばらくぶりだな」って、大丈夫でしょうか…。まったく知識のない私が、そんな失礼なことをいう筋合いではないのですが。

無事到着。よかった。すでに広報さんが、皆が立った形でICレコーダーが置けるよう台をセットしている。マイクも置いている。もしかして、私がマイク持つの? テレビに顔半分とか映る? 今日はあまりオシャレしていないんだけど(結局、このマイク持ちは、テレビ局の記者がしていました。残念だったりして)。「大臣、次があるので質問は2,3分で。質問はどこから? あ、日刊工業さんね」と広報さん。その後は、テレビで見るような形です。委員会を終えた大臣が来て、最初に私が問いかけ。「セ・リーグが開催延期を決めましたが、大臣の所感をお願いします」って。その後、2つほど質問が続いて、終了。で、できた…。

文科省のスポーツ案件は、実はトラウマがあるんですよお。オリンピック入賞選手の大臣表敬訪問があった時、日本人離れした(ハーフですよね)ルックスの、砲丸投げの室伏広治選手がどうしても見たくて、そおっと会見の後の方にくっついていって。そうしたら、「日刊工業さん、スポーツって書いていたっけ?」と他社2人ほどに嫌みをいわれたのです。弊紙でもスポーツウエアやグッズの素材や科学は書くのですが、当時はまだナイーブだった私は落ち込んだ思い出があります。でも、今回は大丈夫。今回の件は「この間、こんなことがあったの」って一般の友人とのおしゃべりに、活用させてもらいます~。

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2011年3月19日 (土)

大震災を受けての大学記事と記者クラブ幹事

大震災の中で大学関連の情報として、どのようなものが提供できるのか? 通勤の電車の運行状況をにらみながら、記者クラブ幹事としての活動を行いながら、走り続けた週でした。15(火)付は14(月)に多くの電車が動かず、出勤を見合わせた科学技術部員が多かったため、いまいちな紙面でしたが、仕方がない。でも、16(水)付から3日間、私が科学技術面の頭(トップ)の記事を書きました。実をいうと残念ながら、私が出社前から、紙面の企画で頭をフル回転させていいたうわけではありません。デスクがね、すばらしかったんですよ。「山本はこんな感じで、何かニュースがないか集めて」「△記者はこの話を、HPでチェックしてから、関係者に電話取材を」「原子力関係の会見は、▽記者の対応で」と矢継ぎ早に指示を出してくれたのです。その結果、とても質のよいページができました。今春の人事移動、科技部は小幅だったので、このハイレベルの体制でこれからも、皆様によりよい記事を提供することができるに違いありません。ちなみに3日間の面トップの見出しは…。

16(水)付 「山形大 東北大・宮教大など支援 医療チームやコメ提供 他大学との調整役も」 17(木)付 「東大にみる節電対策 計画停電受け数値目標 電力使用、都内最大級」 18(金)付 「国大協が物資提供呼びかけ 全国の大学が支援 東大は8トントラック手配」 です。

ちなみに、18(金)付を作った17(木)の、長く充実した一日をここに記録します。デスクとの朝の打ち合わせで、「すでに火、水とこちらのアイデアは出し切ったので、あとは何でもいいから大学関係を出して」といわれ、お任せ状態。「HPに載っているミニ情報を転載するだけでは情けないけれど、そうはいっても何かあるかなあ」と思案する。親しい学長、副学長、広報に電話をするも、「会議中です」ばかりなのでメール攻撃に変更する。途中で「そうだ、A副学長には、16日付の山形大の記事のヒントをくれたことのお礼を言わなくちゃ」と電話したところ、本人がすぐに出てくれました。前回と同じだわ。するとA先生が今度は、「国大協が物資提供に動いている」との情報をくれるではないですか。これはいける! ありがとうA先生! 任期がこの3月末までなんて、超残念です~。最後に大きな協力を感謝します。で、デスクに「面トップ、国大協で書けそうです」とメールで伝える。電話は、単純な確認報告では、やりとりの効率がイマイチだと感じていて、最近は社内メールのような仕組みをよく使っているのです。続いて国大教に電話取材です。データのファクスを頼む一方、先の複数の取材先に「国大協の呼びかけに対し、貴大学では、どれくらいの提供をするか、具体的にお教え下さい」と再び連絡しました。

その後、文部科学省の文部科学記者会(記者クラブ)主催の、鈴木寛副大臣の会見(定例ですが、鈴木副大臣は地震後初)を運営しました。記者クラブの幹事は持ち回りで、別に偉いわけでも何でもない。のですが、たまたまこの3月末の3週間の幹事が日刊工業だという時に、大震災が「大当たり」となったのはすごいことです…。私からは「災害復興の資金として、子ども手当を回すというお話が出ていますが、副大臣のお考えはいかがですか」という質問をしました。弊紙としては子ども手当は関係ないのですが。幹事は会見の最初に、クラブに詰めている一般紙・テレビの記者間で関心が高い質問をすることで、質疑応答の口火を切るという役割があるのです。その後、4月予定の全国学力一斉テストの実施についての質問が出て、鈴木副大臣が延期の方向を述べ、「あ、これは一般紙さんにとってはネタなんだな」と思う。弊紙としてはこれもまた、関係ないのですが。会見40分ほど。当然ながら、いつもより長いですね。

その後、メールチェック。「あっ! さっきは会議でつかまらなかったB副学長から、メールが入っている」。添付ファイルをチェックすると、国大協の呼びかけに応じて提供する物資リスト一覧が。やったあ、数値がほしかったのよ~。ほかの大学では「今、詰めているところ」とか、「当大学だけの数値を出されるのはちょっと(目立ちすぎるので勘弁してほしい)」とか、情けない(こちらとしては)返事が多かっただけに、感激です。B先生、ありがとう。後に、別の小規模大学からも、学長を通じて広報から提供物資データをもらうものの、残念ながら時間切れ。「すみません、どこかで[小規模大学だってこんなにがんばっている]という形で活用を考えますから」とのメールで勘弁してもらう。情報は、よいものをスピーディーに。どちらか一方ではだめなのですよ。

文科省側が主催する会見で、再び仕切るのが二つ。就職問題懇談会では、座長の浜口道成名古屋大学長が、会見の中心です。私は初めての先生だったのですが、お話が魅力的で。一般紙さんも、就職以外にも震災と大学のかかわりで質問をしてきて、実をいうと私は涙ぐんでしまったくらい心に響いた発言があって。これは後日、社説に活用するので、詳細はそのうちに。続く文科省・厚生労働省で定期的に実施している、大学生内定率調査の結果発表。会見を終えたあと私は、名刺交換だけでなく、浜口先生のコラム用に顔写真撮影もしてしまいました。

席に戻ると「大規模停電が実施されるかも、っていっていますよ」と同僚がいう。弊社のブース(クラブ内の各社の一角を指す)にはテレビがないので皆、ニコニコ動画のNHKニュースを活用。これは便利でした。「でももう、帰宅ラッシュまで間がないから、[急いで帰ろう]という人が押し寄せて、電車は死ぬほど混むのでは?」と考える。まもなく、私が利用している電車の運行情報に、その現場にいるツイッター愛用者らの書き込みがあるサイトでは、悲鳴に近い書き込みが。思った通りだわ…。

東京でも大揺れした11日(金)のことも、「何時間もかけてでも帰宅せずにいられない、帰宅した方がいい人は、幼い子どもや高齢者をかかえる共働きくらいなもの。なのになぜこんなに多くが歩いているの?収容受け入れを表明してくれた、近場の施設で泊まるのが正解じゃないの?」と思っていたのですが、それと同じ。いくら情報を入手しても、その情報をどう使って、実際にどう動くかは、自分の判断しかないということでしょう。

夕食をコンビニ弁当で済ませる。内閣府からの記者クラブへの連絡がとどこおっていて、若手の同僚が帰るに帰れず困っていた。ので助言して、一般紙さんにヘルプを頼むことで、まもなく同僚も出られるように手配する。私の退出は20時。体力にあまり自信がない私は、「これだと睡眠時間はどれくらいかな? 体力消耗時にのみ使う栄養補助食品を使おうかな?」と思案しながら。電車はまったく混んでおらず、座れてしまって驚き。さらに「何時間も立ち往生したときのために」と持っていた文庫本が面白すぎて、なんと乗り過ごしかけたという話でした…。

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2011年3月 7日 (月)

人事異動による新しい風

まだですよ、まだうちの一般の人事異動の内示は出ていません。このタイトルで「おっ、科学技術部のメンバーも変わったのか」と思ってしまった方、もう少々お待ち下さいね。

少し前に、他社の出版社の若い女性と懇親をしたときに、「組織の人事異動ってなんでするのかな? それまでの実績をチャラにするだけで、メリットがあまりないと思うのですが」といわれました。その感覚に「若さ」を感じてどぎまぎしつつ(笑)、「私たちみたいな専門職の場合は、そう感じるけれどネ。幹部になっていく人はやはり、異動で多様な部署を経験することはプラスになるのでしょう」と答えました。後は、異動によって部署にも本人にも、新しい風が吹くという効果が大きいかと思います。

それを実感する幹部人事が弊社でもありました。一般人事より一足早く、3月1日付で宇居新編集局長が就任しました。48歳。社内で、団塊世代の後の社員が少ないので、大幅な若返りが近いと思っていましたが、前局長との年齢差はなんと16歳です! 宇居局長は直前が電子メディア事業室長だったので、まさに〔時代〕を象徴するという面もあります。昔、私が化学業界担当をしていた時に、宇居局長が自動車部品担当の記者で、タイヤだけでなく免震ゴムなどの化学品をやっていたブリヂストンなどへ、時に一緒に取材にいっていました。

就任の挨拶では、さっそく「~までに(時期)~をする。その中でとくに△に注目していく」と、これまでさほどは注目されていなかった△という新たな視点での活動を発表。そう、△、私も△が大事だと思っていました。ってゴマスリじゃないですよ。だけど、思っていただけで、社内提案などをしたこともなかった…。それだけに、幹部が△にメスを入れるという発言はちょっとした衝撃でした。【人事異動による新しい風】を実感した次第です。

そしていよいよ、我々一般社員の人事異動の内示が11(金)に迫りました。記者はその分野の担当になってから3、4年で変わることが多いので、「そろそろかも」と思う記者はこの時期、どきどきして浮き足立っちゃうのです~。かくいう私は、大学・産学連携担当で11年目に入る専門記者。そういう状態にはなりません。とはいえ、異動の可能性はゼロではないので、やはりちょっと気になります。「もし異動だったら、挨拶を含めて大急ぎですませるべき事柄」と「もし異動がなかったら、新年度から取り組むべき取材テーマと、どどーんと休む夏休みの予定」と、その両方を頭の中で考えているから。「異動する」「異動しない」のどちらについても期待と不安があって、実のところけっこう【楽しい】気分を毎年、味わっているのです。

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