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2011年8月

2011年8月30日 (火)

個人的な感想を書きたい、と思うけれど

宇宙飛行士の山崎直子さんがJAXAを辞めるとの話で、宇宙担当の記者による裏話(なぜ辞めるかの推測)に興味津々です。個人的にね。家庭を持つ女性は良くも悪くも、家庭を持つ男性より家庭の影響が大きい。女性の社会での活躍が華やかになっただけに、女性の家庭の事情のあれこれも目に付くようになっている、と感じます。国会議員の野田聖子さんの先進生殖医療についても、彼女の生い立ちや家族観などを含めて、すごく興味深かったなあ。

こういう話になると個人的にあれこれ考えるし、意見をいいたくもなります。紙面はいくらなんでも無理として、ブログあたりで書きたいな、とか。私なりの実体験による裏付けの意見ではあるんですよ。例えば「国のお金で育成してもらった人は、仕事を通じた社会への十分な恩返しができない場合、実費を後払いしてチャラにするというのがよいのでは?」というのは、女子大出身者(同級生の一部は専業主婦になっている)としての感想です。それから、「積極的な生殖医療を一般に拡大して、例えば妻が亡くなり子が重度障害となったとしても(これは通常の妊娠・出産でも起こりうること)、夫は、生殖医療にチャレンジしてよかったと思うのかしら?」というのも、子どもを持てない現実を前向きに受け入れた経験があるからです。でもね。やはり、ちらっとを越えた個人的な思いは、公には発信しないのが正解でしょう。

理由は、有名人ではないので、自らの考えを表明すべしと社会に求められていないこと。それからもう一つ、「社会が注目してあれこれ採り上げる事柄について、私は強くかかわる必要がない」という考えがあることです。これはね~、専門記者として発表ものより独自記事が好きなのに加えて、博士研究をしたことが強く影響しています。「社会が気づいていないけれど大切なことを見つけ、それを記事や研究論文として社会に発信することが、私の役割であり、存在意義だ」と確信するようになったのです。だって、前の段落のような私の考えも、格別に独創的なものというわけでもなくて、100人が議論すれば何人かが考えつくものでしょう。でも、100人のだれも気づいていない事柄はどうでしょう? 私が主張しなければ、だれもその重要性に気づかない…。そして、それほどの独創性は、やはり小さな個人の体験より、キャリアを積んだ仕事の中でしか生まれてこないでしょう。だから、私のエネルギーはそちらに注いだ方が意味がある…と判断するのです。私って超合理的~。「合理的」って人からいわれることがと嫌みみたいだけど、自分自身はけっこう誉め言葉と思っているのです。

これと似た話でもう一つ。弊紙での1面企画で、記者の体験記を載せる連載が始まりました。初回は「日産の電気自動車で長距離ドライブをしてみたら」で、2回目は「タニタ方式のダイエット体験」です(すみません、新聞は読み終えて処分してしまったので、正しい見出しが分かりません)。本当はこういうの、「私もやりたい!!」なんですよ。おもしろいことは、何でもやりたいタイプだから。でも若手企画だとわかっていたし、そうでなくてもこの内容ではいくらなんでも、読者に恥ずかしい年齢だと思ったし。さらにこれに加えて、自分を納得させたのは「体験記は私でなくてもできるもの。私は、私にしか書けない記事を書こう」という思いです。イソップの「酸っぱいブドウ」(取れなかったブドウに対して、「どうせあれは酸っぱいんだ」と強がる)と同じですけどね、完全に…。個人的な感想はやはり、親しい人に限ったおしゃべりで止めておくことにいたしましょう。

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2011年8月22日 (月)

原稿をだらだらと書く

仕事は短期集中、残業はなるべく減らす方針の私ですが、夏休み取得を前に久しぶりに週末、自宅で記事を執筆せざるを得なくなりました。まあいいか、週末は特別の用事はないし、と思っていたら、仕事の仕方がだらだらしてしまって自分でも驚くほどでした。

「やりたくないなあ、やりたくないなあ」「新聞を読んでから、簡単なものからちょっとだけやろうか」で、一本。意外に手早くかけたなと感心するも、小休止の後に続けてすることはせず、もうほとんど終了している旅行の準備に再び、手を付ける。数時間たってから、もう一本。秋からを見据えて新たに…仕事の計画ではなくて、「エクササイズでもしよう。暑くてちっとも外歩きしていないから」。あげく、「今日は涼しいからよく寝られそう」と仕事を翌日に持ち越して、本日月曜の出勤前までいじっていたという始末でした。

でも、いいんです。「やりたくないことを後回しにして、だらだらとする」というのは、人間として本質的なものだから。なんてね。以前、上場相当企業の広報担当役員になった女友達が、「やらなくちゃいけない仕事がある時ほど、机の回りの片づけとかしたくなるのよね」といっていました。女性役員になるなんてすごいことで、でもそんな人でも、このくらいの現実逃避の気持ちは湧いてくるものなんだ、と非常に安心したのです。だから、だらだらしようとさっさとしようと、いいじゃないですか。そもそも、休日なんだし。さらにもし、デスクに尋ねたら「どうでもいいよ、そんなこと。原稿がちゃんと出れば」というに決まっているもん。

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2011年8月17日 (水)

博士リーディングプログラムで思うこと

文部科学省が少し前に公募を締め切った「博士課程教育リーディングプログラム」、すごい人気ですね~。総合力を持って各界で活躍できる国際派の博士育成が狙いで、深く狭い研究者を育成してきたこれまでの博士教育からすると、大転換です。まだ応募数など、文科省は発表していないので正確には分かりませんが、春くらいからどこへいってもこの話題で持ちきり、という雰囲気でした。私は1件は記者会見に出て、1件は以前からの実績が高いものなので内容をよく知っていて、1件は今、ニュース原稿を出稿中で、1件は「記事にはまだ書いちゃだめだけど、こんな雰囲気なんだ」と教えてもらったという具合です。

ある副学長に「これはおもしろい取り組みですね、リーディングプログラムへの応募案件でしょう」と尋ねると、「いやあ、競争率が高すぎるのでね、この工学系の取り組みは応募していないんだよ。代わりにうちが応募したのは医学系で。採択されたら書いて下さいよ」との答えでした。ある地方大学の教員は、「この設計は完全に旧帝大優遇、中規模以下は切り捨てじゃないか」と憤っていました。また別の研究型大学の教員は「研究者養成型の博士教育改革を、21世紀COEとグローバルCOEで10年近くやってきた。今回のはこれらの後継ではないから、これで(資金は)終わりだ…」と落ち込んでいました。

どの応募大学も思案したポイントに「狭い分野の【研究】だけでなく、広範囲の【勉強】もして、文理融合を実現する」というのがありそうです。ので、これについて私からも一言、いわせてもらおうかしら~。

文理融合を一人で実現する場合、文系出身者が理系の実験・計算系へ発展することは(数学を使う経済学部などを除くと)難しいので、理系出身者が文系に発展する方が一般的ですよね。そして、文系も理系も「科学」である以上、学び方や研究法の本質は共通で、博士号というのは新たなものを生み出す研究手法を身につけた人に対する学位として、共通であるはずです。ですから、理系で博士号を採ったのなら、在籍企業の研究開発方針の変更に伴う、隣の隣の新分野立ち上げプロジェクトに取り組めるはず。文系領域に展開する場合も、もちろん簡単ではないけれど、手を付けられるはず。社会が求めている博士というのは、そういう人材なのでしょう。ところが、そうはなっていないですよね。あるエピソードを示しましょう。

先日、私より少し年長の、著名電機メーカーの研究者と情報交換をしました。彼は就職してから、論文投稿を積み重ねての論文博士で、工学博士を取得しました。後に研究管理もするようになってから、社会科学系の研究室に入り(自費による社会人大学院生)苦労して学術の課程博士も取得しました。その彼が、「今回の博士取得は、理工系での論博の10倍、厳しかった」というのでした。これには驚きました。「理系博士号を持っていてもそんななの?」と。

理系の博士研究は、大学での課程博士にしろ、企業研究所の論文博士にしろ、読むべき論文も研究の方法も、指導教員や研究室の先輩の蓄積を受け継いでできるから、楽な面があるのではないでしょうか。「研究ってこういうもの」となんとなく、先輩らの真似をして身につけていく。でも、「なんとなく」なので、その分野以外でも通用させることは難しい。だから【狭く深く】しかできなくなってしまう。

その対極にあるのが【研究職ではない社会人博士学生(多くは文系で博士号を考える人)】でしょう。社会人は実務の中から研究テーマを見つけ出すので、指導教員や研究室の蓄積はわずかしか活用できないし、文系はそもそも「一人で研究しなさい」的な突き放しの文化です。苦しいこと、このうえなしです。でも、「だれも何も教えてくれないところでも、新しい視点を持って、科学的な研究手法で成果を出す能力がある」という博士号の取得を目指している以上、これは仕方がない。そして歯を食いしばって、これを達成した博士号取得者であるならば、また他の分野にほおりこまれたとしても、研究者として生き抜いていけるのではないでしょうか。

若い理系の博士学生には、「研究とは何か」ということに対して、もっと意識的になってほしい。博士を育てる大学には、このような教育に対して、もっと意識的になってほしい。そう感じます。すぐにできるお薦めの一つは、早いうちに、社会科学の研究手法の本に目を通すことです。今、私が読んでいる「リサーチ・デザイン 経営知識創造の基本技術」(田村正紀著、白桃書房、2381円)などはよいですよ。「社会科学では研究に着手する前に、こんな考え方をわざわざ学ぶんだ。自然科学も、いわれてみるとこれと同じ論理構築となっているけれどでも、こういう考え方を身につけるという意識はなかったなあ」と思うでしょう。そして「研究とは何か」「社会に役立つ知とは何か」「知を創造するとはどういうことか」を考えて続ける姿勢を身に付けてほしい。それによって、分野が違っても対応できる、社会で広く活躍できる博士に育ってほしいと思うのです。

私はこの手の本を、理工系修士修了から10数年たって、社会科学的な研究をするため社会人大学院生になった時に、いくつも読みました。なのに、博士修了後の今もまた、読んでいるのはなぜでしょう? …実は英語の投稿論文で引きずっているものがあって、「研究の手法部分を、もっと意識的に明確に書いて下さい」とのコメントを、査読者から受けたからです…。あーあ、情けない。次回の修正投稿で、なんとか受理を達成したいところです。

追伸)今回のブログ、長くなったこともあってまとめるのに苦労をし、アップ後も書き直しています。先のバージョンを読んで下さった方、ごめんなさい。こちらの方がよりブラシュアップされている…はずですので。

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2011年8月 9日 (火)

取材しすぎで右手が痛い

大きなテーマを抱えての日帰り出張があり、取材アポを先方にフル設定してもらいました。それほど親しい大学ではなかったので、「一日でコレとアレとソレを取材したい」というワガママを言うことはおっくうだったのですが、調整に携わっていただいた理事の先生、教授の先生、事務職員さん、ありがとうございました。おかげさまで「大漁」となり、よい記事が書けそうです。

その日の自宅出発は朝6時。新幹線を使って、9:20から午前中に3人の取材をしました。お昼休みに、サンドイッチをバス停の影でほおばります。キャンパス巡回バスに乗り損ねたらまずいし、かといって学生が待っている中での食事は恥ずかしいし、難しいです~。途中に別のキャンパスも経由するので、「こんななんだ~」と窓の外を眺めていたくて、昼寝はできずじまい。仕方がないので5分でコーヒーを飲んで目を覚まし、13時からもう一本の取材です。

14時からヘルメットをかぶっての現場見学、とても興味深いです。15時すぎから教員2人に留学生を含む学生2人に取材。途中からペンを持つ手が疲れて、右手が痛くなってきました。久しぶりの感覚です。私はペンの持ち方はおかしくないはずなのですが、強く握ってしまう癖があります。もっと柔らかく持ちたいと何度かチャレンジしたのですが、直らず仕舞いです。本当はもう一本、アポがあったのですが、取材相手が急遽、文科省への所用ができた(入れ違いですね)とのことでキャンセルで、手の痛みもsosoで16時半に終了となりました。

新幹線で1時間早いのにチェンジと思うも、夏休みのせいでしょうか、どの便も満席で驚きました。おっと、社の仲間へのおみやげを忘れずに買って、と。夕食をとりにお店に入ります。右手に同年代の女性が一人。いくつものおつまみのお皿を前に、ビールジョッキをぐっとあおります。いいなあ、お酒を飲む人は。…と刺激された私は、1000円以下の麺のつもりだったのを、「せんななひゃくはちじゅうえん」のはらこ飯&牛たんセットに変更しました。おいしい。よく働いた日くらい、贅沢をしなくっちゃね。帰宅は21時。就寝は23時。私の体力ではぎりぎりのスケジュールです。さて、今日の取材ネタのうち、明日は何から書いてこうかな?

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2011年8月 3日 (水)

薬科大の男子学生はヘルシー?

私立薬科大学に午前中取材に行き、お昼は生協の学食でとりました。そろそろ夏休み? であまり混んでいませんでしたが、私の前に6人ほどの男子学生グループが楽しそうにふざけながら並んでいました。カフェテリア方式なので小皿を取ったり、メインを注文したりします。私は「ご飯をMで」と注文したところ、盛りつけの女性が「これはSですが、Mでよろしいですか?」と聞いてきました。「女性は食べる量が少ないから念のための確認だな、うーん、このS量だと私にはちょっと足りない気がする微妙なところ」と考え、「Mでお願いします」と答えようとしました。その時、私の前に並ぶ男子学生らのトレーが、なんとはなしに目に入って驚きました。私の前のトレーのご飯はMでなくSばかりなのです! 「えっ、君たちみんなSなの?!」と口にはしませんでしたが…。別に食べる量で体面を気にしたわけではないのですが、「Sの方が適切ですよ」といわれた気がして、「エ、エスで…」と答えてしまったのです。

席に着いたところ、その男子学生グループも斜め前の席に座っていました。私は「ごはんはSでも、小鉢をたくさん選んだから、量もそこそこで栄養バランスもいいわね」と、「若い男性の丼もの大盛りどーんとも、年長男性のそばだけ2枚とも違って、ヘルシー~」とちょっと自慢げな気持ちでした。ところが。また、なんとなく彼らのトレーが目に入ると、これもそれもあれも、みんな、小鉢たくさん栄養バランス完璧、の食事になっていたのですよ!

というわけでダブルでの驚きでした。私立薬科大だと薬剤士を目指す人が多くて、研究一筋の研究者志望学生とは違って、身体のことに注意を配る人が多い、ということでしょうか。そうだ、授業でも栄養士の資格取得の科目とかあるに違いないし。ヘルシー志向の男性が少ないとい見方は、私の偏見だったのかもしれません。次回の取材時に、先生に聞いてみることにしましょう。

でも。午後、別のシンポジウムに出席したところ、まだ終了まで間のある17時に、私のお腹は空き始めたのでした。やっぱり次回は断固として、「ライスはMで」と答えなくてはいけないようです…。

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