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2015年6月

2015年6月28日 (日)

「国立大、文系廃止」ってメディア過剰反応では?

「文部科学省が国立大文系学部の廃止を強要する」みたいな報道が多数、出ていますが、私はこれ、実態はそんなにおおごとではないと感じています。で、「どうしてこんなふうになっているのかしらん」と不思議に思っていました。それで国立大学法人支援課の担当者に、いきさつを確認。さらに某国立大学長の感じたところの話と合わせ、私が「これが本当のところでは?」という内容を、時系列的に振り返ってみます。

・まず5/28付に産経新聞に記事「文科省素案 再編促す 国立大の人文系縮小」が掲載。私も目にした時、気になった記事ではありました。27日に「国立大学法人評価委員会」で、第3期の国立大学中期目標期間(2016年度スタート)に求める方向性の通知(これは法的に定められている)内容の素案を出して、ここではメディアはあまり参加しておらず、産経の抜きのような形になったとのこと。記事は、このことに焦点を絞っているけれど、「素案全体としてはこんなことが採り上げられている」と示してもいて、リーズナブルな記事です。

・これが本決まりになっての各大学への通知が6/8にされました。この時に記者クラブでもリリース。ただし。この部分に触れたのは、「全体23頁のうち、1頁の中の4行」に過ぎません。以下のウエブサイトの6頁に載っています。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/062/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/06/16/1358924_3_1.pdf

具体的には以下のこれだけです。~~~~~~~~~~~~~~~~
1)「ミッションの再定義」を踏まえた組織の見直し「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。
特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・ところが、翌日6/9付で各紙がこぞってこれを「ニュース」として採り上げました。朝日は10日付社説も即掲載です。私は「なになに、あの通知以外にすごい資料が出ていたの??」と焦りました。担当者は「資料はこれだけ。前回の評価委員会での配付資料も、2期と3期での通知内容比較の一覧表がずらっとあるだけですよ」「13年にミッションの再定義を3期に向けてやっていて、そこからの流れ。関係者にすれば別に、急に出てきた話ではない」とのこと。

・15日に国立大学協会の総会が開催。終了後の記者会見で、再任となった里見会長(東北大総長)ほかが出席。記者からのこの件についても答えます。でも。会見に出席した私の印象は「『交付金削減など、国立大が厳しい状況にあるが、これは困ったことだ』という以前からの感想と、どう違うの?」というものでした。だれも激怒なんてしていませんでしたよお。

総会では、一部に極端な激しい発言をする学長がいて。「どうしてあんなことをいうのか」と不思議に思う学長もいたようです。ですが、終了後にメディアがその学長に群がって。「メディアにしてみれば、発言を活用するのにもってこいの人なのだなと思った」といっていました。

・16日には下村大臣が直接、学長らに呼びかける会合が。ただしこの時は、国歌・国旗についての話がメディア取材でもメーン。こちらも「文科省の強要だ」という学長と、「文科省は、各大学で主体的に考えて対応してくれ、といっているだけ」という学長とある様子。文系問題よりはコチラの方が、文科省・大臣の意識は格段に強いと私は感じました。

・その後の一般紙の週刊誌風の記事では、やはり両方を会わせた形で「文科省の国立大学支配が強まる」という糾弾の論調となっています。これはまあ、この新聞の色が強く出ているということなのでしょうけれど…。

私は、「18歳人口って23年前の92年がピークで、あとはずっと減っていて、将来はピークの半分にまでなるんでしょう? 組織見直しは当たり前だよねえ」と思っています。というか、「今の状況で大学数、教員数などほとんど減っていないって、大丈夫なの? 短大含めて1132大学、短大除いても784大学ある(最新数値です)って、信じられないけれど…」と心配です。どこかを縮小しなくてはならないのなら、納税者が「税金を使っているわりに社会還元が少ない分野はちょっと…」とみるのは、仕方がないんじゃないかなあ。もちろん多様性は学術機関として大切だから、全大学からそういった分野・テーマをなくす、というのは避けなくてはいけない。けれども、ある程度は減るのが自然だし、各大学はそのことも考えつつ機能強化を進めて「メリハリある大学改革」を進めるのだろうと思っています。

なぜメディアが過剰反応なのか。それで思ったのは、「文教担当の記者の大半、社会人のマジョリティーが文系」というのがあるのかなと。自分が学んだ分野が、「役に立ってないから廃止」といわれるなんて耐え難い、と。私も、日刊工業新聞の理系出身記者ではなく、一般紙の文系記者だったとしたら…と仮定して、気持ちを想像するのでした。

この件、もう少し詳しく聞ける取材を思案していますので、様子がわかりましたらまたブログで紹介したいと思います。

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2015年6月21日 (日)

記者ワープロソフトで転換中

日刊工業新聞の新聞紙面の大幅リニューアルが近づいています。製作システムや記者ワープロソフトも一斉変更で、転換に向けて大わらわです。私は入社時は手書き原稿で、数年たって今のワープロソフトが導入され、それ以来ですから区切りとして大きさがわかることかと思います。

原稿の手書き。なつかしいですね。記事をデスクが修正するにも、赤字ペンで矢印てんこ盛り。「カット&ペースト」はパソコン画面上ではなく本当に紙を切って貼ってという作業でした。そっちが本物でしょ、ってこの手の昔話は社内でも盛り上がります。

よくテレビ番組やブームに対して、「それは何歳の時だったか」で世代差が出るといいますが、変化が急激なIT関係はなおさらかもしれません。先日、年下の同僚に「家に固定電話って、ありませんよねえ?」と当然のように話しかけられました。それに対しては「うーん。親元離れて自立した時が、固定電話が一般的だったか、携帯電話が普及していたかで違うのではない?」というのが私の返事です。「私はそのころ、携帯がなかったから固定電話を引いたよ。その権利がまだあって、光回線と一緒になって固定電話はタダのようなものだから、まあ捨てることもないかと思って持っている」といったところ、「へーっ」と感心の応答が…。年齢の差ですね。「まあっ、私もあなたみたいに若い人と一緒にしてもらえたのね」なんてわざといってみましたが。

でも年齢差を感じるおしゃべりって、こういうのは嫌じゃないですよね。上の世代だって「いやあ、俺らが学生の時には…」なんて自慢げに話してますもんね。気になるのは身体的に年齢差を感じさせるもの、かな。私、実は老眼鏡をつくる「初体験」が。うふ。あ、やっぱりこれもちょっと楽しい初めてのこととして、自慢する部分もなきにしもあらずかも。これについては後のブログでお話しします~。

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2015年6月14日 (日)

発表の記者クラブとのやりとりでご注意

発表の時にご注意を、という助言を、先日の記者クラブ幹事業務から振り返って、ブログでお伝えしようと思います。年がら年中、発表している機関は心配していませんが、めったに出てこない機関だったり、電話口で担当者が「初めてなのでよくわからないのですが」といったりすると、こちらも気をつかってあげてしまいます。

一つは、研究成果の資料配付で後日、「論文雑誌に、解禁日の設定があることがわかりました。のでまだ記事にしないでください」と連絡があったケース。今時、本当にすごいというものはウエブで即ニュースが流れてしまうもの。これは中くらいの研究成果と思うも、資料配付から日がたっているなんて、「どこかすでに出しちゃっているのでは」と心配になります。そのうえ、連絡後のファクスがなかなかこないので、「夕刊に掲載予定で進めている新聞があるかもしれませんし、早くしたほうがよいのではありませんか」と催促の電話をかけてしまいました。

もう一つは「週末にウエブアップで発表しますが、その資料を事前にお持ちします」というケース。金曜夜、冊子資料を持って来るといっていたのが遅れて、文科省の入り口が閉まり、代表電話もつながらなくなる時間が迫っていました。入館はICカードが必要なうえ、その場所も担当者は知らないでしょう。やりとりで控えていた番号に電話するもだれも出ず、録音された電話案内で「緊急の時にはこちらに…」といわれても、ねえ。それほどの緊急時ではないし…。

普通ならこの時点で、「残念だけどもう手はないよね。千葉から来るっていってたけれど、かわいそう」で終わるところ。でもこの件、先に某社某氏から「発表の連絡がありそうなので、よろしく」といわれていたものなのです。まずいな、一般紙の関心が高い案件でポカをするのは避けたい…。そこで、その記者(クラブ員)の携帯にかけることを思いつきました。すると「そうですか、じゃあ私から連絡しますよ。あの人は広報でなくて研究者なんですよ」との回答。そうかあ、慣れていない研究者なら助けてあげなくちゃね。その後は私は退社しまったので判明したのは週明けでしたが、某氏だか文科省内の役人だかが手伝ってあげたのか、知らぬ間に冊子は資料ボックスに入っていました。よかったよかった。

この件、実は途中で「そこまでしてやらなくて、いいんじゃない」という意見を耳にしました。ちょっと私には衝撃的な発言でした。資料配付できなかったとしても、向こうのミスでしょ、という意味だと思います。そうねえ、確かに私の対応は【かなり親切】だったかもしれませんが。でも、お偉いさんならともかく、人的ネットワークが重要な新聞記者ですからね。どこでどうその相手につながるかもしれないし。時間があるならこれくらしてあげてもいいのでは、とその相手に伝えました。でも。さりげなく控えめな親切で終わるところが、ついブログに、こんな大きな文字サイズで「かなり親切」と書いてしまう私でした…。

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2015年6月 7日 (日)

クラブ幹事で裏を知る一方、告白する羽目に

魔の3週間、文科省記者クラブ幹事期間(政府の動きヤマ場にぴったり重なって)が終了しました。今年は例年よりトラブルが多く、幹事としての調整だの、会見希望機関からの修正だのが相次いで大変だった気がします。

幹事をするといるいろな「裏」がわかるようになります。トラブルのあれこれが報告されて、ではどう対応するかという判断を求められるからです。クラブ員と同じ情報を得るにしても、少し早く入手できるというのもあります。なんだか偉くなった気分。本当、うっかりすると、自分は偉いんだと思ってしまいそうになりました。

それで私が思ったのは、「これってきっと、組織の幹部と同じ状況なんだな」ということでした。記者はいくらベテランになっても「現場の1記者」でいるもの(そうでなくてはいけない)で、私は管理職経験がないので今回、初めてそのことに思い至りました。たった3週間だから「自分はエライ」と思い続けることはできないけれど(笑)。組織の役職者は、「地位が人を作る」面もあれば、「周りにちやほやされて裸の王様になる危険もある」ということでしょうか。

終盤、長年のクラブの不具合(それほど大きなものではないのですが)が明らかになり、各社1人ずつ出てのクラブ総会にて、幹事の私が仕切ることになりました。不具合の報告と、その状況を解消するにあたり、「長期間、クラブに在籍しそうな人を担当にするのが好ましい」と説明し…。「どうしますかね」「我々、だいたい2年でクラブ担当をはずれるからねえ」と意見が飛び交う中、提案と告白をセットでいたしました。「よかったら私がやりましょうか。私、文科クラブに△年いて…まだしばらく、在籍させていただくことになりそうなので…」と。軽く場がどよめいて、「そんなに(長くいるの)」との声もちらり。は、恥ずかしい…。「じゃあ、山本さんにお願いすることにしようか」と話がまとまったのでした。

△年っていっても初期は、文科省担当ではなくて「産学連携担当」dしたからね。産学連携の1部局しか取材に行かず、クラブに日勤しながらも各大学への取材に出て行くのが大半だったのですよ。文部科学行政担当となったのは数年前のこと。でもって、日刊工業新聞の科学技術部のメンバーは普通、「研究3局」つまり旧科学技術庁の局を取材し、文教はノータッチ。だけど私は大学側からの研究や人材育成をみているため、旧文部省の高等局に出入りしており…。つまり、「文科省には非常にお世話になっている」わけです。そう結局つまり、「私がひきうけます」というのは、リーズナブルだったわけです。

それでも、幹事でなかったら知らん顔していたかもしれません。文科省のメーンはやっぱり、社会的関心の一番高い、初等中等教育をみている一般紙の文教担当の皆様ですから。というわけで、クラブ幹事が重なっての告白&引き受けとなりました。うー、こうなったらこれからさらに△年、クラブに居座ることにいたしますか?!

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