キャスターC氏講演から、「記者は個性で仕事をする」
ある理工系大学Aの卒業生ばかりの場で、その大学の教授に就任した、B大学文系学部卒の著名メディア人(記者のちキャスター)のC氏が、講演をするというので聴きにいってみました。どんな発言をする人か、知っておいてもいいかなと思ったからです。内容は、「話が伝わらないのは、相手のレベルが低いのではなくて、受け手と送り手の暗黙知にギャップがあるから」といったコミュニケーションのトラブルのアレコレでしたが、「へえっ」と思ったのは、けっこう口が悪いことでした。嫌みとか皮肉を頻繁に絡ませるのです。「そうそう、年長の記者はきついこというよねえ。うちの社でも団塊世代がバリバリ現役だった時代、驚くような会話が飛び交っていたし、記者クラブでもけんかっぽい動きが、今と違ってあったっけ」と思い出しました。そもそも記者は第三者、客観報道の意識が強いもの。講演会でも、聴衆におもねった話はしない、ということでしょう。
でもねえ。でも、A大学の著名卒業生の悪口とかいわれると、ちょっとねえ。その場で笑いは上がるのだけどね。ご自身の出身のC大学はOB含め、そんなにご立派かしら? って思っちゃう。一般に、身内や組織の仲間内で出る批判は「そうだよね」と思っても、同じことを外の人にいわれると、むっとするものでしょう。反感を持った聴講者も多かったのではないかなあ。この感覚、後で話したA大学OBとか、A大学の学生(感想の又聞き)とかも同じでした。
ところが。一緒に聴いた同業出身者(取材などでA大学をよく知っているが、A大卒業生ではない)は、別に「いやな気はしないよ」という感想でした。なぜかというと、どうも、「外から呼ばれた人なのだから、その組織や集団と異なることを言ったりしたりすることを、求められているんでしょ」ということらしい。そうかあ。確かにC氏が教えているのはA大学の1年生の教養の講座。学年が上がるにつれて、専門性が高まって技術で凝り固まってしまうので、早いうちに幅広い視野を学生に持たせたい、とA大学は考えて、A大学となじまない人を呼んだという面があるのかもしれません。
翻って自分の場合。記者として、相手におもねってはいけないと意識はしているけれど、「批判の前には誉め言葉をいれなくちゃ」とか、考えてしまう方でして…。でも、思い出しました。【記者は個性で記事を書く(仕事をする)】のです。これ、新入社員だった時に、社の研修でいわれた言葉です。「記者の仕事(情報をとってきて記事にする)は、社会通念上、問題ある方法でなければ、どんな方法をとってもいい。相手を震え上がらせて情報をとってきてもいいし、土下座して気の毒がらせて話を打ち明けてもらうのでもいい。それは記者それぞれの個性で考えればよい」というものでした。当時、私は「記者なんて自分に務まるだろうか」と不安だったのですが、この見方は新鮮で「私にもできるかもしれない」と思ったものでした。そう、当時を思えば、今の私なんて、十分に悪口をも言い、きついことも言い…。ホホ、年の功ですわね。これもまた個性の一つと解釈させていただきましょう。
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