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2016年12月

2016年12月30日 (金)

15-16年の大転換を振り返って

2016年は私にとって、実は大転換の年でありました。15年から引き続き抱えていたある問題が解決できたのです。ブログでも匂わせる(けど明確にはしない)形で書いていましたので、「何か悩んでいるんだな」と気づいた読者もいるかもしれません。ブログだから詳細は書けない、でも自分の辛さを何もないかのごとくふるまうのも比較的、正直な私としては(笑)不本意だ、ということでの対応でした。

状況が悪くなってきたのは15年春のこと。そこから半年くらいは、自分としての反省と改善の努力を重ねました。でも自分自身を飛躍的に高めることはできず、周辺状況は悪化の一途…。途中、親しい友人に相談したり、助言をもらったり。メールを必要に応じて、送っておいたり、受けたものを削除せず保存したり。メールは記録として残りますから、その先のことを考えて行動をし始めました。

15年末に「このままでは△△になってしまう。それは何としても避けなくては。もう自分の努力ではどうにもならない」と決断。具体的に数手を打ちました。その結果、すぐに変化が起こって、16年年初から状況が好転。そのまますべてが解決する期待も持てるほどの変化に、我ながらびっくりしました。

ところが16年春にもう一段の出来事が。「そのことはどうしても譲れない」と思ったことから、最終的な動きに入りました。最後の一手ともいえますが、それに向けて15年から仕込んできたあれこれを、できる限りのことを、ここに集中させました。「山本さんが悪いんじゃない」っていわれたらおしまいですからね。その結果、夏の終わりに大きな変化! 秋以降、心に安らぎがもたらされることになりました。今、途中経過のメモや各種資料を片付けながら、これまでを振り返っています。「もっと早くすればよかったんじゃないの」といってくれる人もいて、その通りの面もあります。でも自分としては、これくらい手順を踏んで、改善できたことに誇りをもってもいるのです。

人生においては辛い時期が時々、やってきますよね。誰でもそうでしょう。新ためて思ったのは、その苦しさからどうやって脱出していくか、ということです。基本は、自らの反省と改善の努力ですよね。でも周囲や環境を変えるための工夫も必要で、その時には心も頭もフルに使うこと! 親しい人の助言や支えを活用しつつ、どう動くかの最終判断は自分ですること。こういったことが重要かな、と思います。

経験を重ねて、なんとかよりよい対応ができるようになっている…はず。次に困難が来た時にはそうね、その時にはこのブログを読み直すことにしましょう、笑。それから以前から思っていたのですが、「辛い」と「幸せ」って字がすごく似ている。どちらも紙一重とか、心の持ちようとか、人生はあざなえる縄のごとしとか、そんなことも頭に浮かびます。どうかだれもが、辛い時期を上手に乗り越えていけますように。そんな思いで今年を締めくくりたいと思います。よい年をお迎えください。

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2016年12月27日 (火)

概算にあった産学連携支援が霧散して

「レクでの質問の声、いつもと違ってましたね」と同僚にいわれちゃいました。2017年度予算案の文科省レクの後です。概算で示されていたある新規事業の要求が、霧散していたからです。内容は、国立大学向けで、産学共創(連携)の体制整備に向けて、企画提案を企業にできる大学の専門人材雇用の70億円でした。

概算の要求は通っても半分というケースも含め、要求時より削られるのが普通であって、案件そのものが消えてしまうのは、そう珍しいことではありません。でも、この案件は記事(2016.9.29付)で書き込んでいたものなのです。産学連携の専門人材の雇用は、5年間のプロジェクト予算からの有期雇用が多く、不安定な身分に泣いている若い人が多かった。だけど官民連携のアベノミクスで、産業界から共同研究費などがっつり確保しようという国の動き(企業から大学などへの投資を3倍にする)の下、安定的な交付金でその専門人材を手当したい、という概算プランが出てきた。産学連携の関係者が「わあっ!」と思うのは当然といえましょう。

それだけに、配布資料を目にして「何よこれ!」とややエキサイトしてしまったわけです。それでも最初は、レクでの質問は控えようと思ったんですよ。消えていった案件については普通、記事にもされないですし。でも質問が一段落した時に、まだ思いが去らなかったので、挙手しました。で、つい、「イノベーションに向けて官民挙げて動き出すタイミングに…70億円がまったくなくなったのはどういう背景ですか!!」と。いえ、自分では「!!」がついていない言い方のつもりだったのですが、同僚には「!!」が伝わったくらいの言い方だったようです。

会計課の返答は「産学連携は大学自らがするもので、新たな予算措置はそぐわないという声が強かった。各大学が運営費交付金の中から手当てして実態として取り組むのはよいが、特別に予算を付けるのは…」というものでした。その後、国立大学法人支援課にさらに聞いたところ、「運営費交付金の(用途指定となる)内訳としては、国立大の機能強化や、授業料減免の方にニーズが高い。プライオリティーの点で産学連携は低かったため、落ちてしまった」ということのようです。

まあ、よく考えてみると、難しかったのは致し方ない面もあります。国立大の基盤的経費(運営費交付金など)は前年度比プラスとなりました。でもこれも「基盤的経費とひっくるめていえば」というのが実態です。内訳でみると「運営費交付金といったって、3類型をはじめ競争的色彩がより濃厚になった。強い大学はプラス、弱い大学の実態はマイナス」ということが読み取れる状態です。よって、産学連携の専門人材の恒久的な雇用費をそこから出すというのは…ねえ。やっぱり無理だったかなあ。

というわけで、がっかりした皆様。今できる次の思案に進みましょう。2016.12.15付の「政府 産学共同研究でガイドライン 教員人事・給与改革 企業資金活用で解決」は、大いにヒントになると思います。それから文科省事業のCOIも、中間評価が終わったところで、参考になる案件が明らかになって参りました。本日12.27付1面「”ワクワク感”数値に 広島大・マツダが技術」とか、12.8付1面「弘前大 生活習慣病・認知症・うつ病 半日で予兆発見」などを書きました。お正月企画も楽しみにしてください。自らの工夫に生かすために、他機関の案件、私の記事をどうぞ、ご活用くださいませ。

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2016年12月18日 (日)

連携は社内だって面倒だけど

日刊工業新聞の科学技術部は、同じ部でも各記者が「独立独歩」になりがちです。弊紙の産業担当、例えば自動車業界であれば本社の完成車担当、部品担当、名古屋のトヨタ担当、広島にはマツダ担当がいて、大事件が起こると「可能な記者は全員、会見に出向く」「顧客業界担当や財界担当が一斉に周辺を取材する」というチームプレーなのですが、科技部はそういうチャンスはあまりない。総出となるのはノーベル賞の時くらいです。

そんな中で今秋は、新しい形を模索しながらの連携取材を手掛けました。一つは文部科学省の産学連携の大型新事業、産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム(OPERA)の連載です。私は初回の東北大学のみで、ほか3大学は企画を本社から支局を通して伝え、個別に電話で趣旨を説明し、支局記者に担当してもらいました。もう一つはお正月企画で準備している△△の件で、こちらは支局に「切り口をそろえたいので、山本が東京で取材しますね」と一括して手掛けさせてみらいました。取材先の大学も幹部だと、頻繁に東京に来ているので、そのチャンスにお願いです。どちらのやり方も一長一短なのですが、それぞれどんな具合なのか、気を付ける点など把握できました。詳細はまあ、ビジネス上のノウハウですので伏せさせてください。

部内ではまた違う形の連携です。一つは若手の研修的な狙いがあって、同席者は「あんな風に確認するんですね」「~の形は自分もやってみます」と取材ノウハウ吸収が進んだようです。もう一つは、「産学連携の大物事業なので、私は連携システムの点で取材するのだけれど、技術ネタを見つけに行くというので、いかが」と誘っての同行です。私の産学連携視点での質問のあと、「研究成果での今後の注目はどのへんでしょうね」と聞いたら、「△は論文投稿中で、〇は企業と試作品ができたといっているし、◇はこれからだけど期待できるよ」などネタがザクザク。おおお~、これはすばらしい。産学連携担当の私は、これら全部を丁寧に対応する気にならないけれど、その分野の技術担当の同席記者にしてみれば宝の山。一緒に来たかいがあったねと帰り道に話しました。

連携は、記者によっても、組織をマネジメントする管理職によっても、やり方や重視するポイントが違う。実は上記のほかに、失敗したケースもありました…。「面倒だなあ、自分ひとりでできる範囲でやって、それを越えるものは無視するのがやっぱりいいかな」との気持ちもチラリ。でも! 考えてみると私は産学連携担当ですから、ね。連携は難しい、だけど新たなものはその中から生まれてくる。そのことをよーく知っている。ということで、大変であっても連携の努力をしよう、と思い直しました。今のトライアルを生かして、来年はもっと上手にできることでしょう。

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2016年12月12日 (月)

留学生にもお勧め、「池袋防災館」

休日に東京消防庁の池袋防災館へ行きました。体験型ツアーが日に3回、1回1時間半であるのですが、これがすばらしい内容でした。池袋駅5分なので休日のちょい寄りができることもポイントが高いですね。日本語学校の人たちのグループなど、外国人が大勢、来ていました。地震をはじめ危険に備えるのって、話で聞くより体験で身に付けていくのが有効だと思うのです。私は「これは2年に1度など、再訪してもいいな」と思いましたし、「日本に住み始めた留学生にはぜひ広めたいな」と感じました。

具体的にはツアーには 1.救急体験(AED使用もする) 2.消火対応(水の入った消化器で実際に噴射する) 3.煙の中の避難体験 4.地震の揺れ体験(東日本大震災の震度7も) があります。私は2と4は体験版の経験があったので、初めてものがとくに印象的でした。救急で、「倒れている人がいたら、まずは小さな声で呼びかけ、反応がなければ『だれか来てください!』と周囲に大声で叫ぶ」と係の人が実際にやってくれました。そして「あなたは119番に連絡して。あなたはAEDを探してきてください」と各自に具体的に頼む、といったことに「なるほどー」と関心です。あ、ちなみにマウスツーマウスの人工呼吸は、やらなくてよくなったそうです。5年に1回、消防法の改正があってそうなったとのこと。たしかに慣れていない人は、できそうなことをシッカリやった方がいいですもんね。

煙体験では「腰を低くして移動する」って聞いていましたが、「なんだ、しゃがんだ形から片足ずつ前に出して進むのも問題なくできるじゃん」と実感。そんなことは自宅でもできるのに、やってみてもいないものだなという反省も少々。「非常口の点灯のあるドアを探して」「壁づたいに手を付いて行く」という助言を先にもらっているにもかかわらず、私の前を進んでいた連れはそうでないドアに向かっています。おっと、煙で咳き込むからしゃべっちゃいけないとあったし、まあこれはトライアルだから、と私は連れを「見捨てて」、グループ中もっとも早く脱出したのでした。ほほほ~。

駅ちかの防災館ですが、私は今回、「自宅から自転車で行く」設定としました。防災意識を高めるためにです。本当は、池袋から自宅まで歩くといいのですが、ちょっと負担が大きい。ので、幹線沿いをメーンに「いざという時に歩いて帰れるように、自転車で把握しておく」ことにしました。地図では8キロメートル、自転車で40分という具合だとわかりました。これなら歩けますね。

でも。もしも首都直下型大地震など起こったら、小さい子どもも高齢者もいないことだし、無理して歩いて帰らないと思います。というか、家にはしばらく帰らないつもりです。えっ、記者だからだね、って? そ、そうですね…。第一には、対策が貧相な自宅より、文科省の方がずっと安心だろうと踏んでいるから、なんですけれど。

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2016年12月 4日 (日)

1年前と取材の様子が違って

この秋、取材において「あれ?」と思うことがしばしばありました。私の仕事の仕方の問題です。いずれも独自企画の取材なのですが、一回で完結しなかったり、仲間との調整がずれたり、といったことが発生です。どうしちゃったんだろう?

それで気づきました。私は一年前の文科省主担当という状況から、今は以前と同様の大学・産学連携担当に専任する状態に戻っています。そこで「以前から気になっていたけれど、着手できなかった形の大学取材に取り組む」と企画を手掛けるようになった。かつてと同じ切り口の取材では、ない。だから様子が違っているのだ、ということに。

担当替えがあっても春から夏にかけては、政府の動きや概算取材で比較的、例年通りの展開だった。ノーベル賞までは感じなかった。その後の「さて、これから何をしよう」という思案で、このようなある意味、挑戦をしたから今、そのように感じているのですね。

そう思ったら、急にポジティブな気分になってきました~(笑)。なんだか手間どってご迷惑をおかけした取材先の皆様、社の関係の皆様、申し訳ありません。レベルアップした仕事を模索中ですので、どうぞご容赦くださいませ!

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