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2017年10月15日 (日)

「誤報」「認識違い」記事の省内扱い

某中央官庁(文科省ではない)で親しくさせてもらっている課長・課長補佐クラスとの懇親の席がありました。あるシンポジウムの参加者向けの集まりだった関係で、メディア人は私だけ。なので、取材や記事の話題は多くなかったのですが、少ない中で興味深い話が出てきましたので紹介します。

その課長補佐曰く、「記事として一般に情報発信されても、省内では『なかったこと』になるものがある」と。ええっ、それってどういうこと? 聞くと、問題ありの新聞記事は掲載日の朝に即時、担当課が説明文書を省内向けに作成するとのこと。その報告書式には「誤報」とか「認識違い」(だったと思う)とかを選択する欄があるそうです。で、そこに丸が付けられると、省内としてはそんな報道がなかったこととして扱われる、というのです。へ~っ。

となると…、たまに、スクープのような顔をしたすっ飛ばし記事があります。それで何も知らない読者はびっくりし、新聞社の幹部はうっかりその記者を評価してしまう、という可能性があります。抜かれて見える(スクープされて情けない状態のように見える)我々は、「何、あの記事は」っておもしろくないものです。でもそういうものに対し、官庁では「何も起こっていない」って反応だと。というかもちろん、省内公式文書によって(記者名は掲載されるのかどうかは聞いていないけれど)、「△社の記者は、あんな認識違いの記事を堂々と出しちゃって、ねえ」って記事が派手であれば派手であるほど、省内の上から下まで知れ渡ってしまうんですね。「朝からなんでこんな大変な思いをするんだ、って悔しい」(課長補佐)というのも、まあこの形で仕返しをしている感じでしょうか。

そのあとすぐに、「でも山本さんは正確に書いてくれて、助かっていますよ」と続いたので、ほっとしました。だってこの言葉がなければ、「私の記事で話題を呼んだ案件って、どうだったっけ」と過去を振り返り、不安から抜け出せなくなって、宴席が台無しになるところだった…かもしれませんから。

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