「研究費…」のプロローグから一部改変
「どうして伝わらないのだろう」という思いは、とても悔しいものですね。「これはすばらしい! あの人にも知らせなくっちゃ」と相手のことを思ってすぐに対応し、わくわくしながら報告したのに、相手の反応が今ひとつ、という時など本当にショック…。こんなに画期的な、驚くべき情報なのに、なぜ?
相手の関心が自分の関心と違っていたのかもしれません。内容が高度すぎて相手はついてこられなかったのかもしれません。昨日会見があった、ヒッグス粒子の研究など、このような理由から研究者と一般の人の反応の差が起こりがちでしょう。けれどもうまく伝わらなかった時に、こんなふうに考えてみてはどうでしょうか。「相手がよく理解できるように伝えられなかった、自分が悪かった」と。
記者の場合、読者が記事を目にする前に、社内でデスクが原稿をチェックしますが、「この文章では何をいっているのかわからないよ」と指摘されることが少なくありません。私は原稿をボツにされないために、緊張しながらデスクとやりとりし、手を変え品を変え必死に説明します。するとほとんどの場合、理解してもらえるように状況が変わります。つまり、最初に伝わらなかったのは、私の文章表現が不十分だったため、ということが悲しいけれども、明確になってしまいます。私の口頭説明で納得がいったデスクに「最初から、そういうふうに書けばいいじゃない」といわれ、「そういうふうに書いたつもりなのに」「でも、伝わらないのではやっぱりしょうがない」と反省するわけです。
コュニケーションがうまくいかない場合、つい「相手が分かってくれなくてがっくり」となりがちですが、「自分の力量が低くてがっくり」と思わなくてはいけませんネ。なぜなら、自分の問題ならば、努力でいくらでも変えられるからです。先のデスクとのやりとりでいうならば、「こんな難しい技術、そうそうわからないよね。分からなくても仕方がない」と思ってあきらめるところだったのを、「こんな難しい技術でも、工夫をすればわかってもらえるんだ」という喜びに転換し、前向きに努力するということです。
何かを伝える前に、「相手の受け止め方を想像する」訓練は有効です。記事でも、ブログでも、研究計画書でも、プレゼンテーションでも、すべてのコミュニケーションで同じです。昨今は個人がネットなどで発信できるようになり、多くの人が情報の受信者であるだけでなく発信者であるという経験をしています。それだけに、相手の立場を考えて工夫をすることは比較的、たやすい、楽しい取り組みです。山本佳世子著「研究費が増やせるメディア活用術」を、ぜひ楽しく読んで活用してくださいね!
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