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2011年4月

2011年4月25日 (月)

博士(学術)の学位を取得いたしました!

東日本震災が生涯の記憶となるこの3月、私は博士(学術)の学位を東京農工大学から取得することができました。産学官連携をテーマに研究と本業の相乗効果を出し3年半と比較的、短期で取得できたのは、取材先や職場の皆様のご理解、ご支援があったからこそ、です。博士とくに社会人の場合は、学部や修士の学生と違って学位取得に至らないケースも多く、相当な覚悟をしていました。それだけに、涙ぐむ大変な時もありましたが、基本的には常に前向きに、人間性を高める人生の重要な1時期として取り組めたことは幸せであり、かかわってくださったすべての方々に感謝しています。

私の場合は、研究のオリジナリティーとなる仮説に対し、調査研究として取材やアンケートを活用し、その結果を弊紙の記事にまとめた後に、統計学的手法などで分析して論文にするスタイルでした。そのため、私の活動内容を十分にご存知ではない方に「公私混同か」と見なされるかもしれないと心配し、公には社会人大学院生をしていることを伏せていました。ブログでは「半分仕事、半分プライベートの大プロジェクト」といった言い方をしていたことをお詫びします。 

  博士論文のテーマは「工学系大学発ベンチャーを中心とする産学官連携コミュニケーションの研究」です。11年の専門記者の経験から、「コミュニケーション」の観点で産学官連携をとらえ、社会科学の研究者とは違う、現場の工学系研究者・技術者の立ち位置から研究したのが特徴です。理工系の視点でと望んだため、所属は工学系の化学工学専攻(修士までは化学だったため)でした。ですが、学際的な内容(学術という博士号は、学際分野の研究に対して付くタイトルです)なので5つの学会に顔を出し、4本の査読論文を完成させ(正確には最後の英語論文を査読修正中)、これらの集大成として博士論文をまとめることができました。多彩な現場経験と深い思考から、新しい知を切り拓く手法を、博士研究を通して身につけたことは大きな財産となりました。さらに、大学院教育や学術研究の本質的なところに触れられたことも、今後の私の仕事の質を高めるのに寄与してくれるでしょう。

査読論文の1本は科学技術コミュニケーションというウエブジャーナルで公開になっています。査読者の指摘とそれに対する回答書はA413枚とみっちりだったのですよ。フリーで読めますので、お時間あるときにでも見ていただければうれしいです。URLは http://hdl.handle.net/2115/44523 です。大学図書館のリポジトリ(貯蔵庫の意味)を通じて、少し先には博士論文自体も公開になりますので、また改めてご連絡しますね。

多くの科学技術関係者は、このたびの大震災と原子力災害で今後、従来通りの思考ではいられないことを実感するようになりました。けれどもなお、多くの社会的課題の解決は、科学の知をなくしては難しいのも確かです。私も博士号について思うたびに、このことを思い出すに違いありません。そんな貴重な体験を胸に、科学技術と産業にかかわる皆様とともに、未来に向けて進んでいきたいと思います。

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2011年4月18日 (月)

東北大の自力復興意欲に驚く

東北大学が東日本大震災でどのように復興に動いているかを書きました。8日付1面「東北大、25日授業再開 各研究室、学内復旧で実現」と、11日付科学技術・大学面「558億円 東北大の被害・復旧額 基本〔自力で再構築〕 学生向け支援検討中」です。東北大の状況は気になるテーマの一つでしたが、震災の当初は大学より、弊社なら地元企業、一般紙なら個人の被害が先でしたから、それほど情報が表に出ていなかった気がします。日経本紙が今日の科学技術面で書いていますが、まとめ記事のせいもあり、私が書いた以上の内容はなかったし(と、大手を相手にちょっとだけ自慢)。研究専門のネイチャーは割合と早い時期に取り上げ、ひどく崩れた建物の写真など目にしていたせいで、私も「東北大は壊滅的かも」という印象を、取材前には持っていました。

ところが。記事にも書いたのですが、被害の大きさが学内でも大幅に違うんですね。確かに青葉山キャンパスの工学系主要3棟は立ち入り禁止など被害が大きいのだけど、本部のある片平キャンパスなどは、片づけ完了でほぼ通常化。医学部は、より深刻な地域の診察に駆け回っているくらい、足元は問題ない様子。そうなんだ~。震災で引き起こされた原発の状況も、日本にいる私たちの実感より、ずっとオソロシイ状況で、外国では報道&認識されているのと同じでしょうか。情報というのは断片しか扱えないものなので、その中で状況把握のギャップが生じるようです。

気になっていたのは、研究環境の被害に対して、国内外の多くの機関が研究スペースや装置の融通を申し出てくれていて、それをどう活用していくかということでした。それが、基本は助けを借りずにするというではありませんか! で、できるのかな? 旧帝大だけにキャンパスも多いし、敷地もまあまあ余裕があるようで、融通しあうと被害施設から移るための場所は取れるとのこと。そして、「先端の研究設備はその研究室の独自の改良やノウハウが詰め込まれているもの。だから教職員、学生が一緒になって再興しようという研究室がほとんど。工学・理学研究科に確認したところ、今のところ1、2件話があるくらい」というのです。 そんなに少ないの?? さらにやりとりして理解したのは、「データが緊急に必要なら、半年や一年、使い慣れない中で気兼ねしながらでも、借りて実験することがあるかもしれない。でも、1年後に戻ってきて研究室をまた、立ち上げるのなら、一時的に外に出てもしようがない」ということだと理解しました。なるほど~。ということで、そのことを記事に盛り込んだのでした。

さらにもう一つ、気になるのは、支援を申し出た機関・研究者が、この東北大の反応にへそを曲げないかということ。「せっかく施設・設備の利用OKって伝えたのに、もう支援なんかしてやんない!」となったらいけないな、と。この点は別件コラムで書く予定です。要は、「電車の中での座席を譲るのと同じ」ということ。「せっかく勇気を出して、どうぞといったのに受け入れてくれなかった、もうやらない!」とならないで、また声をかけましょうよ、という提案です。研究者の皆さん、へそを曲げずに、東北大を応援してあげて下さいね~!

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2011年4月 5日 (火)

震災後の弊社の活力を実感

震災後の日刊工業新聞の記事、けっこうがんばっているね、とのお声がかかっているようです。確かに最近の一面トップもけっこうユニークです。 4/5付 「福岡県 日本復興で総合窓口 被災企業受け入れ」、4/4 「被災企業へ技術支援 全国の公設試が連携 中小製造業に対応」など、弊紙ならではの情報でしょう。さらに本社で聞いた話では、「地震」と「産業」の、ウェブでのアンド検索か何かでは、日刊工業新聞の情報が引っ張りだこだったとか。震災から数日後の原子力の問題が起こってはじめて、経済産業省のウエブにアクセス数が抜かれたけれど、その後、また巻き返したという話でした。

4/1に本社の社員総会へ出て、このネット人気のほか、「震災後の各担当のがんばりと、社員の団結には目を見張るものがあった」と複数の幹部が口にするのを聞いて、感心しました。本社にいない、つまり記者クラブに在席している記者だと、自分と、机を並べている同僚の仕事しか分かっていない。あとは紙面を通じて、それとなく知るだけ。だから、震災で吹っ飛びそうになった年度末の売上げの対応とか(弊社の営業部門のがんばり)、紙面の多数のページを横断しての組み換えや記事差し替えの躍動を聞いて、けっこう感激してしまいました。人事移動で転入・転出する人のあいさつも、これまでを振り返った(震災絡みも多い)しみじみとした話を皆、するしで、「今日は来てよかったな」と思いました。

記者クラブに所属している記者は、「本社なんかやだよ。上がりたくない」というベテランが少なくなくて、猛者だと半年くらい顔を出さないらしい。コレは昔からのことです。でも会社のこともある程度、知った方が、動きやすいなと私は思っています。え、「じゃあクラブ詰めでなくて、席を本社に置いたら?」ですって? そ、それは勘弁してください。上司のそばで指導を受けるのは、駆け出し記者が優先に決まっているじゃないですか。上司が嫌いな訳じゃないですよ。上司がいないのをいいことに、さぼってばかり、って訳でもないですよ。でも、でも、だめなの。お願い、記者クラブから私の席をはがさないで~。

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