光触媒、藤嶋昭・橋本和仁先生との思い出
ノーベル賞週間で、今年は真鍋さんの受賞で物理学賞が日本にとってはハイライトでしたね。ノーベル化学賞では、光触媒の藤嶋昭先生が決まった場合は、私もかなり動くことになっていましたが、受賞ならず。10年ほど前に藤嶋先生が東京理科大学学長になってから、光触媒国際研究センターも新設して毎年、同大で受賞記者会見の可能性を見据えての場が設定されていました。が、それらの仕事を終了して時間がたって(光触媒の研究グループは、再編になって別の学内センターの1ユニットへ)、「中国の上海理工大学に移籍」と9月頭にニュースが出て…。これが同大が支援する最後の年になるでしょう。同様の「在任中にノーベル賞受賞となれば、かっこよかったのですけどね」という思いは、神奈川県科学技術アカデミーも同じ(理事長をしながら、その組織で研究グループを率いていた)形でしょう。 写真は私が書いた過去の記事や、受賞に向けてそろえていた資料です。以下、以前のブログとだぶっている可能性がありますが、自分の気持ちも一区切りとなりますので書かせてください。
私は修士が電気化学系の研究室だったので、学生時代から藤嶋研とつながりがありました。1学生の間のおしゃべりで「藤嶋先生は大学院生時代にネイチャー論文を書いたんだって」と出ましたし、学生交流の「夏の学校」で藤嶋研の学生ともやりとりがあって、その上で約30年前に記者になって、取材でも訪問するようになりました。
一番の思い出は光触媒で新たに見つかった、雑菌やにおい、油汚れの「酸化分解」機能について、いっとう最初に私がニュースにしたということです。当時はすごさが理解されず、記事としては小さい第一報となりました。その後、光分解や超親水性でそれはそれは多くの企業が参入し、製品も多数の実用化に至ったわけですが、最初は1面トップでもなんでもなかったわけです。「本当に画期的なものは他にないものだから、周囲も価値判断を正しくできない。それがイノベーションの本質だ」という思いが、そのころから芽生えた…ということにしておきましょう(笑)。
もう一つのレアな思い出はその取材の時に、「今度、講師に来た橋本くん」と藤嶋先生に紹介された(89年)のが、現内閣府CSTI議員でもある橋本和仁物質・材料研究機構理事長だったことです。ノーベル賞は最も最初の発見を重視するので、もし受賞となる場合は、「本多藤嶋効果」で水から水素を作り出す技術にスポットが当たるはずで、だからその水素製造が実用化されて社会に影響を及ぼすようになった時かなあと想像します。でも光触媒の汚れや菌の分解機能による「日本独自の新産業創出」という点では、藤嶋先生が橋本先生とタッグを組んだことが大きかっただろうと振り返ります。両先生は、パワーとか押しとか声の大きさとかハングリーな面とか、甲乙つけがたい。一方で藤嶋先生は今でも研究・実験が好きだし、橋本先生は研究開発法人や大学のマネジメント改革で存在感が大きく、それぞれの活躍でもあります。
今回、藤嶋先生が中国に軸足を移して研究室・センターを率いるとなって、その驚きはさらに上を行きます。留学生だった教え子とか中国に多いというのは聞いていましたし、きっと大事にしてもらえることでしょう。研究環境にかかわる巨額の資金を、今現在はさほど盛り上がっていない分野のシニアに投入できるのは、ノーベル賞の科学3賞狙いの中国を置いて他にないことでしょう。その上でやはり、すごいのは藤嶋先生が「79歳で国を変えての新天地に乗り出す」姿勢です。その衰えぬパワーを、新天地で存分に発揮していってくださいね。
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