« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »

2021年5月

2021年5月30日 (日)

講談社ブルーバックスの威力

Dsc_1485_20210530110101 Dsc_1486_20210530110201 講談社のブルーバックス、理系であれば知らない人はいないほどのブランド力だとは当初から分かっていました。でも宣伝力を含めて私の想像以上でした。思ったより多くの書店で、ブルーバックスの棚が設置されていることを知りました。

写真は青山学院大学の相模原キャンパス(理工学部)の取材帰りの撮影です。駅は橋本ですからね。都心の巨大なターミナル駅という訳ではありません(神奈川件相模原市です)。その駅ビルの啓文堂(中規模のチェーン店だと思う)でさえ、写真のような具合でした。1枚はブルーバックスばかり集めた棚、もう一枚はその目立つ中央に置かれた私の本の段の拡大です。それから広告も大手新聞にはだいたい出すそうで、発売日(2021.5.20)の日経新聞の3面に広告が載り、知人が朝イチのメールで「見ましたよ」と連絡してきてくれたので驚きでした。

皆様、どうぞこの書籍「理系女性の人生設計ガイド」を、手にとってみてください。「まあまあかな」と思ったらぜひ、所属組織や学会の女性活躍推進部署や、お知り合いの女性研究者らにご案内ください。この本の情報を潜在的に求めている人たちに、メッセージを届けたいという思いで一杯なのです。その時に使ってください、殺し文句を。「理系×女性を初めとする、スペシャリストで少数派の人には、社会のリーダーになる40代後半に落とし穴があるそうですよ」と。

| | | コメント (0)

「理系女性の人生設計ガイド」刊行! 

Dsc_1496 理系女性のキャリアの本が刊行になりました!「理系女性の人生設計ガイド 自分を生かす仕事と生き方」です! 帯タイトルは「知っておきたい『理系×女性』ならではの強みと生かし方」です。

講談社ブルーバックスです。中高生リケジョ、学部・修士学生、博士学生・若手研究者、プロフェッショナル組織リーダー(大企業役員、上場VB社長、学長ら)の各キャリア段階において、大事にしておくべきこと、知っておいてほしいことなどを書いています。これぞという話は、日刊工業新聞での取材・記事執筆と重ねての社会への情報発信です。メーンモデルは東北大学・大隅典子副学長・教授(ライフサイエンス)と、東京大学・大島まり教授(機械)で、それぞれの半生振り返りと対談の章で登場しています。講談社からの紹介URLはこちらになります。 共著の形をとっていますが、すべて私が書きました。

3章では私の半生も載せました。最初はお二人だけの予定だったのですが、編集者(同世代元リケジョ)が「山本さんも(理系の学びを別の道に展開した)モデルとして出しましょう」といってくれて、こうなりました。同窓会誌などのインタビューで出たことはありましたが、市場に流通する書籍でなんていうのは、もちろん初めてで、やっぱりこれも嬉しいです。
 
リケジョ応援も重要なテーマですが、56歳の今の私が一番、伝えたいメッセージは、
「理系×女性をはじめとする、スペシャリストで少数派の人は、社会のリーダーになる40代後半の落とし穴に注意が必要です!!」ということです。3章の後半で特に強調しています。この点は人文・社会科学系の研究者や、企業の技術者にも通じる話です。

なぜこのことを強調するかといいますと…。私は50歳の頃にこのことに気づいて”脱皮”することができたのですが、そうでなかったらキャリアの断絶(今の職場・職種からのドロップアウト)になっていた…と振り返るからです。少し前に、東京大学の学内の男女共同参画のシンポジウムでこの話をしたところ、担当の40歳くらいの女性教授は「グサグサと刺さる話ばかりです」と反応し、同じく私より少し年上の女性教授は「講演にあったように私たち女性は、自信を今の2倍くらい、多めに持っていきましょう!」と聴講者に呼びかけてくれました。私はその頃、原稿を出し終えての編集中だったのですが、この時の皆様の反応が後押しとなり、私は「中堅・年長の人にはやはり、これを伝えていかなくては」と思ったという訳です。

先のURLから、この本の「まえがき」や「目次」が見られますので、ぜひご覧ください。こういったアピールに適した手段が用意されているのは、さすが講談社のブルーバックスだと嬉しく思います。

 


 

続きを読む "「理系女性の人生設計ガイド」刊行! "

| | | コメント (0)

2021年5月20日 (木)

記者クラブ幹事、テレワークと美容

今年も記者クラブ幹事の期間に入り、新型コロナ感染症対応で2年目です。科技系の研究発表はコロナを機にほぼすべてオンラインとなり、クラブでの会見がなくなっています。資料配布の類はクラブの窓口のメアドにメールで寄せてもらい、一部だけ印刷して張り出し、あわせてクラブ員にメールするというやり方に変わりました。そのため一昨年までと比べるとうんと楽になっています。これは「シアワセ―」という方です。

省内関係のレク(会見というより、説明の場)と、文科省の外からの会見は、まあ少しあります。一方、昨年から始まったのが「幹事による代表取材」です。大臣のオンライン会議や、大臣への訪問・面談で、以前なら各社それぞれが出向いていた取材です。これが密を避けて幹事だけが出ることになり、他のクラブ員のために写真と、発言の文字起こしテキストを提供しています。弊紙では取り上げない案件(文教や文化、スポーツ)のことが多いので、なるべく避けたいところで、この先も「予定があまり入りませんように」と祈っています。

幹事をしていない社は、「レクに出る」とか「代表取材の写真と、テキストを入手してすぐ出稿する」というケースは、記者クラブ在での対応が必要です。ですがそれ以外は、発表の資料配布がメールでくるため、文科省在でなくてもできます。テレワークに比較的、適した働き方となっているわけです。

最近、テレワークの実態にかかわる記事など目につきます。それによると、テレワーク実施の恩恵にあずかっている人は、働く人の2割程度と出ています。身体を使って人にかかわる相対(あいたい)の仕事、エッセンシャルワーカーと呼ばれる職種は、テレワークとはいかないですからね。テレワーク可は事務職や企画職、コンピューターを使う職などに片寄っているんですね…。私は「テレワークのおかげで心地よく働けるようになって超嬉しい」とブログでも書いていましたが、テレワークをしたくてもできない、大変な仕事の人が多勢だという配慮を忘れてはいけないな、と反省しました。

でも。もうちょっとだけ書かせてください。美容ネタです。ある時に気づくと、目の下のくぼみがなくなって、平らになっているではありませんか。驚きました。いつもずっとあるくぼみだったので、「一時的な疲れによるクマではなく、年齢的にしようがないもの」だと思っていたのです。でもそうではなかった…。10日ほどキープできていることを確かめて今、ブログに書いています。さらに首周りの皺も相当、薄くなってきています。こちらは30歳くらいから気になっていて、「まあ人はだれでも弱みがあるもので、私はこれがその一つなんだな」だなんて納得していたものなのに。テレワークによる時間的余裕、ストレス減、エクササイズ継続。さらに、「働いている人の中ではトップクラスの質の高さ」(と自負するように近年、努力して変えてきた)である【自宅の食事】の比率が高まって。このコロナでの生活革新、1年強で、成果が出てきたということでしょう。美容話なんて本当は恥ずかしいのですが、「こんなに感激したことを伏せておくのは、自分を偽っていることになる」と考えて(笑)書きました。こうして得られた余裕や喜びは、まだまだコロナの中で苦しい人のことを支えるエネルギーに振り替えていかないと、申し訳ないですね。エッセンシャルワーカーの人の大変さを忘れずに、可能な時には手助けをしたり、お礼の声をかけたりするようにしていきたいと思います。

| | | コメント (0)

2021年5月16日 (日)

社会人大学院の博士課程、世にも恐しい話

自宅で資料を片付けていたら、かつて社会人博士学生だったころ、「あそこに入学しなくて本当によかった」と思わせるスゴイ話を聞いた時のメモが出てきました。名を伏せても当時ではとても公にできない話でしたが、B5ノート4ページにわたって書き記していました。10数年を経て復活させます。 記者魂、ここにあり(笑)。まあ、当時の教員はほとんど代替わりしているでしょうから。まるで「関係者の大半が亡くなって、初めて出てくる暴露本」みたいです。

対象はかつて、社会人に大人気だったA大学の大学院(MBAと似ているけれどMBAではない)です。話してくれたのは、渦中にいてそこを辞めて、私のいた大学院の博士課程に入りなおした社会人同世代のBさんでした。社会人向けを大々的に売り出す大学院は、A大学に限らずどこも、新設なので教員の出自はさまざまです。それゆえに大変なバトルがあって研究科がメチャクチャになった…ということのようです。

例えばメーカー出身で工学系博士を持ちながら、社会科学系の学術型の大学院を改めて出た教員は、高度な研究志向を何かにつけて口にします。企業出身ながら海外で博士号を取った教員は、出羽守(米国”では”、欧州”では”を連発する)間違いなしです。元官僚は、企業より肩たたきが早いことから博士号を現役時代にとる事例の一つですが、「学生の人気は高いようだけど、官庁から資金を持ってこないんじゃあ、意味がないよね、と教員仲間に揶揄されている」のだとか。学会賞を受賞した教員も、「あんなのはたいしたことがない」と同僚に軽口をたたかれる(レベルの低い学会だね、といういい方をされる)とか。

きゃああ、これを書くだけでも怖いです。私が思うに、普通の研究科だと、アカデミックの先生は研究第一で、勢力争いに関心がない人も多い。でもこういう分野の新設の研究科は、アカデミック一筋の人が少ない世界なので、「俺にだって主導権がとれる」という勢力争いになり、荒れる。今なら私も、そうわかるようになりました。

教員の仲が悪いのはまあ、時々あることですが、社会人学生の博士号審査にそれが持ち込まれてしまうというのがポイント(恐ろしい話になるポイント)です。普通、博士論文は予備審査が、課程修了(博士号取得による卒業)の半年くらい前にあります。「これじゃ学位は無理でしょ」というレベルの学生は、ここではねられます。つまりここをなんとか、パスするレベルになっていれば、最終審査の公聴会(といっても学外人には公開していない大学が多い)も通るのが一般的です。

そしてその審査員の教員は4人くらいかと思います。私の時は「東京農工大での学術博士(工学博士ではない)はほぼ初めてだから、変な傷を残さないように(少ない教員を山本が適当に言いくるめて学位をもっていった、などとなると後の学生が困るから)多めにしましょう」と指導教員がいって、6人くらいだった覚えがあります。

ところが。A大学のその研究科はすごい方式でした。公聴会の後に15人の教員全員が投票(〇、×、白票)して決めていたというのが驚きです(今はどう変わっているか存じませんが)。予備審査は通っているレベルであっても、公聴会の段階で×が大量に出て、学位不可という例が頻出したというのです。審査を受ける学生の指導教員と、敵対する別の教員が、×を出すわけです。

批判も滅茶苦茶で、「そもそも君は、研究がわかっていない」といわれたりするのだとか。最終審査の段階で、ですよ。予備審査は何だったんですか? と思わざるを得ないではないですか。ほかの部署も経験している事務方も、こんなのは聞いたことがないと驚いていたとか…。

ぐちゃぐちゃの状況は5年ほど続いて、「今は公聴会を通る学生はほとんどいない。C(官庁系独法)から派遣の人は仕方ないから(官庁とのコネ維持の問題があるから)通しているくらいで」とのことでした。なぜこんな状況がまかり通っているかというと、普通の若い学生がいない世界だからかな、と。

修士課程も人気(ブランド力があり、都市部にあり、国立大なので学費が安いということが理由)で学生数は多かったのですが、修士は博士と違ってどこでも、学位授与に厳しくありません。修士の学生は問題なく修了できて、「博士課程の先輩たちはひどい目にあっているな」と思うだけでしょう。ついにこの状況が、学内に知られることになったは、修士も交えた40人の前での発表会で、「君は能力ゼロ」的な直接的な悪口を教員に言われて、泣いて帰った社会人博士学生が、学内コンプライアンス担当窓口にパワハラを訴えたからでした。

博士学生が片端から聞き取り調査に呼ばれました。一人ずつ、担当の副学長ら10人の教員がずらっと並んだ前で、同研究科の教員一人一人の評判を尋ねられたそうです。ある学生は「出張で時間がとれない」というのに粘られて、事務方が(たぶん新幹線到着のJR駅に)出迎えて、聞き取りの開始は夜の10時半。要の場面のことに及ぶと、ずらりの教員が皆、固唾をのんで身を乗り出したとか…。

私は当初、この大学院も入学候補にしていて、Bさんらのゼミに参加したことがあるのです。その時、指導教員の候補と考えていた教員と、考え方が合わないと感じて(私の研究の仮説を強く否定し、思案する雰囲気さえなかった)、学生からの質疑もあまりに攻撃的で、その場で「ここは絶対に入学しないぞ」と判断した過去です。MBAとかビジネスのエグゼクティブは、議論で勝つことを重視しているからですかねえ。普通の理工系修士卒の私には衝撃的でした。

Bさんは「5年在籍して、海外の学会発表も自費で行って、なんやかんやで(国立大なのに)500万円も使ったのに」「山本さんの判断は正しかった」と悔いていました。それで私のいた農工大に入り直した(論文は何本か通っていたので、学位まではあと一息)といういきさつです。あの時、ゼミできつい言葉を私に吐いていたCさんも、同大はもう無理だと、5年くらいの在籍の上、あきらめて、別の大学の博士課程1年に入り直したとの話でした。

私がこのブログ記事で伝えたいのは、「社会人で博士号を目指す人は多いけれど、みんな気楽すぎですよ。修士号は学部の続きで簡単にとれるものだから、たいして調べないで進学する人ばかりで」ということです。普通の大学院でも、かなりの割合で中退(学位を取れずに終わる)になりますし。

基本、博士課程では「研究は、自分一人で進めなくてはいけないもの」なのです。教員は、修士までのように、気を使ってくれないのです。指導教員はサジェスチョンをするだけなのです。博士課程ですから。ましてやA大学のような問題があるようでは、それはとても…(涙)。そういう大学を、そういう先生を選んだということで「本人の責任」といわれてしまう。社会人ですからね…。

こんな恐ろしい内容のブログは久しぶりで、申し訳ありません。でも「社会人の博士課程の大学選びは慎重に」と伝えるうえでは、10数年前のA大学の事例は最適のケーススタディー(MBA系の研究で多用される言葉ですね)だと思いました。ちなみに1年ほど前に、とある筋から声がかかってこの研究科へ取材に行きました。取材相手は40代半ばの先生だったので、「その後に他所から来た先生だろう」と想像しつつ、怖くて当時のことは口にできませんでしたよ~。

別件、先日話していた右手の痛みですが、皆様にご助言いただいて、なるべく使わないようにしていたおかげで治まりました。口コミも含む非公式情報も、公式情報も本当に大切です。情報をがっちり集めて、頭を使って、努力を重ねて、人生を生き抜いていきましょう。

| | | コメント (3)

2021年5月 5日 (水)

右手が痛いのは職業病?

親しい大学の先生が少し前に、右手(手首から手のひら)を痛めたとかで「PCを使いすぎ。クリックもよくない」といっていました。その時は私は「本当かなあ。実験データを扱う分野だといっても、キーパンチャーのように四六時中、タイピングしているわけではないのに」と軽く笑っていました。ところが。私の右手にも痛みが発生しました。ゴールデンウィーク中は比較的、PCに触らずにいたのにそれが治まらない状態になっています。社内の記者仲間のうちトップクラスの働き者(記事の行数が多いという意味。取材の質や原稿の中身は問わない)に比べると、私ごときの行数で「職業病です」といったら、社内で笑われるんだろうな…。先生を笑ったのがいけなかったのかなあ~。

心配です。頑強でないため、この手のことには(この種類のことには、の意味ですが、ダジャレ風になっていますね)気になります。「万一の場合は…記者の仕事がやりにくくなるかも」って。でも近年は、さまざまな障害支援の技術ができていますし、少しお金を出せば、スバラシイ音声入力のソフトなり機器なりがが手に入ることでしょう。これまで少し使ったものは無料ソフトばかりだったから、「あまり正確でなくて、直しが手間なので、使いにくい」だけだったのだと振り返ります。取材時のノートメモから高品質の音声入力を活用するようになれば、今まで以上に楽かもしれない?! まったく心配することはないのかもしれません。

ということで様子をみつつのタイピングです。マウスクリックも左手で試してみています。意外に時間がかかります。でも私は昔から「左手も使えると便利だな」という理由で、コップをはじめどちらでもよいものは、左手で持つようにしていました。合理主義なもので(笑)。両利きになる練習を、本気でやってみますかね?! 

| | | コメント (2)

« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »