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2012年1月

2012年1月29日 (日)

言わなくてもいいことが出てしまうのは

社内で日刊工業新聞の新しい事業について説明がありました。内容はまもなく公表とのことなので、詳しくはいえないのですがとてもおもしろくて。入社以来、何回か(新聞社は普通の会社より少ないと思うけど)あった各種説明会や研修のうち、もっとも熱心に聞いてしまいました。デフォルメしていうと「未来は明るい!!!」とハイになった、という感じでしょうか。講師役は、途中で質問OKというもののとくに出ないまま。その中で私は聞いてしまいました。「AとBの違いがよくわからいあのですが。Aは~で、Bは-ということですよね」という確認でした。私はAとBの違いの疑問が、話を聞いている途中で解決したのですが、同席の若い社員にはわからないだろうと思って、〔質問してあげた〕感じです。そんなことをするくらい、ハイになっていたんですよね。

それで最後に「実は一つ課題が出てきまして。Cという点なのだけど、皆はどう考えるかな」と講師役が問いかけて。えーっ、Cっていったら、私は絶対にこうだと思う。と心の中でいったところに「とくに若い人の意見として」と講師役の弁。そ、そうだよね。Cは若い人に聞くべき案件だよね。「どう。Dくん。Eさんは?」とやりとりがあって、そのあとに「山本さんはどう思う?」って来ました。きっと、物欲しそうなというか、発言したそうな顔をしていたんでしょうね。それで私ってば、直前まで心の中で思っていたとおりのことを、つい…。「〔若い人〕でないので意見をいうのは恥ずかしいのですが、Cについては~がよいかと思います」と言ってしまいました。「若い人でないので恥ずかしい」なんて、説明会の場ではどうでもいいことなのに。個人的にも、別に若くないことを残念に思って生きているわけではないのに、こんなことを言ってしまうなんて…。

言わなくてもいいことがつい、出てしまうのって、本心だとか、逆にウソをごまかすための必死さの表れだとかいうけれど、なんか実体験してちょっとショックでした。いやいや。こんなのでめげていてはいけない。スクープを狙っている時に、取材相手が言わなくてもいいことをいったのに反応して、ネタを引き出してくる〔演習〕になったのだと、思うことにいたしましょう。

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2012年1月23日 (月)

東大の秋入学会見

20(金)に東大で秋入学推進の中間報告書の会見がありました。18(水)に日経が大きく書いたのを受けて、各メディアがすでに報道しまくっていたから、一緒になったYさん(うちの前論説委員長)は「もう聞くことないんじゃないの」といったのですが、けっこう集まりましたねえ。記者は40人ほど、テレビカメラもたくさん入ったし、会見時間は1時間40分ほどで長かったですね。

会見では、他大学や企業との協議会設立の話など新しいところも出たので、翌日の各紙紙面でまた大きく取り上げられて、いやあもう数日間、露出し通しでしたねえ。それで、Yさんが不思議の思った点に気づきました。ある企業の動向でどこかのスクープがあれば、普通はその日の午後など即、会見を設定するので、大きな報道は翌日に集中するものなのです。今回もそうした方が手間でなかっただろうに、なぜそうしなかったのかな、ということです。もともと、20(金)にこのテーマで会見するって案内はあったのですよ。【「入学時期の在り方」に関する記者会見のお知らせ】って。だからきちんとした報告はそこでします、報道があったので総長も出席することに変えました、ということで、この二日間は臨時の対応ですませたのでしょうけれど。結局、即会見にしなかったことで、報道の量は増えて、東大側としてはプラスだったのだなあ、と振り返ります。

それにしても、会見案内を受け取った時点では私も、「秋入学を一部で実施する方向、という程度だろう」と思っていたんですよ。日本社会全体が4月始まりなんだから無理でしょ、って。それがこんなに本格的に実施する方向とは…。やはり、新しい話に対して勝手に判断して決めつけてはいけませんね。企業なんてJALにしろ東電にしろオリンパスにしろ、近年「思っても見なかった」ことが頻繁に起こっているのだから、大学の斬新な改革はどの程度のものであっても、大いにありうること、と考えなくては。これまでの一般紙の記事を見渡して、一般紙が注目していない切り口からの執筆を現在、準備中です。なんかますます、〔広く浅く〕の新聞記者というより、新聞の大量の報道後に深堀りして読ませる記事を書く、雑誌記者みたいになってきたなあ、と思いつつ…。

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2012年1月16日 (月)

米国教員の給与は日本の2倍

2012年1月5日付で、「工学系の人事制度改革 団塊教員が一斉定年 新陳代謝狙う国立大 etc」を掲載しました。団塊退職後というストーリーとはちょっと違うけど、東大の工学系研究科、北森武彦研究科長の話がおもしろかったので、記事に盛り込みました。

08年のリーマンショックの時に、年間給与の3カ月分は企業コンサルティングなど外部から稼いでいる(大学が払うのは9カ月分)米国の大学教員が、「東大を手伝ってあげようか」といってきてくれたそうです。米国企業のアルバイト口が減ったためです。国際化推進の東大にとっては願ってもないところです。ところが。給与水準が日米の大学で差が大きくて、3カ月限定であってもどうしても呼べなかった、というのです。特別、著名な先生でなくてもだいたい、米国教員の給与は日本の倍の水準なのだとか。米国企業のエグゼクティブは、日本に比べてずっと高いのは知っていましたが、ホワイトカラーに対する高い評価として、大学もそうなんですねえ。

北森研究科長が、カリフォルニア州立大学のUCバークレーの教職員の給与を、ウエブで見た(州立ゆえ全員分が公開されている)ところ、トップの収入(上記の理由で9カ月分)は2億8000万円で、何をしている人かというと、アメフトの監督!! 2番手が1億9000万円でこれはアメフトのヘッドコーチだそうです。さすがスポーツ大国。それでリストの上位20番くらいが、東大総長と同レベルの6000万円クラス。で、100番目でも2300万円あるそうです。す、すごい。ウエブで確認して記事に書く選択肢もあったのですが、金額そのものは露骨だしショックだし(研究科長もショックだったそうです)、記事では「給与差が大きく、(外国人教員を呼び寄せることを)断念せざるを得なかった」という表現にとどめました。で、ブログ(のため数字の再確認はパスしちゃっていますがご容赦を)に出すことにしたわけです。

年始の各紙の記事で、格差社会が取り上げられていて、一方でイノベーション関連で米国の経済学者がインタビューで「日本は危機感が足りない」といっているのも読んで、併せて考えちゃいました。以前、別のところで、欧米のトップ教員は「いつそのトップの座から滑り落ちるか(給与が激減する)とおびえて、夢にうなされる」というコメントを読んだこともあって、以下のように思い至りました。

先進国は一般に成長鈍化が当然なのに、米国がそうでないのは競争社会だから。勝者に対する対価がとても大きく、上と下の格差は大きい。けれど、レイオフも多いし、いつ上下が入れ替わるか分からないから、社会の上層にいても危機感を常に持っている。社会の下層もまた、競争に参入してのし上がるチャンスがあるので、(これまでは)比較的、格差はマイナスにとらえられていなかった。アメリカンドリームは皆にチャンスがある。だから皆が、途上国みたいにハングリー。だからこそイノベーションも起こる。

私は「エピキュリアン(快楽主義者)」なの。これ、酒池肉林を指すのではないのですよ。人生を楽しむために努力をする、というギリシャ哲学の一派(聞きかじりですが)。それで、米国型より、欧州型の成熟社会がいいなと思っていました。体力がないから競争をし続けるのはできないし、多額の収入より時間の方が大切だから。でも、欧州も成長鈍化ではすまず、今のような経済危機になってしまうし、難しい…。努力と競争、収入、生活の楽しみ、社会への貢献…。いずれも適切で皆が幸せを感じられる社会にしていきたいものです。

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2012年1月 3日 (火)

パートナー獲得と目標達成は【熱意と粘り】で

謹賀新年 年末or年始はちょっとだけ、いつもと違う気張ったブログにしたいと思っていて、今回は上記のようなタイトルにしました。年末に同僚の結婚が明らかになったこと、忘年会でそんな話をしたのがきっかけです。ここで私がいうパートナーというのは、公私さまざまな意味で「ともに成長していく、信頼できる大切な相手」という広いものだと考えてください。チャンスがあれば若い人に伝えていた内容を、ブログにも記しておくことにしました。

1. パートナーは、自分にとって大切な、自分に合った人を、自分の責任でもって選ぶ。 人にいわれて決めるものではない。

2. その人とのおつきあいで、何がリスクかよく考える。リスクに注意を払わず、「あんな人だと思わなかった」といってもみっともないだけ。何事も、リスクを把握したうえで挑戦するべし。

3. 人生山あり谷あり。「一緒に乗り越えていこう」と互いに思える人がパートナー。でも、どうしても意見が異なる事柄は別々に取り組む、という自立性も維持する。

実は昨年後半から、本業とは違うけど本業を生かした新しいプロジェクトが動きだしました。そのパートナーと組むときも、もちろん1~3を考えました。というか本当のところをいうと、すんなり1で【こちらの好みで選別できた】のではなく、年月をかけて3に到達した、という具合です。一番最初に、同様の提案を私からしたときは、今の相手にもすげなくされたんですよ。いわば、【失恋】。でも、ほかでも可能だと思ったので合計5件ほどの相手(機関)にアタック。うち1件を除いて【撃沈】。その残り1件も、後に「ぜひとも一緒にやりたいと思っていたのですけれど」と状況が変わってしまいました…。しょうがないので棚上げにしていたところ、しばらくして、今のパートナーから別の切り口でお声がかかったのでした。議論によって双方の意見を摺り合わせ、こちらも相当、企画案を改訂して(仕事柄、上司の指摘に合わせてボツにされないようブラシュアップすることは慣れておりまして、笑)、ついに【婚約】となったのでした。これを粘り勝ちといわないでなんといいましょうか。このプロジェクト、今年の5月くらいには皆様にも公開できる予定です。でも2のリスクも頭に入れています。この手の活動は、直前になって【破局】することもある、と体験者から聞いていますから。

博士号取得もそうでしたが、大きな目標を達成するには、【熱意と粘り】の両方が必要ですね。トランジスタを発明したショックレーは「Will and Patience」といったとか。今年も公私ともに様々なことがあるかと思いますが、この二つを心に刻んでがんばりましょう。皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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