同僚の天野伸一さん、死去
弊紙2面の訃報欄に、同僚の死去の記事が載りました。ややはしょって転載しますと、「天野伸一氏(62歳)、18日(8/18)、肝臓がんのため死去。葬儀は近親者で行う。連絡先は日刊工業新聞社総務局(03・5644・7000)」。
文部科学省の記者クラブで7年ほど、机を並べてきました。変化が急だったんですよ。62歳だなんて、本当にお気の毒。天野さんの細かい事情(病状や家族のこと)はここでは載せないでおきますね。本人に「載せていい?」って聞いていないものですから(ココ、しんみり笑ってくださいね)。
仕事の上でとても近しい人の死去で、情報の出し方にあれこれ考えさせられました。今回、筋を通すことになったのは「死去の報告は新聞でしている。ので、訃報をいつも見る必要がある人(企業なら広報など)には伝わっている。知った人の間で情報は広がるもの。一方でこちらから状況をいってまわると、お香典ほか請求しているように見える。葬儀も内々で、遺族がお香典そのほか固辞しているのだから、聞かれたら答えるという対応」というものでした。
なるほどと思いました。きちんとした理ですよね。一方で、私の知人でマナーにうるさい人(団塊世代)は、その人の個人的意見だけれど、「訃報は、流していいか迷わずに、できるだけ早く広く伝えるべき。『知らなかった。なぜ教えてくれなかったのか』という人を減らさなくてはいけない」といっていました。これもまた、ひとつの理ですねえ。
かつての社会は、その地域や企業や業界によって決まった対応があったけれど、何事も今は、人によってどう考えるかが多様になっています。今回のようなケースでは、本人や遺族がどう思っているかが最優先になるのでしょう。それがはっきりわかっているケースはいいけれど、そうでないと…悩ましいですね。
ちなみに新聞の訃報欄。銀座のスナックのママは必ず読んでいるとかいわれるますね。取引先の動向把握が重要な職種の人も。それから弊社だとOBはよく目を通しているようです。昔の仲間の訃報がわかりますからね。私? うーん。自分で書いた訃報記事の時とか、著名人の時くらい。情報のプロとして、ここは落としちゃいけないコーナーかなあ…と迷います…。迷わないのは、「人生はどこでどうなるかわからない。パブリック(仕事)もプライベートも、いつも充実させていなくては」でしょう。常々の思いですが、改めて心に刻みたいと思います。
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