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2018年9月24日 (月)

イタリアで浴衣姿で取材する

遅い夏休みでイタリア旅行に行ってきました。よかったですよ~。20年来の憧れを実現でき、それも予定がてんこ盛りでちょっと無理をしての9月でしたので感激です。感涙、といってもいいくらいです。

7金、午後シンポジウムで「これは!」というネタをゲットして、「出発直前のシンポは悩ましくて、パスろうかと思ったけれど来てよかった」。帰宅後、シャワーと夕食のちスーツケースを持って出発。この日の深夜便ですぐ機内で寝て、現地は午前中から動けるというスケジュールです。いつも身内と海外に行くと、私がプランを立てて「海外は危ないからコレしちゃだめ、アレしちゃだめ」といって母にキレられる(笑)のがパターンです。が、今回は大学で仕事をしている友人らが中心となって企画してくれたものなので、その点でもいつもと違う海外旅行の雰囲気を楽しめました。


帰国はまた深夜便で16日午後に着。17月祝は休養。睡眠は14時間になりましたわ…。仕事のパソコンメールと記事のゲラは、スマホを現地のホテルでWi-Fiにつなぎ、確認していました。18火に出社。休み中に、産学連携のオープンイノベーション機構とOPERAの採択リリースが出ておりました…。一部は仲間が執筆していてくれたので、確認しつつ追加で出稿。まだエンジンがかかっていない中で混乱しつつの執筆でした。それから翌日の協議会年会で興味を持ったセッションの資料をウェブでチェック。学会も最近は、細かな要旨集の冊子でなくてCDとかウエブとかなんですよね。「どこをどう回るか」を思案しました。


20木は「RA(リサーチ・アドミニストレータ―)協議会」に招かれて、神戸国際会議場における年会に出席。「マスコミから見た大学、そしてURA」というセッションでショートプレゼンをするのが主目的でしたが、別のセッションを取材したり、懇親会でネットワークを広げたり、親しい人からネタをもらったり。うーん、大漁です(笑)。21金は出社。3連休前なので紙面作成が通常の二倍あり、必死に原稿を出稿。22土は午後、電気通信大学で非常勤講師で講義を2コマ。23日と24月祝は休養でした。


今週は平日4日で少し少ないのが幸いですが、ノーベル賞の準備があります。29土は電通大で、今度は演習を3コマ。30日は休養。10月の1月、2火、3水とノーベル賞。日本人が受賞したらまたまた大騒ぎ…。いやはや大変です。


いえ、私の体力では「ぎりぎりだな」ってわかっていたんです。だからかなり慎重に行動していました。それでも軽い風邪を神戸行きの前にひいてしまい、「やりとげられるだろうか」とビビりまくり。なんとか昨日今日で「大丈夫そう」と確認できたことから、こうしてブログで披露することができました。だってこのぎりぎりのスケジュールで、迷惑を周囲にかける羽目になったら、ねえ。「えーっ、山本さん、体調不良? 海外10日間で遊びまくっておいて?」といわれる状況だと、こんなふうにブログで打ち明けるわけにはいかなかったですからね…。


イタリアでは、これまた長年の憧れ、「海外で着物姿」をトライしました。夏だから浴衣で簡単。それも日本じゃないから「あら、背中心が背縫いとずれていますよ」なんて、着物通のおばさまに突っ込まれるかという緊張もない(笑)。最終日、ローマでお世話になった某大学教授のご招待で、テヴェレ川に浮かぶセレブが集まるようなおしゃれな船のバーへ。「どうなるかな」と思ってはいたのですが結局、そこでちょっとだけ取材をしました。日本との国際共同研究についての感想などを聞いて、小さいコラムにと計画しています。


今回、船には深紅のロングドレスを着た華やかな女性などがいましたが、「和装だとやっぱりみんな、見るねえ」「現地のドレス姿に負けていない」とおだてられます。それにこれ、考えてみれば映画「ローマの休日」の山場と同じシチュエーションじゃないですか。サンタンジェロ城が見えるテヴェレ川に停泊する船の上でのパーティ。ヒロインの王女様が乱闘騒ぎした現場です。それにヒーローは新聞記者でした。ま、これに張り合えるのは浴衣で取材する私くらいのものではないでしょうか(?)。

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