新型コロナのコミュニケーション
数日前に医科大学トップと話す機会があって、「(新型コロナウイルスの)今回は第二次世界大戦以降、最大の危機だ」との発言にびっくりしました。その後、東京では得意の上意下達(開催国ゆえ五輪に必死だったのも大きい)もあり(検査が十分にされていないとの話も)、「3月27日午前の段階で、日本は感染者1400人、死者50人300人レベル」「同じくイタリアは感染者8万人、死者8000人(1割!)」といった数字を報道で知りました。そして「確かに世界全体では、日本国内の感覚よりずっと厳しいのだな」と振り返りました。また同じトップが、「(移動が全面的に禁止されたときに備えて)研究の細胞や動物、(日持ちのしない)試薬の扱いについて検討している」と言ったのにもびっくりしました。が、その後、小池都知事が「都市封鎖」と発言して1都3県の住民をびびらせたので、そうかそういう話になりつつあったのか、と思いました。
新型コロナウイルスって、なぜそんなに恐ろしいの? って、この点、報道でもあまり明確にしていない気がします。当初は確かに、「どんなものか分からなかった」から、大事をとったというのはあると思います。でもその後は、「世界的に幼い子どもも含めて、若い人は全然、死者が出ていないんだって?」となってきました。日本は学校閉鎖したけれど、まあその時点では若い人への感染・症状がよく分からなかったのもあるんでしょう。でも今の段階となっては、私の感覚からすると「新型コロナって、インフルエンザと同じようなものなんじゃない?」と。少なくともペストとか狂犬病のような致死率ではないようだし。そうそう、死亡率ではなくて致死率というのが、正しく意味するところ、というのも新聞記事での説明で知りました。
なぜそんなに恐ろしいのか、今のところ報道での専門家コメントなど、切れ切れに出てくるものをかき集めて今のところ理解したのは、以下のようなものです。「感染して死亡に至るという致死率では、若い人や健康な人なら問題ない。ただ高齢者や持病を持つ人などは、肺炎を起こして死につながってしまう。新しいウイルスであるため、爆発的な感染拡大になる可能性があって、そうなると病院での対応能力を越えてしまい、手当できるはず人もできなくなって、耐えがたい死が増えてしまう。そうならないようにする必要がある」ということでしょうか。「収まるには多くの人が(軽く)感染して免疫を持つか、ワクチンが実用化されるのを待つか」という専門家のコメントを見て、「きっとインフルエンザが、新たなウイルスとして登場してきた時(いつ頃か?)と同じなのでは」と思った次第です。インフルエンザだって毎年、かなりの数の高齢者らが亡くなっていて、だから国がワクチン接種の支援をしているのでしょう。
となると、今の「緊急の自粛をお願いしていたのに皆、その心持ちが緩んで3連休に出かけたりして問題だ」といった表現や、引き締めのために「都市封鎖」といった言葉で脅すというのは(スーパーの買いだめ騒ぎは、脅しが効いての過剰反応でしょう?)どうかなあと。国民が本当のところを理解できる形での、コミュニケーションになっていないのではないかな、と思うのです。今だと「国が自粛といったので、行楽地やイベントはクローズ。よって皆、出かけなくなる」という結果だしょう。若い人をはじめ「別にかかったって平気でしょ」「自粛は必要ないんじゃない」って思う人もいるわけで。それよりも「健康被害はインフルエンザに似ている。だから若い人は出かけたくなるけれど、インフルエンザと違って生物的・社会的に対応がまだできていない。だから感染者急増で医療機関が対応できなくなったら、大勢が命の危険にさらされる」という表現で、伝えられないかなあ。子どもだって「自分たちは平気でも、自分がウイルスを伝えてしまう可能性があって、それで大好きなおじいちゃん、おばあちゃんも含めて、危険にさらされる人が大勢、出てしまうんだ」と理解できたら、違うと思うのではないかと。コミュニケーションをもっと上手に考えないと、と思うのでした。
と、書いてみましたが、「なにいっているの、山本さん! 新型コロナは▽で◇だから大変なのに決まっているでしょ!」との指摘があったら、直ちに書き直します。本日はもう時間が遅いので、同僚の医療系担当者にこのブログを見てもらいそびれたのだけど、お願いメールしようっと。その結果、まもなくこのブログ、跡形もなくなっていたりして…。
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