文章のクセ、改善は意識を持ち続けて
デスク業務を一部、私も担うようになったのと併せ、私の原稿チェックをする人も以前のデスクと変更になっています。すると、注意される点がこれまでと違うものになました。もちろん、デスクの性格(おおざっぱor細かいなど)によって違うことは当然なのですが、それまでしょっちゅう引っかかっていたのとは違う点が多いのは不思議です。
大きなクセじゃないんですよ。小さなこと。だから、最初は「そういわれればそうだな」と軽く受け流しがちでした。大事の訂正のミスだったりすると、ひどく反省して、その後はしばらくの間、神経質なくらいチェックするようになるのとは対称的です。でも、そのことを何度も何度も何度もいわれて、さすがに「私って学習しなさすぎ?」と反省です。
具体的には
◎話し言葉が表記が多い (「~なので」× 「~であるため」○)
◎人によって評価が違う内容で、取材先がいっているだけなのに、断定調になっている
(「~なのが明白だ」× 「~なのは明白だという」○」
◎全体的に言葉不足で表現が雑でわかりにくい(これは他の人にもいわれる点です…)
◎用語(初出の表記、カッコ内でどう説明するか、2回目以降に出てきた時の表記)が
社の決まり通りになっていない
といったあたりです。情けないですね。この程度のことが直せないなんて。クセって指摘されてもなかなか直せないものなんだと実感です。そしてもう一つ。「立場が変わるとクセはとても気になる。何度でも何度でも同じところで気になる」ということです。これはデスク業務を自分もやって、ほかの記者の原稿を見るようになって気が付いたことです。本人は「小さいことじゃん」と思いがちなだけに、しつこく指摘され、かつ、自分で改善の意識を持ち続けて注意するしかないようです。
用語表記については、自分の担当分野(大学・産学連携)の語は押さえなくちゃと思うので、手元にメモノートを使っているけれど、分野が違うと、ね。ほかの記者が書いたうちの記事を読んだとしても、「スマートフォン」「スマホ」「多機能携帯電話」「高機能携帯電話」って、最初にどう書いて略称はどうで、説明のカッコ付きはどうだったかなど、ちゃんと覚えていないもの。珍しく、スマホのアプリの産学連携記事を書くチャンスがあって初めて、「どう表記するんだっけ」と思うものの、「ええい、時間もないしこのままでいいや、とにかく出稿しちゃおう」となってしまう…。後はデスクの当番の時に、原稿を内容だけでなく「文字」としてみる(ミスを探すため)と、そこで「あ、これってこう表記するんだ」と気づく感じです。
でも、会社の仕事は皆で進めるもの。私の記事で毎回、同じ直しをデスクがするのは非効率だし、デスクに対して失礼なこと。来年は新聞を手に、用語にラインマーカー&単語帳抜き出しをすることにいたしましょうか。なんか駆け出し記者みたいで情けないけれど、「小さなこと」と流さないでいきたいと思います。
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