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2014年2月

2014年2月21日 (金)

広報誌の絞り込みを希望

費用対効果だけでなくて、「それをする社会的意義」を大学など公的機関は、重視していますよね。それはよくわかります。でも、「なんだかなあ」と以前から思っていたのが、広報誌の多さです。大学ならそうですね、企業や一般向け、高校生向け、学生の親向け、卒業生向け。全学のもあれば部局ごとの冊子も出ています。内容は研究成果紹介、学生活動報告、大学案内の拡大版、就職関係、学長ら幹部インタビュー。「広報活動が大事だ」との意識で、近年は外部のプロに頼んだりして質も上がっているようです。でも。いろいろ、いろいろ、ありすぎです…。

費用対効果を大きくするよう、もっと関心ある対象へ部数も絞って、届ければいいと思うのですが、吟味しているのでしょうかね? 何かしようとすると必ず「お金がないので」とどこもいうわりに、放置されている大きな無駄がある…。文部科学省の記者クラブで毎日、毎日、配布されてくる広報誌(リリースはまあ、物品コストはかからないので今は置いておくとして)だけに気になってしようがないのです。

それだけに、少し前に東洋大学が発表した、大学案内ウエブ化には「おお」っと思いました。
http://www.toyo.ac.jp/nyushi/

「例年、約14万部の願書と約50万部の大学案内を発行してきました。それらを積み上げると、その高さは4,000メートルにもなります。入試情報の発信、出願・入学手続までをWebに
移行することで、受験生の利便性の向上に加え、大量に消費し続けていた紙を削減。省資源化への取り組みとしても大きな効果を上げています」とここには書かれています。

私はもちろん、印刷物が好きです。自分の新聞記事、入社20数年ずっとスクラップしています。人や考え方を採り上げた、一般紙や雑誌の記事も、10年前のを改めてみて「いいな」と振り返ったりもします。本は、読みおえたらリサイクルするものと、大切に置いておくのと二極化です。大学案内のようなものは、無料配布でなくて1冊200円にするという案はどうでしょう。本当にその大学を受ける気がある学生なら、200円で入手して、勉強の合間にそれを開いて「ここに進学するぞ」と意を新たにする。そういう形が好ましいのではないかしらん。

思いは「論文(の数)至上主義」の問題にもつながります。論文で研究者の評価がされるからと大量生産される傾向にありますが、ほとんど読まれていない論文というのがどれだけあることでしょう。いえ、被引用件数の多い論文だけでよいといっているわけではありません。引用が少なくても、知の蓄積のうえで重要な論文は、きっちり保存し、活用できるようにしておかなくてはいけません。だけど、一つの論文から派生させただけの中身の薄い論文で、数だけ膨らませるという傾向はちょっと、ねえ。

意味のあるものを、大切に扱いたい。「広報誌の効果を考えて」と私がいう背景には、そんな思いがあるのです。

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2014年2月14日 (金)

JSTが大学発・独法発VBに出資する

「JST25億円出資 5年 長期でVB成長支援」を、2014.2.10付の日刊工業新聞の科学技術・大学面に掲載しました。JST(科学技術振興機構)の研究開発事業による成果を生かしたVBが対象で、1件・社で1億円ほど出資をして(増資を含めて資本金の一部を出す)、株主としてVB(ベンチャー企業)成長を支援しますという話です。1年前の補正予算で確保された原資で、14年度から5年間で25億円が出資にまわします。昨秋の法改正で可能になったので、その詳細プランを記事にしました。

この話、どうでしょうか? VBを考える、または起業間もないVB(起業後も対象ですよ!)大学教員などにとって、魅力的なものかどうか。気になります。私は記事に書いたように「用途限定の補助金でなく、自由度の高い出資金」であって、「市場の見通せない創業期に出資してくれるベンチャーキャピタルはほぼ皆無」ということを考えると、けっこういいのではと思います。発明者と仲間で起業するとなった時、お金集めが楽勝というケースは少ないと思うので、候補として考えてくれるのではとないでしょうか。

JSTは基礎研究支援など手広くやっていて、大学関係者の間でも信頼感があるでしょ?  これに対して、一般のベンチャーキャピタルは会社であり、それも「上場もしくはM&Aに持っていって、利益を得る」というビジネスを前提に、VBを支援するのもの。JSTはそれとは全然、違う。VBの希望を受けて、株式譲渡する(出資を引き上げる)ことも大いにありのようなので、「キャピタルに乗っ取られる」心配はないでしょう。JST側は「出資してほしい、とどれくらいの希望が寄せられるかわからない。宣伝もこれからだから…。この記事をきっかけに多くに知ってほしい」といっていました。

JSTは親しい人が大勢いる(大学や官庁の幹部経験者も含めて)、今の私の担当としては貴重な機関なのですよ。とはいえ、JSTの大きな方向性は文科省が決めているし、研究成果はJST発といっても、「JSTに研究資金をもらった大学などの研究者が、出した成果でしょ」といわれたりする。そのため、バッチリの取材対象として記事を書くのが、難しい面がありました。それだけに嬉しい記事です。これだけでは「取材先に目が向いている」とおしかりを受けそうですが、この記事はまさに、「記事を通じて、知らなかった情報を得た読者が、自らのプラスになるよう動く」元になりますから、新聞としての役割を果たしていると自信をもっていえる記事です。ぜひとも多くの対象の大学・独法VB関係者に反応してもらって、日刊工業新聞&私自身の多くの利害関係者(ステークホルダー)にハッピーになってもらいたいと思います。

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2014年2月 5日 (水)

小保方さんはリケジョなのか?

弊紙でも「リケジョ小町」という人気一面企画を連載しているので、このテーマはちょっとブログで書くのを遠慮していたのですよ。でも、このほど小保方晴子さんがSTAP細胞で大きな成果を出して、リケジョつまり「理系女子」の躍進といったメディアの採り上げ方が目についたので、筆をとる、いやPCキーをたたくことにしました。

昨今はノリのよい元気な女性をひっくるめて「女子」と、自らまたは周囲が呼んでいますよね。例えば70歳代のアクティブ女性が「今度、女子会をしましょう」といったりもして。でも、私はちょっと抵抗がありますね。「女子」という言葉は「女の子供」。かわいいから多少、社会的におかしくても許される、という雰囲気。女子と自称する時も、周囲が使う時も、その感覚があるのではないかな、と感じます。

私は「女子」という言葉は、学生までだと思っています。本当は19歳までといいたいところだけど、社会的に自立する社会人になるまでは許容しましょう。「社会人の場合は、【女性】と称して」と、親しい相手と話になった時には、言っています。「遊び半分の単なる呼び方だから、うるさいこといわないで」との意見もあるかもしれません。でも、【名は体を表す】。名称が示す強いイメージにひっぱられてしまうことを、心配するのです。

例えば、職場(研究室を含む)で大失敗をした場合。皆の前で泣いて、周囲の男性は何もいえなくなってしまう状況をつくるのが、女子。トイレに駆け込んでこっそり泣くが、自らきちんと後始末をするのが、大人の女性。私は学部、修士時代の実験ミスや、駆け出し記者時代の上司の叱責に対して、そう思って歯を食いしばっていましたよ~。

だから、「小保方さんは、リケジョつまり女子学生の憧れる人」であって、「本人はリケジョではない」といいたいところ。女子が憧れるのは、年長の女子ではなくて、大人の女性であってほしい。

文系だって同じです。最近、就職活動中の学生について、いろいろな教職員と話をします。その中で、当事者の女子学生にはこう伝えたい、と思うのです。「キャリアに悩んで辛いでしょうけれど、今は親や教員に守られてきた〔女子〕を卒業する時。がんばって。これからは判断も責任も、一方で人生の充実も社会への影響力も、すべて自ら引き受けていける、魅力的な女性になってくださいね」と。

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