広報誌の絞り込みを希望
費用対効果だけでなくて、「それをする社会的意義」を大学など公的機関は、重視していますよね。それはよくわかります。でも、「なんだかなあ」と以前から思っていたのが、広報誌の多さです。大学ならそうですね、企業や一般向け、高校生向け、学生の親向け、卒業生向け。全学のもあれば部局ごとの冊子も出ています。内容は研究成果紹介、学生活動報告、大学案内の拡大版、就職関係、学長ら幹部インタビュー。「広報活動が大事だ」との意識で、近年は外部のプロに頼んだりして質も上がっているようです。でも。いろいろ、いろいろ、ありすぎです…。
費用対効果を大きくするよう、もっと関心ある対象へ部数も絞って、届ければいいと思うのですが、吟味しているのでしょうかね? 何かしようとすると必ず「お金がないので」とどこもいうわりに、放置されている大きな無駄がある…。文部科学省の記者クラブで毎日、毎日、配布されてくる広報誌(リリースはまあ、物品コストはかからないので今は置いておくとして)だけに気になってしようがないのです。
それだけに、少し前に東洋大学が発表した、大学案内ウエブ化には「おお」っと思いました。
http://www.toyo.ac.jp/nyushi/
「例年、約14万部の願書と約50万部の大学案内を発行してきました。それらを積み上げると、その高さは4,000メートルにもなります。入試情報の発信、出願・入学手続までをWebに
移行することで、受験生の利便性の向上に加え、大量に消費し続けていた紙を削減。省資源化への取り組みとしても大きな効果を上げています」とここには書かれています。
私はもちろん、印刷物が好きです。自分の新聞記事、入社20数年ずっとスクラップしています。人や考え方を採り上げた、一般紙や雑誌の記事も、10年前のを改めてみて「いいな」と振り返ったりもします。本は、読みおえたらリサイクルするものと、大切に置いておくのと二極化です。大学案内のようなものは、無料配布でなくて1冊200円にするという案はどうでしょう。本当にその大学を受ける気がある学生なら、200円で入手して、勉強の合間にそれを開いて「ここに進学するぞ」と意を新たにする。そういう形が好ましいのではないかしらん。
思いは「論文(の数)至上主義」の問題にもつながります。論文で研究者の評価がされるからと大量生産される傾向にありますが、ほとんど読まれていない論文というのがどれだけあることでしょう。いえ、被引用件数の多い論文だけでよいといっているわけではありません。引用が少なくても、知の蓄積のうえで重要な論文は、きっちり保存し、活用できるようにしておかなくてはいけません。だけど、一つの論文から派生させただけの中身の薄い論文で、数だけ膨らませるという傾向はちょっと、ねえ。
意味のあるものを、大切に扱いたい。「広報誌の効果を考えて」と私がいう背景には、そんな思いがあるのです。
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