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2012年7月

2012年7月31日 (火)

整理箱を抱えて帰る

以前より本社へ上がることが増えて、いつもの文科省周辺とは違う寄り道をすることがあります。といっても本社の日本橋小網町はファッションビルが林立する場所柄ではない(笑)ので、やや地味かもしれません。先日は、オフィス家具リサイクルの店で見つけたゴミ箱を購入しました。

自宅用の机横に置くものを探していて、大きすぎず小さすぎず、リサイクルなので200円。これはいい買い物をした、と思っていたら、お店の人が「申し訳ないです、袋がないのですが、ちょっと探してみますね」って。きっと、オフィス改装に際して車で来店、まとめ買いして帰るか、配送してもらうのが一般的なのでしょう。何かしら(よその店の紙袋など)あるのではと思っていたら、予想に反して、やはりないとのことでした。

しょうがないので、抱えたままで地下鉄に乗って帰ることになりました。色はベージュだし、まあ「整理箱を持ち帰っている」ように見えるので許容範囲かと。あっ、車内のお兄さん、その紙くず、ここに入れないで! これ、ゴミ箱じゃないんです、整理箱なんですから。

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2012年7月21日 (土)

本の贈呈範囲に悩む

今回の出版では【自己負担による贈呈範囲をどのくらいに設定するか】という点が悩みの一つでした。内容が職業とは関係ない、たとえば趣味のものなら判断しやすいでしょう。でも私の初著書「研究費が増やせるメディア活用術」は、技術コミュニケーションがテーマなので、大学生以降の私の活動のかなりの部分がかかわっています。いったいどこまで感謝の贈呈本を自己負担で贈るべきか、線引きが本当にしづらいのです。もう少しいうと、「○冊贈呈と決まれば、その中で優先順位を付けることはできる」のですが、「○冊にする? △冊にする? 『自費出版でもいいかも』と思ったことがあるのを考えると、○冊も△冊もケチりすぎ?」と悩むというわけです。

贈呈の費用を別にしてもう一つ、「読まない相手に本を押しつけたくない」という思いが強く働きます。どうもこの点は、ほかの人より過剰に感じているらしいです。仕事柄、初めて取材で訪問した先生に著書をいただいたり、どこかの会で一緒になって名刺交換をした出版社の人から新刊が送られてきたりする(弊社の書評欄での案内を希望している)ことがあります。でも、時間は有限、本棚も有限。興味のわかない本の場合、「もらっても困る」というのが正直なところです。周囲の人に「この本、読まない?」といってもよほど話題の本でもない限り受け取ってもらえないし、重たい本を職場から古書店に運び出すエネルギーも湧かない。心苦しく思いながら、冊子類処分のごみ置き場に置くことになってしまう…。だから可能な場合は、取材先で差し出された本もぱらぱらとめくらさせてもらって、「申し訳ありません、私はちょっと活用しきれませんので、さらに必要とされている方へさし上げてください」と置いて帰るよう心がけているのです。

やや学術的なビジネスパーソン向けの本を、広く書かれてきた年長の方が贈呈先をアドバイスしてくれました。
   
1)これまで指導をしてくださった方へ
   
2)「読んでもらいたい」と思う人へ
   
3)個人的なつながりで著書を送ってくれた人へ

なるほどと思う面もありますが、同時に「この基準では目安にならないな」という気持ちにもなりました。1)の指導について、どのくらいのかかわりを恩義・指導と感じるのかは人によってずいぶん、違うのではないかと思いました。2)は私の場合、極端にいうと「科学技術関係の人、すべてに読んでほしい」という、過剰な思い入れがありまして、判断がやはり難しい…。3)は、助言してくださった方の場合、この形で著作をやりとりする大事な交友相手が数十人いるというので、「文化人はそんな形で交流しているのか」と驚いたというのが感想です。

私としては初刷り部数の△部すべてが、「△人の私の子ども」みたいな気持ちで、一冊残らず「読んでよかった」と思ってくれる人の手に渡ってほしいと切実に思うのです。贈呈について、私とかかわってきてくれたすべての人にできなくて申し訳ありません。でも、本書で「価値ある情報とは、おもしろくて、役に立つもの」と述べたように、本書にはそんな情報がたくさん、詰まっていると自負しています。実際に1995円という対価にふさわしいかどうか、それは読者の判断に委ねるしかありません。ということでご購読される皆様、どうぞご講評をお願いします。あ、ウエブのアマゾンで購入された方はできましたら、アマゾンでのコメント欄へのご記入を、ぜひ。できましたらよい講評を、ぜひ。…やっぱりちょっと、調子よすぎるかな??

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2012年7月19日 (木)

JST産学連携担当理事の取材

13日付に「科学技術振興機構理事 小原満穂氏に聞く 産学連携 企業の声、社会ニーズに未来 基礎研究から技術革新へ」のインタビュー記事を掲載しました。JSTは文科省の関連独法なので大学支援が中心だけど、なんとかイノベーションにつなげるべく、企業・社会に耳を傾ける工夫をしている状況を伝えました。小原理事は産学連携担当が10年強とほとんど私と重なっていて、会見などでは時々、ご挨拶していましたが、直接の取材は初めて。「そのうちしなくては」と思いつつ、JSTメーン担当の記者が別にいることもあって、遅くなってしまいました。

実際にお会いしてびっくりしたのは、JST職員出身の理事という背景もあるのでしょう、勉強熱心で、誠実な印象が強かったことです。厚いスクラップブックを抱えて取材に現れて、最後に見せてくれたところもちろん、弊紙の大学面記事も満載で。4月スタートの「大学活用法 企業の産学連携戦略」に対しても、広範な分野の企業に取材へ出向いているからでしょう、「よく(挑戦)できましたね」といっていただきました。イノベーションに向けた予算をJSTは豊富に持っていたにもかかわらず、だれもが「あ、あれは産学連携の大成功だね!」と分かる成果につながっていないことに、本当に心を痛めていました。組織の役員は官庁や企業で実績を積んだ人が就任することも多く、それは外からの視点で改革を推進できる立場という意味で大事だと思っています。でもその分野で長年きちんと活動してきた人が、組織の中から昇進して役員に就くというのも、別の意味でやはり大事だなと思いました。

それから長年、担当をしている我が身を振り返って、気を付けなくてはと思ったのは、長年やっていることにあぐらをかいてはいけない、ということです。JST担当理事のインタビューが初めてなんていうのは感心できる状況ではありません…。先日、特許関連の産学勉強会で講演をした時に、「いやあ私もこの分野に長くて、A社のあとB大学とC大学とD大学にかかわってきたのですが、こんなに活動をしている山本さんみたいな人がいるなんて、知りませんでした」といわれましたのも同様です。私は大学役員だけではなく、知財本部の若手コーディネーターやシニアなど現場とやりとりすることを意識してたはずなのに、記事に署名をけっこう載っているのに、知られていなかったんだと…。現状に甘んじずやってかなくてはいけないですね。

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2012年7月16日 (月)

出版、山あり谷あり

本を出すという憧れは多くの人が持っていますよね。私の場合はそれ以前に3冊、分担執筆(全体のいくつかの章だけを執筆する)をしていたのですが、博士研究をする段階で「これってキャリアの上では何の意味もないんだ」と気づき(本の編著者として名前が出ない)、「単独著書を持ちたい」と思いました。つまり、計画は博士課程に入る前、5年くらい前からおよそは持っていたわけです。

博士号取得が見えてきた段階で、その時点では博士研究の産学連携を中心とした本を考え、3パターンの構想を作成しました。学術書っぽいのから、記者の取材内容中心のとか、ブログ路線のとか。やたらめったら本を書いている取材先の先生が主催する、出版社の編集者の集まる会に顔を出していたので、アタックするは5社ほど。結果、全滅。冷たいこと冷たいこと。産学連携はブームを過ぎていたので、多少は予想していたけれど、「こんなプラン3パターンを持っています。よろしければ説明に上がります」とメールしたのに、大半は会ってもくれない。「ちょっとあんた! 会で3回も一緒に飲んだじゃない。なのにメールの断りの文章はたったこれだけなの?」と憤っちゃいましたよ。相手には言っていないけど。

この中には「いくらなんでもこの社は対応してくれるだろう」という【滑り止め】的なところもあって、ここはさすがに企画は聞いてくれたけど、「営業サイドがこれは無理といって…」でやっぱりだめだったのです。そうそう思い出した、ちょうどこのころ、初めて投稿した論文が「拒絶」(どう直してもこんな論文は、うちの雑誌では載せられませんよ、というきつい判定)通知が来て、辛い時期だったなあ…。

でもね、本を出している取材先先生などとやりとりしていて、だんだん分かってきました。まず、出版はどこも昨今、非常に厳しくて、売れるのが確実なものに流れているということ。その代表が、「つくった本の大半を、著者側が買い取ってくれる」パターン。近年よくみかける「○○大学の▽▽」とか「~集団、□□研究所」とかいうタイトルの、全編これ持ち上げ、という本。書いた側が買い取って、タダで関係先に配る。売れるとか売れないとかの心配を出版社はしなくていい。

もう一つ、社会科学系の研究者の名前で出している本は、公的研究資金を使っている。つまり、研究成果の社会普及という名目で、出版費用に使えるんですね。でもこの「買い取り・配布」パターン、実質的に自費出版。買い取りで成立するビジネスですから。「あの先生の本もそうなのか」という驚きが続々です。そう、自費出版を勧めてくる出版社もありましたが、「いちおうは文章のプロで、本業がらみの本を出すのに100万円も200万円も持ち出すのはちょっと…」。でも、事例としてあげられたケースから、「△社の元□研究所長でも自費出版なんだ」と、改めて商業出版に持ち込むことの厳しさを実感です。それで「私の企画が通らないのは、私に能力がないからではないのね」と納得しました。「まあ、そのうち何か考えられるようになるだろう」ととりあえず、棚上げにしたのでした。

それから1年ほどたってからでしょうか、まったく関係ないルートで「産学官連携の本を出したので、著者インタビューをお願いできませんか」と、共著者の1人から声がかかって、普通の仕事として実施。意外にもその著者がキーパーソンで、同時に一面トップをもらって帰ったうえ、その後の関係につながっています。そして、その本の出版社の編集者Aさんから「先日は記事をありがとうございました。お礼方々、情報交換をいたしませんか」と連絡があり、「あ~ら前回、断って来た(自費出版まで進めてきた)Aさんが担当した本だったのね」と気づいたのでした。

実際に会って、「最近、こんな本が研究者に受けている」「こんなテーマなら読者ニーズがあるはず」などディスカッションをする中で、私の企画も、産学官連携だけでなく、産学官連携と技術のコミュニケーションに焦点を移せば、いけそうだとなりました。この時点で私は、以前の経験から「私の希望は伝えて意見交換はするけれど、まあ多少のことだったら出版社の意見を受け容れる形で、とにかく出版を実現しよう」と心を決めたのでした。

とまあ、こんないきさつで、出版社は日刊工業新聞社ではなく、丸善出版になったのでした。実現してみれば、社外から出した方が身内びいきはないということが明白だし、丸善出版は理工書で評価が高いし、担当者とはうまくコミュニケーションできているしで、よい形となりました。

ぶつかりがまったくなかったわけではありませんけどね。本のタイトル、書名もその一つです。「研究費が増やせるメディア活用術」というタイトル。刺激的だし、読んでいただいた方は分かると思うけれど、ちょっと内容とずれている面があるでしょう? 「技術コミュニケーション力を磨いて、メディアを活用するノウハウを教えます。その結果、きっと研究費も増えるでしょう」という内容だから。でも、何回もやりとりした結果、「営業戦略としてはこの方がいい」といわれ、「私のことをまったく知らないない人も手にとってくれるきっかけになるだろう」と、このタイトルを受け入れることにしました。「コミュニケーションをしながらの共同作業は、大事なものは曲げない一方で、ある部分は譲りながら」ですよね。このタイトルゆえ、私自身、このことを決して忘れないでしょう。初心忘れず。あとは読んでくださった方から「研究費が倍増しました!」という報告を待つ、ということにいたしましょう。

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2012年7月13日 (金)

秋山仁の算数・数学おもしろランド

10(火)一面で同タイトルの動画付記事を載せました。個性派数学者、秋山仁先生が、こどもの数学理解促進のために作ってきた500-600点! もの所有教材の中から40点ほどを、東京理科大(先生は4月から理数教育研究センターのセンター長です)の近代科学資料館で展示するという記事です。新聞紙面は、体全体を使って教材を動かしている先生の写真と説明文で、「日刊工業新聞電子版」(PCや携帯端末で見る)では先生が説明する動画も見られる(電子メディアの担当者がビデオ撮影したのを、管理がしやすいユーチューブにアップしてリンク)形になっています。動画は4月スタートの電子版で可能になったもので、とくに私たち科学技術部記者のネタで積極的に試みているところです。

私は理数教育研究センターの取材時に、それらの教材を目にして「これは大人にもおもしろい」と驚き、「こんな被写体が出てくるのだったらカメラを持参するのだった」と悔やみ、「先生はどうやらカメラが入ると思っておしゃれをしてきてくれたようなのに、申し訳ない」と反省です。実は、有名人の取材ってそれまで好きじゃなかったのですよ。取材先はこちらを「タダのライター、ワン・オブ・ゼム」としか見ない傲慢さを時々、感じるから。でも先生は、最初に名刺を渡したあとはそれを見ずに、「日刊工業新聞」とうちの新聞名(日本工業新聞とか間違えられることが多い)も私の名前もちゃんと言ってくれたので、それもまた感激しまして。そのため、夏休み向け展示の企画を知って、「よしっ! 私の初めての動画記事を企画しよう」と張り切った次第でした。

実演・講演に慣れた先生の被写体ぶりに心配はないとして、「どうだろう」と思ったのは取材する私の映り方です。取材前にビデオカメラ担当者に「私も映る? ちらっとか? どれくらいかな?」って聞くの、恥ずかしいじゃないですか。だからそれは聞かず、「なんか張り切っていない?」と揶揄されない服装で行きました。定番の黒Gパンで。結果。ちょっと映っています。ユーチューブ【世界デビュー】。やっぱり次回はスカート姿にしよう。

驚いたのは、先生との会話型の取材音声です。以前、社内協力で大きなシンポジウムのコーディネーター役をしたときのビデオをチェックしたことがあります。その時は「まあまあじゃん」と思ったので、今回はあまり心配していませんでした。でも、大勢を前に気張ったコーディネーター役と、普段の(今回のような楽しい)取材ではこんなに違うのかと…。愕然としちゃいました。「へーっ、へーっ」とか「ほう、ほう、ほう」とか、間の抜けた間投詞が多いし(先生の説明に感心しているのですが)、言葉を発する部分は早口すぎるし。情けない。

ということで、ユーチューブには7点もの画像が載ったのですが、どの部分に私が出てくるかは、皆様にお知らせしないことにします。次回、キャスター張り?の被写体で登場できたら、お教えすることにします。ということで、次の動画ネタを探さなくっちゃね…。

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2012年7月 8日 (日)

「若い世代へ伝えたい」という思い

「記者はあくまで第三者。取材で相手の意見に疑問を持ったとしても、意見を戦わせることはしない。反論の意味を含ませた質問をして、相手の主張が強い場合は受け流し、ほかの共感した部分だけを使ってインタビュー記事などに仕立てる」。記者の作法って、そういうものだと私は思っていました。40代初めまでは。そして報道記者のかなりの人が、年長者を含め「そう、これが記者の作法だ」と思っているのではないかと思います。

私の場合、この考えが変わり、〔人生の転機を自ら作り出す〕ことになったきっかけは、産学官連携の陰と陽に専門記者としてかかわることが増えたことにありました。利害がぶつかる産、学、官のそれぞれの立場の本音を耳にして、共感と反感が頻繁に入り交じるようになったのです。

当時、「産学官連携専門の新聞記者、という意味ではおそらく日本に一人しかいない。記事を通して社会に大きく貢献している」という自負が芽生えていました。けれども、産学官連携のきれいごとではない部分を放置しているのに後ろめたさも感じていました。そして、「産学官連携という新しくて重要な社会の動きに、他の人にはない知がある。理工系出身者としてばくぜんと憧れていた博士号が可能ではないか」という希望とともに、「単純な〔情報〕を左から右へ受け流すのではなく、現場を深く知る第三者の私だから可能な、課題解決に向けた提案と発信こそ、すべきではないか」という考えが動き始めました。2006年の秋のことでした。

簡単な取り組みではありませんから、およそ8大学8教員を訪問して研究計画を練ったうえで、07年10月に大学院へ社会人入学し、研究と記事で相乗効果を出す活動を開始しました。「大学発ベンチャーの経営系・技術系対立を解消する」という課題解決に向けた取材・執筆が中心です。単独連載を約2年、4部に分けて比較的、大きなスペースで連載し、関連のニュースも大量に獲得して記事にしてきました。なんといっても弊社の皆の理解あってこそできる活動ですから、「研究だなんていって、仕事に手を抜いているじゃないか」といわれないよう注意も払いました。

研究の材料は、記事に使った内容(分析とインタビュー)です。「これほど職業上の活動と相乗効果を出した、社会人の博士研究(技術系研究職は除く)はないでしょう」とある教員にいわれたほどです。社会人の場合、このような相乗効果の設計が大きなポイントになると感じています。3年半後、11年3月に博士号取得。その1年3カ月後に、関連テーマで今回の初著書刊行。実はこの書籍執筆の希望も、大学院入学前から持っていたもの(途中、どう形が変わってきたかは後日、記します)なのです。

職業人の日常生活は日々、小さな山あり谷ありです。ミスをしたり、方向転換を余儀なくされたり、批判を受けたりします。反省を胸に刻みつつ、気分転換をして元気を回復する。これの繰り返しです。

その一方で、初志貫徹に向けて、なにくそという気持ちで、全力を傾けてがんばるしかない時期というのも出てきます。博士研究と出版に取り組んだ時期は、まさにそうでした。何度か訪れるショックに対しても「こんなことは何でもないことだ。私はちっとも傷ついていない」と呪文のように唱え続けて、石にかじりついて粘らなければならないのです。自分にとっても、社会にとっても意味のある何かを成し遂げるには、熱意と誠実さ、そして〔粘り〕がどうしても必要です。

残念ながら、挑戦は成功するとは限らない非情さを持ち合わせています。勤務先支援型でない個人の活動で、博士号取得を断念する社会人は少なくありません。今回の出版も、5社に持ちかけてよい返事がもらえず、一度は棚上げにしています。30歳代には、子どもを持つことや、純文学の小説家になることで、何年も努力をしたうえで前向きに諦めています。自身の体調や、職場や家庭の状況、東日本大震災のような災害など、どうにもならないことも起きます。それでもなお、本当に大切だと思うことに取り組むことが、自身の人生の財産になってくるのだと思うのです。

今回の著書「研究費が増やせるメディア活用術」では、エピローグをはじめ随所にこのような思いをちりばめています。「職業人として一区切り、胸を張れるところまで来られた」という喜びを思うと、仕事を中心に私かかわってくれたすべての人に対して、感謝があふれてきます。そして、職業人としての存在感をこれから確立していくべき若い人に、何かしらを私から吸収してほしいという気持ちにつながるのです。本書はその意味で、力を発揮してくれるのではないかと思っています。人生にとって大切なことを、上の世代や周囲から受け取って、自らの個性で発展させてより豊かにし、それを若い世代に伝えていく-。それができる年齢と経験を重ねてこられたことに、改めて感謝をしたいと思います。

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2012年7月 5日 (木)

「研究費…」のプロローグから一部改変

「どうして伝わらないのだろう」という思いは、とても悔しいものですね。「これはすばらしい! あの人にも知らせなくっちゃ」と相手のことを思ってすぐに対応し、わくわくしながら報告したのに、相手の反応が今ひとつ、という時など本当にショック…。こんなに画期的な、驚くべき情報なのに、なぜ?
 
相手の関心が自分の関心と違っていたのかもしれません。内容が高度すぎて相手はついてこられなかったのかもしれません。昨日会見があった、ヒッグス粒子の研究など、このような理由から研究者と一般の人の反応の差が起こりがちでしょう。けれどもうまく伝わらなかった時に、こんなふうに考えてみてはどうでしょうか。「相手がよく理解できるように伝えられなかった、自分が悪かった」と。

記者の場合、読者が記事を目にする前に、社内でデスクが原稿をチェックしますが、「この文章では何をいっているのかわからないよ」と指摘されることが少なくありません。私は原稿をボツにされないために、緊張しながらデスクとやりとりし、手を変え品を変え必死に説明します。するとほとんどの場合、理解してもらえるように状況が変わります。つまり、最初に伝わらなかったのは、私の文章表現が不十分だったため、ということが悲しいけれども、明確になってしまいます。私の口頭説明で納得がいったデスクに「最初から、そういうふうに書けばいいじゃない」といわれ、「そういうふうに書いたつもりなのに」「でも、伝わらないのではやっぱりしょうがない」と反省するわけです。

ュニケーションがうまくいかない場合、つい「相手が分かってくれなくてがっくり」となりがちですが、「自分の力量が低くてがっくり」と思わなくてはいけませんネ。なぜなら、自分の問題ならば、努力でいくらでも変えられるからです。先のデスクとのやりとりでいうならば、「こんな難しい技術、そうそうわからないよね。分からなくても仕方がない」と思ってあきらめるところだったのを、「こんな難しい技術でも、工夫をすればわかってもらえるんだ」という喜びに転換し、前向きに努力するということです。

 何かを伝える前に、「相手の受け止め方を想像する」訓練は有効です。記事でも、ブログでも、研究計画書でも、プレゼンテーションでも、すべてのコミュニケーションで同じです。昨今は個人がネットなどで発信できるようになり、多くの人が情報の受信者であるだけでなく発信者であるという経験をしています。それだけに、相手の立場を考えて工夫をすることは比較的、たやすい、楽しい取り組みです。山本佳世子著「研究費が増やせるメディア活用術」を、ぜひ楽しく読んで活用してくださいね!

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2012年7月 1日 (日)

刊行!「研究費が増やせるメディア活用術」

「せっかくおもしろい技術なのに、そのコミュニケーションでは伝わりませんよ」。科学技術関係の取材ではこういいたくなるケースに時々、出会います。さらに近年、理工系大学院の授業や産学官連携の講演のチャンス、技術コミュニケーションをテーマにした博士研究などを経て、私は自身のノウハウを広く伝えたいと思うようになりました。
 
この気持ちから執筆した初の単独著書、(「研究費が増やせるメディア活用術」(丸善出版 税込価格1995)がこのほど刊行になりました。技術にかかわる専門家と、その分野の専門家ではない人とが知識や思いを共有する〔技術コミュニケーションの手法〕を採り上げたノウハウ本です。実例や私の記事も多用しています。読者には、大学や公的研究機関、企業の若手・中堅研究者や学生を想定しましたが、研究企画、社会連携、広報の担当者や、産学官連携のコーディネーターなどにも、参考になると考えています。

以下、本書の各章と、一部の節タイトルを記します。

1 相手のアンテナが反応する時
 価値があるのは〔役に立つ〕か〔おもしろい〕か/画期的なものは異分野融合でしか出てこない/資金提供側の期待するもの/技術とコミュニケーション力で鬼に金棒

2 記事に採用されるリリースを書く
 
リリース(記者発表資料)配布でも掲載ゼロ/研究発表は三角形、新聞記事は逆三角形/〔正確さ〕より〔わかりやすさ〕/研究成果のエッセンスを要旨にまとめよう/要旨の具体事例

3 報道の特性を押さえてマスメディアをフル活用する
 
メディアによる記事比較事例/一般紙と専門紙、全国紙と地方紙/メディアが順次、扱ってくれるケースとは/発表希望時のいろは/記者クラブが会見を仕切る意味  

4 記者を敵に回さず、味方につけよう
 
記者は個性で記事を書く/素人の会社員でコウモリ種族/オリジナル取材決断の当落線上/シンポジウムは掃いて捨てるほどある/問い合わせの対応でボツか採用か決まる

5 インターネットやアンケートは玉石混淆 

6 「これは!」という話をどう引き出すか  

7 大学と企業、文化が違う相手と付き合う 
捕らぬ狸の皮算用でもめる/利害渦巻く専門家同士の交渉ごと/組織を渡り歩いて力を磨くコーディネーター/大学発ベンチャーの発明者vsプロの経営者

8 熱意とプレゼンテーション力で心をつかむ
 
「私は専門家ではないのですが」/学会と違う記者会見での質問

9 コミュニケーションのトラブルを乗り越えて
 
リスクコミュニケーションに正答はない/求められるのは「真実」よりむしろ「安心感」

アマゾンURL:

http://www.amazon.co.jp/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%B2%BB%E3%81%8C%E5%A2%97%E3%82%84%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%B4%BB%E7%94%A8%E8%A1%93-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E4%BD%B3%E4%B8%96%E5%AD%90/dp/4621085387/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1338710561&sr=8-1

ウエブのアマゾン(送料は無料)や書店でのご注文をご案内していますが、そのほかの広がり策もあれこれ検討しています。皆様にお願いです。書評やメールマガジンでのご紹介が可能そうでしたら、ご連絡いただけませんか。配慮できる工夫をいたします。また、講演の企画と併せて本をご紹介できるといいなとも考えています。技術コミュニケーションにかかわる産学官連携、大学広報戦略、社会人博士学生の研究・教育、化学系の研究と社会などが講演可能なテーマです。

本書執筆はプライベートの活動ですし、こんなご提案はごく一部の親しい方にすべきものだとは思うのですが、これを機に! 少し広く呼びかけてみようかと思って記しました。なぜなら山あり谷ありを乗り越えて、本当にようやく、刊行にこぎ着けたのですから…。この山あり谷ありについては、次回以降にご紹介しますね。

本書執筆を通して、私の本業に加えるべきライフワークが「技術コミュニケーション」に固まってきたことを実感しています。今後とも皆様のご指導・ご鞭撻のほどをよろしくお願い申しあげます!!    

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