取材先との駆け引きをどこで覚えるか 定年まであと5年
予算関連でばたばたと仲間が動く案件がありました。その時に、先方がちょっと不親切だなと言う状況が出てきて、それについての感じ方が現場でちょっと分かれました。「それ、嘘をついたってことじゃやない?」という反応がありました。これに対して私の意見は、「まあ、居留守を使った、という程度の不親切かな。自宅に売り込みが来た時に、居留守を使うとかってたまには、あるでしょ? 悪質な嘘をついたというのとはちょっと違うと思うよ」というものでした。
取材先との駆け引きとなりましょうか。白黒はっきりしたものではなくて、相手の微妙なニュアンスを読み取って、こちらも出方を思案しての取材になります。こういった訓練をどこで積むか? 一般紙だと入社して全員が、地方支局に配属されて社会部のイロハをたたき込まれるところから、始まるのでしょう。うちみたいな新聞でいうと、企業の各業界担当の記者になって初めて、経験するところだと思います。以前のブログでもちょっと書きましたが昔話を少々。うちが明日、1面トップに書くことを知った取材先企業が、N紙にリークしたとしか思えない展開になったことがあります。スクープではなく、同着になったわけです。私はまだ駆け出しだったので「あの強面の広報が、大慌てでN紙に連絡を入れるくらいのインパクトだってことね!」などと感心しました。が、組んでいた先輩は自宅マンションのドアから朝刊を抜き取って、N紙を玄関に叩き付けたといっていました。「ふざけるなよ、あの広報の野郎!!」ってところです。会社担当でこんなことをずっとやっていると性格が悪くなるし、精神的にきついので、私は会社担当は4年で終わってよかったです。でも記者人生において、会社担当を志願して務めたことは正解だったとも振り返ります。美しい科学技術の世界(?)でしか取材経験がないと、黒い世の中(笑)における高度なコミュニケーションが、身に付かないまま、というわけです。
私はうちの若い記者にも、専門性を高めつつ、幅広く仕事をしてもらいたいと思っています。将来のキャリアの上でどんなチャンスが来て、成長して、さらに未来が広がるかはわからない。だからその可能性を残しておく選択をする。言い方を変えると、多少の無理をしてでもがんばって動いておく、ということです。これは学生向けのキャリア教育で、私が授業で言うところでもあるんですよ。これしかない、とあまり早々に職業を決めない。キャリアチェンジも、背水の陣でしてはいけない。自分が何に向いているかなんて簡単にはわからないもの。健康だとか家庭の事情で変えなくてはいけないこともある。それどころか今やAIが仕事を奪っていくといわれるけど、AIがライバルになるなんてこと、数年までだれも考えていなかったのだから。よくよく考えて、周囲に相談はするけれど、最後は自分で決める。私は社会人になって、転職も局間移動もなかったから、日刊工業新聞の記者として30年となる中で、改めてそう感じています。……実は先頃、誕生日を迎えまして。定年まであと5年という区切りを迎えました。
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