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2019年12月

2019年12月27日 (金)

一年の自分の記事を振り返る

どうして今までやっていなかったのだろう? というタイトルです。1年の最後のブログに、自分の記事の振り返りをするのって、いいのではないかと気づきました。自分の記録としても後からチェックできるし。「自慢だな」と思った読者は、今回はパスしてもらって構いませんよ~、笑。

まず1面にいった案件から。1月の1面トップ「4法人と総研大、運営統合 大学共同利用機関法人 交付金減少に対応」。これ、面白いと思うのだけど、他メディアがその後もずっと、反応していない案件です。思うに、大学共同利用機関法人のことを科技に近いところにいる人でも、活用している大学人以外はほとんど知らないんだと思います。大学担当記者も、科技担当記者も、知らない。いいんでしょうか、そんなんで。予算減らされますよ。私は来年早々、この関連で次の記事を書きます。独走。ニッチでトップ。というか前だけでなく、後ろにもだれもいない、笑。あら、なんだか最初から調子がいいわね~、私。

3月の1面トップ「産学連携に新制度 新設子会社で共同研究 大学・国研へ収益還元 政府」。これは6月の政府の新年度方針が明らかになってきた頃の正式発表で、いくつかのメディアが書きました。これも引き続きウオッチしています。日本で一人しかいない産学連携担当記者として(笑)、他の人に追随するような訳には参りません! 社内の小ぶりな賞をこれでゲットしました。

6月の1面囲み「国立大に新交付金 民間資金の獲得力評価 内閣府」。これもまたして、他はどこも書かない。大学×科技の全体像がわかる記者は少ないことから、内閣府主導の昨今の大学改革は、私にとってはまりどころです。

11月の1面左上「全国展開で研究・人材育成 豊橋技科大、長岡技科大、高専機構 連携法人、来年度にも設立」。私はこの「大学等連携推進法人」に注目しています。統合と違って高い独立性を持ったまま、上手く使うと、かなりのことができるんじゃないかなと思います。

同じく11月の1面トップ「科技基本法の改正案骨格 技術革新【定義】明確化 VB・起業家も対象 新・予算枠検討」。掲載直後の内閣府のワーキンググループで報告書が出て、間を置いて一般紙の解説やら社説やらが載りました。改正案のうち、これまで同法で「人文科学のみを除く」とされていたのが、今回は対象となるという点の方が、一般紙はお好きです。私も修士号までは「工学」で、博士号は技術経営系つまり人文社会学っぽい内容での「学術」だから、当然、好きです。が、その話はすでに知られていたので、「科技振興だけの法律でなく、個人・社会への恩恵につながるイノベーションの法律に変える」というところで書きました。VB・起業家も対象、って打ち出したのはすごいと思いませんか? これも同じく社内の賞をゲット。1年間に2回、表彰というのは初めてかも! 

続いてウェブ「ニュースイッチ」で反響が高かった案件。すみません、意外と長く書いていますね…。これはヤフーニュースとか、ニューズピックスで日刊工業新聞の読者以外にも広がったものです。まず6月「親が大卒でない学生支援 東工大が給付奨学金」。大学担当をしているため、修士卒が昨今の標準のように思っていましたが、18歳人口の大学への進学率は50%強なんですね。親御さんは大卒でないケースで、の反響は私の予想を遙かに上回っていました。

続く大ヒットは6月「研究機関が悲鳴 ヘリウム調達危機 JAXA、実験変更 東大、産業用の再生検討」。うちの上期の記事でトップクラスの反応だったとか。秋に東大が再生事業で会見をし、数日前には47機関連名のリサイクル推進を求める声明が発表されました。一般紙も大きく書いています。「山本さんの記事がトリガーになったんですよ」と取材先に言われました。

ユニークなところでは10月「院生40人を助手に雇用 青山学院大 文系の研究者育成」。常々、取材対象を広げたい、いつもと違う主語の大学を採り上げたいという気持ちを、私は持っているのです。それで産学連携の展示会で同大に声をかけたところ、産学連携の担当者がなかなかセンスが高くて、フォローも上手で。文系の大学院生などの関心が高かった本記事のほか、データサイエンス教育でも青学の理工学部の動きを書いて。実はもう一本、年越しのネタもあるという広がりになっています。

それから、「投げ出さずによく、がんばったな」と自分で振り返る案件もご紹介。8月「ICT活用 有償に 『学校教材』著作権で新制度 『学生1人当たり』補償金 管理団体が集め資金配分 職務著作の議論きっかけに 適用範囲 合意形成急がれる」。お盆の大作り(解説タイプで記事が大きい)だったので見出しも多いですね。これは、知財で有名な山口大と親しかっため知った案件です。でも中身が難しくて、合計3回くらい話を聞いて、それでも完成に悩むという難物でした。でも、「大学のみならず学校教育すべてで、メールやオンデマンドを使う時は、教材に使う著作権物の権利に対価を払うことに、もうじきなる!!」という話ですからね。音楽著作権のJASRACが、世間の注目をあつめていること、ご存じでしょう? それに近い気がします。山口大関係者の熱意に押されたのもあります。私が書かずしてだれが書く! とがんばりました。

最後は、大学とスポーツです。12月「筑波大、教育と競技両立 箱根駅伝 26年ぶり出場 ”体育”の伝統 関連ビジネスの武器に」に至るまで、かなりのエネルギーを注ぎました。だって私、9科目のうち最も体育が苦手だったから(笑)。今は健康のため少しジョギングする程度です。でも2020年は五輪ですからね。「うちの科学技術部で、だれかスポーツ好きな人、いないの? 記事、だれか書かないの?」と、仲間と押しつけ合ったあげく、これも「しようがない、ここは私が書いてさしあげましょう」。幸い、相手方の産学連携担当者がすばらしくて。「こんな感じで企画を進めたい」というこちらからのリクエストに、手間暇掛けて応えてくれました。次の取り上げは元旦号。うろ覚えですが、いつも宇宙や再生医療に譲っていた元旦号で、立候補したのは近年、なかったことかもしれません。

長々と一年間の自慢、失礼しました。今年は私、12年に一度の幸運期なんですよ。こうして振り返ると確かに、それなりにいい仕事ができたなと感じます。だって30歳代でも40歳代でもないんですからね。定年を意識する世代なのに、これだけ動けたということは、プロフェッショナルとして嬉しく思うのです。来年は…、実はまたちょっと違う計画が進みつつあります。一年後にはご報告ができると思います。頑張りますう~。皆様、一年間、ありがとうございました。よいお年をお迎えください!

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2019年12月20日 (金)

取材先との駆け引きをどこで覚えるか 定年まであと5年

予算関連でばたばたと仲間が動く案件がありました。その時に、先方がちょっと不親切だなと言う状況が出てきて、それについての感じ方が現場でちょっと分かれました。「それ、嘘をついたってことじゃやない?」という反応がありました。これに対して私の意見は、「まあ、居留守を使った、という程度の不親切かな。自宅に売り込みが来た時に、居留守を使うとかってたまには、あるでしょ? 悪質な嘘をついたというのとはちょっと違うと思うよ」というものでした。

取材先との駆け引きとなりましょうか。白黒はっきりしたものではなくて、相手の微妙なニュアンスを読み取って、こちらも出方を思案しての取材になります。こういった訓練をどこで積むか? 一般紙だと入社して全員が、地方支局に配属されて社会部のイロハをたたき込まれるところから、始まるのでしょう。うちみたいな新聞でいうと、企業の各業界担当の記者になって初めて、経験するところだと思います。以前のブログでもちょっと書きましたが昔話を少々。うちが明日、1面トップに書くことを知った取材先企業が、N紙にリークしたとしか思えない展開になったことがあります。スクープではなく、同着になったわけです。私はまだ駆け出しだったので「あの強面の広報が、大慌てでN紙に連絡を入れるくらいのインパクトだってことね!」などと感心しました。が、組んでいた先輩は自宅マンションのドアから朝刊を抜き取って、N紙を玄関に叩き付けたといっていました。「ふざけるなよ、あの広報の野郎!!」ってところです。会社担当でこんなことをずっとやっていると性格が悪くなるし、精神的にきついので、私は会社担当は4年で終わってよかったです。でも記者人生において、会社担当を志願して務めたことは正解だったとも振り返ります。美しい科学技術の世界(?)でしか取材経験がないと、黒い世の中(笑)における高度なコミュニケーションが、身に付かないまま、というわけです。

私はうちの若い記者にも、専門性を高めつつ、幅広く仕事をしてもらいたいと思っています。将来のキャリアの上でどんなチャンスが来て、成長して、さらに未来が広がるかはわからない。だからその可能性を残しておく選択をする。言い方を変えると、多少の無理をしてでもがんばって動いておく、ということです。これは学生向けのキャリア教育で、私が授業で言うところでもあるんですよ。これしかない、とあまり早々に職業を決めない。キャリアチェンジも、背水の陣でしてはいけない。自分が何に向いているかなんて簡単にはわからないもの。健康だとか家庭の事情で変えなくてはいけないこともある。それどころか今やAIが仕事を奪っていくといわれるけど、AIがライバルになるなんてこと、数年までだれも考えていなかったのだから。よくよく考えて、周囲に相談はするけれど、最後は自分で決める。私は社会人になって、転職も局間移動もなかったから、日刊工業新聞の記者として30年となる中で、改めてそう感じています。……実は先頃、誕生日を迎えまして。定年まであと5年という区切りを迎えました。

 

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2019年12月15日 (日)

取材も記事掲載もタイミング

少し前に政府関係のテーマで一面トップを掲載しました。これだけで「あ、あの記事だな」と思う人はほとんどいませんよね、笑。スクープは署名入りではありませんから。でも内容を話すと、取材の裏話があまりにあからさまなので、恐縮ですが記事の中身を伏せたうえでの、報告にさせてください。

皮切りは「この案件、そろそろ議論も固まってくるかなあ~」とまだざっくりとしか考えていなかったころ。この案件も一部、関わってくる、もっと大きな枠組みでのシンポジウムに出席していました。この案件に関わる重要人物が登場。中身を具体的に話してくれました。まだ自分の意識も「固まってくるかな」という低いレベルだったため、最初はぼーっとしていたのです。が、途中で「けっこうおもしろいじゃない」と考え出して、はっと気づきました。「これ、そのまま書ける内容では!?」と。休憩時間に当該人物に挨拶ということでそばに寄って、「この件、いつ頃に本決まりでしょうね」とさりげなく問いかけると「もうすぐ」との返事です。もうすぐ、かあ~。これじゃあ分からない。だって「もうすぐ」というのが「ひと月先」だったら、今書いたところで「本当にこれで決まりなの? まだ議論しているだけじゃないの」と言われてしまうから。タイミング早すぎ、でボツになってしまうかもしれません。

そこでこの内容で以前からやりとりしているAさんに連絡をとり、「来週の会合で報告。これでほぼ決定」とつかみました。来週! 早く書かなくては、他メディアに先に書かれてしまうかもしれないタイミングです。でももうちょっと確認しないと、記事を間違えるんじゃないかと心配です。会合のメーン担当に近いBさんにアタックしました。「今なら時間があるので、会える」といってもらったにもかかわらず、締め切りが迫り、さらにその後に外せない予定がはいっていてる…。タイミングの悪さを残念に思いながら、諦めました。

社内での記事やり取りも一山ありました。ウエブ検索すると、1年前のメディア記事で出てくるじゃないか、と。押し問答の末、「わかりました、別の切り口で書き直します」。別の切り口でも悪くはない。そう、これこそが本命だと読者に思ってもらえるよう、盛り上げるのに頭をひねりました。先のシンポジウムの資料をひっくり返して「これを強調しよう!」と思案します。でもPPTってテキスト文で書かれた資料と異なって、「こういうことでいいんだよね?」と悩む部分がありますよね。ちょっと自信がない。追加取材で確認したいところです。

一方で取材から戻る出先で、Bさんの下のCさんに電話しました。そうしたら電話を受け取った人が「はい、D室(Dの名前と肩書入り)です」というので驚いちゃって。間違えたふりをして電話をオフに。…Cさん、異動だったの忘れてたわ。あ、でも「D」っていったよね? Dさんが後任か、それならイケル。再度かけて、折り返し電話を移動しながら待って、駅のホームの隅でメモノートを広げてやり取りしました。「少し時間をもらえないか」と秘書さんに伝えた面談のリクエストは、難しそうな雰囲気です。ああ、もう時間もないし、ええい! 大筋で「問題ないですよね?」と確認して、あとの盛り上げ・詳細は勘弁してもらって、これで出稿だ!!

報道の記事で新しいことが公になる時、書かれる方は間違えられることを最も嫌がります。ですので「慎重に」「裏をちゃんととって」としばしばいわれます。もちろんその努力を重ねます。でも慎重に慎重を期していると、記事はどんどん削られて、なんの魅力もないどころか、何がニュースかさっぱりわからなくなって、挙句の果ては「誰にも振り向いてもらえない穴埋め記事」になってしまう。それにタイミングを逃すと、例えばこの話なら会合が開かれる前に載せられないと、(他メディアに対する)抜きにはならなくて、苦労は水の泡です。だから、あるところまで来たら、「よし、これで行く」と覚悟を決めて、踏ん切りをつけないといけないのです。そんな仕事なのだと、取材先の皆様にはご理解いただけると嬉しいです。

 

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2019年12月 8日 (日)

私がキューピッド(?)

記者は取材先から、別の方を紹介してもらってさらなる取材に出向くことが、時々あります。そうしたら想像以上にすばらしい人で、キューピッドになってくれた最初の取材先に、感謝感激ということもたまに、あります。1人目の人には、2人目の人の取材によって掲載になった記事のお知らせとともに、お礼を伝えるという流れになります。

これに対して今秋は、2件で「私がキューピッド」となる事例が発生しました。一つは母校A大学で、B学院(研究科に相当)が外部に研究資源を提供するという記事を、B学院のC先生の取材で書いた案件です。前後してA大学の出身研究室で私の指導教員だったD先生(すでに退職)と、別件でやりとりをする中で、「少し前には(同じ研究室出身の)E大学のF先生の記事を書きました」とご報告。D先生、F先生と3人でメールが行きかいました。その中で、F先生が「実は研究の問題で▽▽に悩んでいて」といいまして。D先生も「うーん、僕もそちらにはツテがないなあ」といいます。そこへ私が「私、C先生をご紹介できますよ! 研究資源の提供を始めていて、B学院ならその案件の共同研究相手の先生も探せると思います!」と投げかけました。そしてC先生とF先生をつなぎ、やりとりがあり、「山本さんのおかげで、共同研究ができることになりました」となったのです。ちょっと複雑になりましたが、ここの登場人物はすべて、A大学の出身者なのに、つながっていなかったお二人を、私がつないだというわけです。母校といってもそれなりの規模の大学だと、記者のネットワークの方が役に立つこともあるんですねえ。

もう一つは、Ⅰ大学に取材でお世話になったⅡさん(外部人材の上級職員)からの連絡で、「Ⅲ大学のⅣ理事・副学長が、◇のテーマで相談できる人を探している。私はⅢ大学の手伝いもしているので相談された。でもⅢ大学は文系なので、理系寄りテーマの◇について全然、わからない。山本さんなら人をいろいろ知っていると思って」ときた件です。「Ⅳ理事って面識ないんだけど、紹介して大丈夫かなあ。理事だからそれほどヘンな人ではないと思うけれど。Ⅱさんも一度しか取材していないんだけど、でも取材前のトラブルで機転を利かせてくれて親切な人だったし、大丈夫だよねえ」と思いつつ、2大学の2先生(研究科長クラス)を紹介しました。「私もそれほど親しいわけではないのですが」と説明した上で。その後、Ⅳ理事が2先生とやりとりをして。一人の先生とは意気投合、「他のことでもつながっていきそうです」との報告が来ました。もう一人の先生からは、さらに別の研究者が紹介されて、Ⅳ理事がセッティングしたⅢ大学の勉強会の講師で来てくれ、関連教員とディスカッションができたとのことでした。よかったです。

でもね、私はⅣ理事とはメールと電話でやりとりしただけ。顔を合わせていないし、名刺交換もしていない。それって…、やっぱりまだちょっと、不安です。それで行ってきました。Ⅲ大学の学園祭に。だって文系の大学だから、Ⅳ理事に取材で時間をとってもらっても、ネタは出てこない可能性が高い。でも学園祭に行くのなら、何もなくてもまあいいか、と。結果、Ⅳ理事に屋台の飲食をおごってもらっちゃいました。個性的な大学だとは思っていましたが、こんなにユニークな学園祭とは知らなかった…。感動。改めて来年は週末に、たっぷりの時間をとっていくことにします。

というわけで、どちらも伏字の複雑な話ですみません。記事を通して築いた人脈で、記事とは別の形で相手の役に立つ、そんな形も素敵だなと振り返ったのでした。

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