厚木高校話を、同級生の教授を通じて記事にする
「わが友わが母校」という母校の話をしてもらう日刊工業新聞の長寿連載で、同級生を登場させちゃいました! 2015.11.18付、「電気通信大学教授の羽田陽一氏、神奈川県立厚木高校の思い出を語る」といった感じです。
1年ほど前に、同大のお手伝いをした際に、「山本さん、僕のこと覚えているかな?」と声をかけられて。少し前に企業の研究者を退職して、その大学の教授に転身していたのです。厚木高校(甘利明経済再生担当大臣も卒業生だと最近、知りました)で、3年生の1年間だけクラスが一緒でした。
再会した当時から「取材にかこつけて、思い出話をしに出かけよう」って思っていました。そうしたら夏に、「11月に学年同窓会を8年ぶりに開催します」との案内が。おおお~、これはタイミングを合わすしかないではありませんか。研究成果の取材よりはるかに着手しやすい「わが友わが母校」で、羽田教授(当時は、「羽田くん」でした)と、「あのころって~だったよね」なんて話して、それを記事にするという形にしちゃいました。
実はその人とそれほど親しかったわけではないのですよ。というのは、進学校の3年次というのに加えて、男子と女子の間って難しくて。いえ、私と教授が特別どうっていうことじゃないんですけど、残念ながら(笑)。全学で女子が少なかったため、男女混合のクラスのほか男子だけの「男子クラス」というのがありました。それで、1年生は共学クラス、2年生以降は文系コースの共学クラスといったケースでは、学年でも目立つカップル(話したことはなくても知っている)が生まれます(うらやましかったなあ~)。一方で1年生は男子クラス、2年生以降は理系コース(男子クラスか、男子8割女子2割の共学クラス)といったケースでは、女子の扱いに慣れていない男子が必然的に多くなってしまうんですね。リケジョが少なかった時代です。3年生では部活も区切りが付いていて、「女子が話しかけると変な顔をする」男子もいた(ような気がする)りして、コミュニケーションが疎遠になってしまって。しょうがないですね、難しい年頃だから。でもまあ、今回の記事はオジサン、オバサンになった皆の間を、この記事がきっと盛り上げてくれることでしょう、笑。
実は取材の最後に、年齢を確認するときに迷いました。取材相手は「50歳以上」というきまりが新たにできて、間違いないと思いつつ念のために聞いたんです。そうしたら「51歳。って、同級生だから同じでしょ?!」って。そ、そうですね。いやだって私、大学に入る前に1年間、浪人したから。あ、関係ないか。大学の同級生だと「同級生といっても、相手は現役で入学しているから一つ年下」となるけれど、高校の同級生だと特別なケースを除くと同い年。でも私は誕生日をまだ迎えていないから50歳で、相手はすでに迎えているから51歳で…。と、同級生ながらその場で思案して焦る羽目になったのでした。
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