「どんな記事になりそうか」と心配な時は
技術コミュニケーションの講演(時間外活動)で、質疑応答が講演と同じく1時間も要する経験をしました。「研究費が増やせるメディア活用術」の本の内容を使ったのですが、立場的にはその研究費を「配る」方の独立行政法人でした。組織全体の広報部門以外に、各部局の中に広報担当者をおいているという、広報活動にとても力を入れている組織だったので、少し緊張していったのですが、それでもこんなにたくさん、質問が出るとは思いませんでした。それも答えが難しいものが多くて。「個々の記事がどれくらい、読まれているかのチェックは?」とか「広告主との関係で記事が難しいことなどあるか?」とか。こちらの答えもしどろもどろ、取り繕えないまま、まあよくいえば正直に、言葉にしてしまうという感じでした。
このうち、「そうだ、そうなんだよね」と思った、価値ある応答があったのでご紹介します。それは「記事を事前に見せない理由」として、報道の記事は広報機関誌の記事と違うのだという説明をしたのがきっかけでした。「このような違いを説明してもなお、研究者が、どんな記事になるかと心配する場合はどうしたらいい?」と食い下がられまして。「新聞記事そのものは事前にお見せできませんが、こんなふうな記事になります、と概要を説明することはあります。そうすると多くの場合で、『なるほど自分の意とまったく違う形で採り上げられることはなさそうだ』と安心してもらえる気がします」といいました。
ここまでは、これまでも話していた内容なのですが、はっと気づきました。駆け出し記者の時代に、上司にいわれていたことです。それは、【取材の最後に、『今日の先生のお話の確認ですが、こうこうこういう内容で、ポイントはこことそこですね』と、復習してくる】というものでした。経験の浅い記者では、自分でわかったつもりでいたけどいざ、帰社して執筆しようとおもったらうまくまとまらない、ということが起こるので、その対策だと思っていました。でも、これは確認を受けた取材相手にしても、安心するものですよね。ほぼ自分のいったことが理解されているな、って。実際に、「いやいやポイントはそこではなくて、こうこうなんですよ」と返されて、頭を整理し直すという経験もあったと振り返ります。
けれども年長になると、こういう【復習】はいつのまにかしなくなっていました。よく知らないテーマで「これは厳しいな」と取材しながら思った時は、自然に確認を最後に入れるという行為が、あることはあります。でも、あまりきちんと意識していなかった。…と取材する側として反省です。
そしてこんな昔話をしつつ、今回の質疑に答える方向に話が進みました。「研究者など、取材を受けて心配な時には、最後に『全体をまとめますと、~で、ポイントはAとBということで、ご理解いただけましたか?』とインタビューアに返してはどうでしょう。辛口の分析記事などを計画している場合は微妙かもしれませんが、一般的な取材であれば有効だと思います」と持っていったのでした。
たった一つながら、たくさんのことが含まれた質疑応答となりました。質問者の求めるものに結果的に答えられたし、技術コミュニケーションのノウハウ集に一つ追加ができる内容を見つけたし。私自身、初々しいころの思い出にちょっと浸ったうえ(笑)、「いやいや、今だって必要なときにはこの形をとらなくちゃ」と襟を正すことにもなりました。質疑応答をはじめ、予想外の展開というのはちょっと怖いものですが、そこで思いもしなかった重要なことが見つかるかもしれません。その場で反応しなくてはいけないコミュニケーションの魅力を、改めて感じるチャンスとなりました。
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