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2015年11月

2015年11月23日 (月)

厚木高校話を、同級生の教授を通じて記事にする

「わが友わが母校」という母校の話をしてもらう日刊工業新聞の長寿連載で、同級生を登場させちゃいました! 2015.11.18付、「電気通信大学教授の羽田陽一氏、神奈川県立厚木高校の思い出を語る」といった感じです。

1年ほど前に、同大のお手伝いをした際に、「山本さん、僕のこと覚えているかな?」と声をかけられて。少し前に企業の研究者を退職して、その大学の教授に転身していたのです。厚木高校(甘利明経済再生担当大臣も卒業生だと最近、知りました)で、3年生の1年間だけクラスが一緒でした。

再会した当時から「取材にかこつけて、思い出話をしに出かけよう」って思っていました。そうしたら夏に、「11月に学年同窓会を8年ぶりに開催します」との案内が。おおお~、これはタイミングを合わすしかないではありませんか。研究成果の取材よりはるかに着手しやすい「わが友わが母校」で、羽田教授(当時は、「羽田くん」でした)と、「あのころって~だったよね」なんて話して、それを記事にするという形にしちゃいました。

実はその人とそれほど親しかったわけではないのですよ。というのは、進学校の3年次というのに加えて、男子と女子の間って難しくて。いえ、私と教授が特別どうっていうことじゃないんですけど、残念ながら(笑)。全学で女子が少なかったため、男女混合のクラスのほか男子だけの「男子クラス」というのがありました。それで、1年生は共学クラス、2年生以降は文系コースの共学クラスといったケースでは、学年でも目立つカップル(話したことはなくても知っている)が生まれます(うらやましかったなあ~)。一方で1年生は男子クラス、2年生以降は理系コース(男子クラスか、男子8割女子2割の共学クラス)といったケースでは、女子の扱いに慣れていない男子が必然的に多くなってしまうんですね。リケジョが少なかった時代です。3年生では部活も区切りが付いていて、「女子が話しかけると変な顔をする」男子もいた(ような気がする)りして、コミュニケーションが疎遠になってしまって。しょうがないですね、難しい年頃だから。でもまあ、今回の記事はオジサン、オバサンになった皆の間を、この記事がきっと盛り上げてくれることでしょう、笑。

実は取材の最後に、年齢を確認するときに迷いました。取材相手は「50歳以上」というきまりが新たにできて、間違いないと思いつつ念のために聞いたんです。そうしたら「51歳。って、同級生だから同じでしょ?!」って。そ、そうですね。いやだって私、大学に入る前に1年間、浪人したから。あ、関係ないか。大学の同級生だと「同級生といっても、相手は現役で入学しているから一つ年下」となるけれど、高校の同級生だと特別なケースを除くと同い年。でも私は誕生日をまだ迎えていないから50歳で、相手はすでに迎えているから51歳で…。と、同級生ながらその場で思案して焦る羽目になったのでした。

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2015年11月15日 (日)

社の100周年記念式典で自負を持つ

2015.11.13金は弊社の創刊100周年記念式典で、多くの社員がかり出されました。私は科学技術関連の要人お出迎え、感謝の集い(パーティ)でのご挨拶回り、それから来賓のコメント集め・原稿送信と動きました。詳細は16(月)付の弊紙紙面でも紹介されますが、前半シンポジウムが約1000人、感謝の集いが約1800人という規模は、社としては初めてのものです。100年に1度、というわけです。

来賓がなかなかのものでした。文部科学省や経済産業省の幹部(政治家、官僚)に経団連や商工会議所のトップ、私でも顔を知っているくらいの日本を代表する企業のトップ…。経産省の林幹雄大臣、総務省の高市早苗大臣、環境省の丸川珠代大臣がご登壇ですよお。安倍晋三首相のビデオメッセ-ジも「よくもらえたなあ」と私は思ったのですが、実際に出席となる可能性もそれなりにあったとか。本当!? 私は【著名人礼賛】はあまりしない方なんですよ。でも「当社の大事な式典に、こういった要人が対応してくれた」ということは、社がそれだけ認知され、評価され、期待されているということの証。参加者だってそう感じてくれたでしょう。社員として、これは本当に誇らしいことです。

さらに聞いたところでは、財界要人の△氏が、「私もさまざまな周年事業に呼ばれてきたが、一社でこれだけ(幅広い分野の著名人を)集めたケースはほかにない」といってくれたとか。そうですよね~、社会的知名度とかビジネス規模とかでは、当社より遙かに上の企業が山のようにあるけれど、式典に招くとなるとどうしても、1業界を中心としたものになるからですね。先達のこれまでの努力に敬意を払いつつ、「いい仕事をこれからも、していかなくては」と励みに思いました。

記者としてはこの式典、いつもと勝手がだいぶ違いまして。「取材先の懇親会に招かれてのパターンと勘違いしないように。この日は記者もホスト、ホステス役だから。控えめに振る舞うように」とのことで、服装とか、コメント取りでの失礼のない態度をとか、指示が出ました。記者は「きちんとした職業」でないから、危ないんですね…(笑)。

私は夏冬で一着ずつしか持っていない紺色スーツと、ブラウスは「ちょっとオシャレなの」を選んでいました。ですが、幹部がたたみかけてくる「当日の心構え」で心配になって。当日朝、別のブラウスにアイロンをかけ直す羽目になりました。「ホステスって、ド派手な服装でお迎えする人じゃあ、なかったっけ」と思いつつ。

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2015年11月 8日 (日)

風邪で人生を考えた週末

風邪を引いて3日間、寝たり起きたりの週末でした。ただの風邪、でも今までと違う、というのがこのブログの内容です。それは何か? ジャンジャジャーン(笑)。

このブログでも書いているように、一般的なおしゃべりの場では「私、体力がないんですよ」というのは常々、口にしてきました。でも、社内に対しては「体力がないので、この仕事はとてもできません」という断り方は、意識してしないできました。社会人なのだから。皆、仕事優先でがんばるものだから、って。

とくに2年半前に科学技術部のキャップになった時に、「キャップの仕事はベテラン記者としてすべき仕事とされているのだから、しっかり対応しよう」という覚悟を持ちました。だから風邪を引いても、あまり表に出さないようにしていました。「キャップのくせに、体調管理もできないのか。皆がやっていることなのに、山本はできないんだな」と非難される(面と向かってこんなこというほどヒドイ職場ではないのですが、笑)ことが怖かったのです。夜中に吐いても、朝は1時間遅らせたら起きられたので、出社する。移動中にめまいがあっても、うずくまってそれからよろよろと歩き出せば、文科省クラブに戻れる、という具合です。クラブで席を並べる同僚も、今なら一人しかいないので、自分さえ黙っていればわからないんですよ。今回も社としては、100周年関連でばたばたしている時期でもあり、休みを取ることを逡巡たのですが、風邪で体調不良と明確にして休む選択といたしました。

考えを転換したきかっけは、同僚だった天野伸一さんが今夏に62歳でがんでなくなったことが影響しています。病気が判明してから1年ほど、本人は周囲に何も言わずに仕事をしていました。担当の仕事が好きだから、病気を理由に外されるのは嫌だったというのがあったようです。でも公にしていなかったから、私を含め職場のメンバーは、気を遣ってあげることができなかった。「自宅で仕事をします」というのにも、「勝手ができていいねえ」ではなく、体調不良を思って暖かい目で見てあげられたのに…。「辛いけど、それを表に出さずにがんばる」という姿勢は、美徳だけれど危険でもある。無理をして正解か? 「仕事大好き、現役で亡くなるのが本望」というならいいですよ。でも各自の価値観によって、その判断は異なると思うのです。

すみません、ただの風邪なんですよ、私の場合(笑)。でも、「ベテランならだれもがやっていること、私ができないなんて弱音を吐けない」と自分で自分を追いつめることは、もう止めよう、と思ったのです。申し訳ないです、どうしようもなくて、と開き直ることを選ぼう、と。私の父は突然死で53歳でした。とりたてての要因はなく、かなりのものだった仕事のストレスの影響は無視できないだろうと母とも話したものです。もうすぐ私も誕生日、父の享年にかなり接近となります。だから同僚の件に加えて父のことも思っての、心境の変化。「たかが風邪、されど風邪」で人生を考えた週末でした。

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2015年11月 3日 (火)

会見原稿の送信が恐怖

会社のPCや原稿ソフト、システムが初夏に一新されて、外からの原稿送信もやりやすくて完璧になる! と思っていました。それまでもなんとか、スマートフォンを使ったテザリングで、原稿を送ることをたまにしてはいました。ところが、社のシステムがちょっと複雑になった(どうしてこんな手順がいるの? みたいな難しさ)こともあり、思った以上のハードルとなってしまいました。手順を自分なりにメモしているのですが、ウエブにまずつながらない(つながりにくい)ケースが怖ろしい。「なるべく外からは送りたくない」と敬遠しているせいか、なかなか慣れず、「しまった、手順の△を先にしておけばよかった」と右往左往です…。

先日は本当に顔が引きつるケースでした。会見会場に入って先に「よし、ウエブにつながるな」と確認していたのに、原稿を仕上げて送ろうとしたら、何度やってもつながらない…。親しい広報さんが会場に残っていたのでホッ。社の原稿システムは諦めるも、ワードに転換した原稿をUSBに入れて渡し、普通のメールに添付して送信してもらおう、と頼んだところ、「機密管理の安全対策で、僕らのPCはUSBが使えないんですよ。だれか使えるPC、持っている?」と周りに聞いてくれる状態で。USB、ダメなんだあ、びっくり。別の階のUSBが使える貴重なPCまで行き、お願いしてなんとか…というありさまでした。

さらに最近、紙面の都合で扱わないつもりでいた案件を、会見会場から締め切りぎりぎりで送るようにと要請がきて、緊張でいっぱいに。ところが今度は、執筆後のウエブもあっさりとつながって。締め切り時間に余裕の余裕で原稿送信できたのでした。拍子抜け。もちろん嬉しかったですけれど~。

ウエブがつながらなかった場合の工夫を同僚に聞いたところ…無線が混雑していてすぐにつながらないこともあるので、あせらずしばらく待つ/無線が混んでいない場所(廊下など)に移動する/PCの不調かもしれないので立ち上げ直す/ホテル開催の重要案件などなら、ホテルのWiFi利用ができないかあらかじめ聞いておく…といったところ。皆様、ほかにもアドバイスがありましたらぜひお願いします~。

それにしても。私の部の主力である一回り強、下の世代は、さほど苦しんでいない様子。おっくうがらずにいろいろトライしているせいかしらん。私の場合は年齢もあるのかなあ。若い頃から、体力もないしお酒も飲まないし、PCも嫌い(入社数年後に使い始めた)だったから、「ベテランは最新鋭について行けないよ」とあまり実感していなかったのだけど。次は、新PC搭載ソフト(ちまたでは聞かない特殊なもの…)の使いこなしにチャレンジしたいところ。今まで最低限の使いようだったけど、下の世代に助けてもらって「おー、こんな便利な機能があるんだ」と進歩していくよう、がんばります。

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