よりよい広報コミュニケーションに向けて
大学・研究機関の広報担当者とのコミュニケーションについては、ケースバイケースも多く、ノウハウを蓄積しつつも悩ましいことが起こります。あまり内々をさらけ出すのはと思ってブログ執筆は悩むところです。が、一年を振り返って、「よりよいコミュニケーションをこれからも目指していきたい」という思いに基づいて、つまり決して悪口列挙ではないとの意図で、経験を書くことにします。
一つは、「これは丸一日、出席して取材しよう!」とわくわくしたシンポジウムでの件です。報道向けの案内メールに、お願いが付いていました。ひっかかったのは、「発表を聴講するのはいいけれど、各発表者に個別インタビューするのはダメ」という内容(そう読める)の不思議な一文でした。取材の案内ということでメールを送っているのに、これはどういうことでしょうか?
幸い、親しい広報だったので電話をしまして、「あまり条件をいろいろ付けてしばると、記者は皆、嫌がりますよ。取材して報道してもらいたいのですよねえ? そうであれば表現を少し工夫した方がよいのではないでしょうか」と伝えました。その結果、修正されたメールが改めて届きまして。当日も口頭で互いに配慮したやりとりをし、よい結果となりました。
もう一つは、「これまでにない苦労」の経験です。詳細は書けませんが、世間的にはかなりの位置にある相手機関・人です。そもそも「早く載せたい、できれば1カ月後となると読者の反応も高いぞ」と動きだした案件なのですが、信じられないくらい時間がかかってしまいました。その理由は広報コミュニケーションの不調でした。そうだなあ、例えば「取材に応じたんだから、謝礼を払ってよ」といわれた、というレベルに近いかなあ。
開始時に加え中盤、再びあまりにひどいと感じたことから、めったにしない強い口調で相手に切り返しました。でも、即座に「すみません、今のは言い過ぎました。…それにしても困りましたねえ。ではこんな形はどうでしょうか」と、なんとか続けました。ブチ切れず、ヒビが入ったくらいで抑えたって感じかしらん(笑)。数カ月かけてどうにかこうにか、記事掲載を完了することができました。
職種が、お客様第一の営業だとか、上のいうことを聞くしかない秘書だとこうはいかない。”不条理”なことをいわれて、涙を流すことがあるんだろうなあと想像しました。でも報道の記者ですからね。そこまでする必要はない、というか、報道の記者として「そこまでするのは、おかしい」という基準があります。「この大事な相手とこの先、関係が断たれてもいい」という判断を、しないことも、ない。でもなるべくならそれは、避けたい、と努力するのです。
よりよいコミュニケーションにつなげたい。それはメディアと広報や研究者でも、メディアと社会とでも、どのつながりであっても、共通する大切な気持ちだと思います。私も。あなたも。来年もがんばりましょう。良いお年をお迎えください。
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