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2017年10月

2017年10月30日 (月)

「理系は合理的だから」…って私のこと?

官庁に常駐して取材活動をしていると、年度の上期と下期で忙しさにかなり差が出ます。上期は政府の方針の議論から、固まって、概算要求、と続くため毎年、多忙です。対して下期は余裕が出てきます。上期は電車の中で手にするのは、新聞か、もしくは取材ノート(執筆に備えて記事を思案する)に限られますが、今は本を手にしたりしています。購入するも、半年前から読みかけだったものなど、読み進めました。

例えば「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎)、すばらしいです! 「失敗を悪いことだとする文化では、事例を隠すことに走るだけ。もっと失敗を前向きにとらえよう」って。本当、そうですよね。でもそういう組織文化に…簡単にはできないところが難しいところ。「伝え方が9割」(佐々木圭一)、ベストセラーです、さすが売れるだけのことはあります。何度も同じ内容が出てくる。けど佐々木氏の伝えたいことをシッカリ浸透させるには、この方がいいのだなと思います。「研究不正」(黒木登志夫)は内容が濃いですわ。著者は医学系のベテラン研究者ですが、よくこれだけの事例を集めたと感心します。いずれにせよ選ぶ本は、コミュニケーションを含む仕事関連…かな。

実は先日、ぐさっとささるコメントが。某工業大学の会にて、卒業生の雑誌編集者が、在学生に向けて言ったのです。「理系は皆、合理的だから。もっと広く社会を見た方がいいのに、『そんなの意味ないよ』と思うと反応しない傾向がありますから」って。…それって、私のこと?? 本ももっと違うのを選ぼなくちゃ。やっぱり次はカズオイシグロかな…。 

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2017年10月21日 (土)

自由と孤独は不可分で

大学・産学連携を長く担当しているため、メディア人にしろ文科省役人にしろ、「文教」担当者とも「科技」担当者とも、ばっちり「仲間」となりきれない面があります。早い話が、おしゃべりの話題について行けない。というか、話がわからない。そう、そんなことは今に始まったものではないのですが、「皆と話が盛り上がるかな」と当初、楽しみにしていった場で浮いてしまったため、ちょっと残念だったのです。でも、いいの。だって皆と常に一緒で、がんじがらめになってしまう形を好まないから。人生すべて、私の場合はそう。自由と孤独は不可分なのです。

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2017年10月15日 (日)

「誤報」「認識違い」記事の省内扱い

某中央官庁(文科省ではない)で親しくさせてもらっている課長・課長補佐クラスとの懇親の席がありました。あるシンポジウムの参加者向けの集まりだった関係で、メディア人は私だけ。なので、取材や記事の話題は多くなかったのですが、少ない中で興味深い話が出てきましたので紹介します。

その課長補佐曰く、「記事として一般に情報発信されても、省内では『なかったこと』になるものがある」と。ええっ、それってどういうこと? 聞くと、問題ありの新聞記事は掲載日の朝に即時、担当課が説明文書を省内向けに作成するとのこと。その報告書式には「誤報」とか「認識違い」(だったと思う)とかを選択する欄があるそうです。で、そこに丸が付けられると、省内としてはそんな報道がなかったこととして扱われる、というのです。へ~っ。

となると…、たまに、スクープのような顔をしたすっ飛ばし記事があります。それで何も知らない読者はびっくりし、新聞社の幹部はうっかりその記者を評価してしまう、という可能性があります。抜かれて見える(スクープされて情けない状態のように見える)我々は、「何、あの記事は」っておもしろくないものです。でもそういうものに対し、官庁では「何も起こっていない」って反応だと。というかもちろん、省内公式文書によって(記者名は掲載されるのかどうかは聞いていないけれど)、「△社の記者は、あんな認識違いの記事を堂々と出しちゃって、ねえ」って記事が派手であれば派手であるほど、省内の上から下まで知れ渡ってしまうんですね。「朝からなんでこんな大変な思いをするんだ、って悔しい」(課長補佐)というのも、まあこの形で仕返しをしている感じでしょうか。

そのあとすぐに、「でも山本さんは正確に書いてくれて、助かっていますよ」と続いたので、ほっとしました。だってこの言葉がなければ、「私の記事で話題を呼んだ案件って、どうだったっけ」と過去を振り返り、不安から抜け出せなくなって、宴席が台無しになるところだった…かもしれませんから。

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2017年10月 6日 (金)

ノーベル賞”関連”狂想曲 その1-3

「ゲノム編集ってノーベル賞候補なんですか?」と、科技部ベテランとは思えない発言を、私がしてしまったのは先週頭のこと。「作物でのゲノム編集の原稿を書きたいのですが」とデスクに相談をして、そんな会話になりました。ちょっと以前の取材で、「ニュース記事にはならず、読み物記事だな。仕事に余裕がでたら、書こう」と置いてあったものです。

それが、ノーベル賞候補のテーマなんだ~。そういえば昨年の予定稿で、△記者が書いていたっけ。それで急遽、執筆。先週末の9.29(金)に「ノーベル賞候補ゲノム編集 農林水産分野で成果 阻害遺伝子削除で安全」を携帯となりました。以上が「その1」です。

その2。2(月)のノーベル科学3賞の初日です。本社でスタンバイする私たち。発表まで10分ほどという時点で、元A大学のB先生が受賞、という驚きの連絡が入りました。またたく間に局内に「B先生が決まったって」「日本人です」「ノーベル財団の発表は?」と話が広まって。……ご存じのように実際は外国人で、この話は「ガゼ」とまもなく判明しました。

後に確認された状況はといいますと、これはB先生自宅に張っていた各メディアが同じように振り回されたものでした。自宅から、事務局を名乗る高齢の男性が出てきて、「取ったようだ」と発言。ノーベル財団から一足先に電話が入ったのか、と思いますよねえ? 各メディアともその場で、本社に連絡をしたり、カメラの中継をつなごうとしたり、大盛り上がりになった。けれどそうでないことが判明し、事務局の男性も、自分にもわからないと首をひねった…とか。B先生は出てこなかったみたいです。

その3。5(木)は、6(金)付のノーベル賞まとめ記事が必須の仕事で、それで一区切り。「いやあ、日本人、こなくてよかったねえ」。日本人が当たった時のために取材予定も組んでいないから、「今日はあと、何をしようかな?」という余裕が生じたほどでした。弊社は科学3賞しか対応しないので、前の日までの疲れを感じつつ帰宅。自宅で、文科省からのメールで、カズオ・イシグロ氏の受賞を知り、大臣コメント連絡も入り、「文学賞も文科省の所管だったんだ」と気づきます。映画や舞台で、独特の世界観があると聞いて気にしつつも、氏の作品を手にしていなかったことを反省です。

ところでブログタイトルの”関連”表記。記事執筆でも最近、よく使います。「△」と大々的に歌うと「これ、違うじゃん」といわれそうなので、「△関連」。ちょっとした便利用語として活用しています。

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2017年10月 3日 (火)

コメント利用、どのくらい前の発言なら可?

2017.9.19-22に「競い合う大学」連載を1面に掲載しました。産学連携、指定国立大、地方大学、私立大学の4回連続、前回ブログでお話したものです。ニュースの為に取材してすぐ執筆、というタイプではない読み物記事です。この場合は、話を盛り上げるコメントにどんなものを持ってくるか、が重要になります。記事でいうコメントとは、名前が明記されたカッコ書きの発言、です。名前を伏せて所属・肩書きだけのケースもあり(内容が微妙な時など)ますが、「すごい…あの人がこんなことを言うのか」という面白さがあるので、なるべく名前を出すのが望ましいとされています。

初回の産学連携は、すっごくおもしろいシンポジウムに直前に参加できたのが大正解。「これ、コメントにしよう」と会場においてワクワク。「導入部は東大TLOの山本社長、締めは物質・材料研究機構の橋本理事長かな」と考えるのも楽しい、という状況でした。「このシンポがなかったら、冴えない記事になっていたかも」と思いつつ。

ところが連載の回を重ねて書く中で、総合面デスクから「▽の件はイマイチなのでカットして、それより△の切り口で書けなかな?」と修正のリクエストが出てきました。うーん、△の切り口か…。そうだ、あれでいこう! 「わかりました、今から書き直します」と対応します。従順? そうね、私は自分が納得すれば、指摘した人がうんと年下だとか、どんな相手でも反応する面があるのですよ。もちろん、「それは違いますよ」という譲れない内容なら、上司にも反発するので、一般的な意味での「従順」とは違うかもしれませんが。

それで少し前の取材ノートを引っ張り出して、△の切り口で執筆です。その中で、肩書きを含めて(社会的立ち場が上)魅力的なコメントが出てきました。どうしよう。けっこう前のメモなんだけど。メモを使うかどうかの判断基準は「相手の考えが変わりそうにない内容」「相手がびっくりしないくらい程度の、以前の取材」というところでしょうか。今回は…微妙でした。それで、先方にメールを送付。少し前の案件であることを謝り、利用させてくださいとお願いしたのでした。

それで、ブログタイトル「コメント利用、どのくらい前の発言なら可?」の答えですが、これは「ケースバイケース」と逃げさせてください。だって昆回は相手にメール確認したくらい、つまり相手が「その時期のコメントを使うの?」って思うかどうか、微妙なくらいの時期だったのですから。やっぱり、具体的な時期までブログで話してしまうのは、恥ずかしいんだもん…。

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