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2024年1月21日 (日)

祝1000記事! 芸大・日比野克彦学長が語るJ-PEAKSと、理工系強化の5大学まとめ

本記事でブログ記事1000本となりました! 1本目はいつか? とさかのぼってみると、2006年8月17日と出てきました。17年半前です。もちろん年齢を数え直しました。42歳と計算できました。社会人学生として博士課程の真っ最中の頃です。すごいです。17年かあ~。

大学の周年事業は、100年超でいうと110年とか、125年とか、150年とかいろいろあります。別に決まりはなくて、「勝手に自分たちで設定したお祝い年」のようです。とはいえ100とか1000とかなら、やっぱり誰もが認める区切りですよね。「ブログアップがこの数に迫っている」と少し前まで気づかなかったので、見過ごさずにすんでヨカッタ、という気分です。お祝いでもないけど何かしますかねえ。大学と同様、寄付集めかな? これを読んでいる皆様から一律、100万円の寄付をいただくとか、どうでしょうか(笑)。

この記念すべきタイミングに紹介する記事は2本です。
1.東京芸大、地域中核・特色大学の事業(J-PEAKS)採択の内容紹介です。写真は芸大の正門付近。夕刻でもあり素敵ですね。美術や音楽でのキャリア発展を夢見る、若い人の憧れの象徴としてぴったりです。Dsc_1180

J-PEAKSはいくつか取材を申し込むも、学長が出てきてくれるケースは意外に少なくて。どの大学にとっても最重要の公募事業のはずなのに、と意外でした。まあ実務トップとして一番、よくわかっている理事が対応してくれているのだ、とは思うのですが。

その中で、ポップアートの旗手として、私が学生時代だった時から一般社会で有名だった日比野克彦学長が、取材に出てきてくれた(アポもすぐに入った)のです。ミーハー的な意味でも嬉しかった、かな(と恥じらってみます、笑)。以前、国大協の懇親会(メディアにも開放してくれて、どの学長とコミュニケーションするか、よだれを垂らしながら回って歩いた)で、名刺交換をしていただけでした。当時は「取材に行くことはないだろう」と思って。「有名人だからって尻尾を振るのはみっともない」といきがっていた?気もします。

今回、私が感激したのは、日比野学長は手元にメモを持つ様子もないのに、私の名前と新聞の名前をきちんと口にしてくれたことです。新聞名なんてしばしば間違えられるのに。理工系で弊紙になじんでいるわけでもないのに。「やっぱり相手の名前はちゃんと覚えて、固有名詞で呼びかけるのが大事だなあ。私もきちんと覚えよう」と自身を振り返りました。

取材の中身はまあ、わかったようなわからないような。アート×科学技術ですからね、スンナリわかるはずはありません。ただ、また時々に、成果を聞きに取材に行ってみたいなと思いました。記事はこちらから。

2.文科省の理工系強化の事業採択、5大学のまとめの新年企画です。ハイレベル枠の国立大や芝浦工大は、取材先としてまあ定番の相手です。対して、共愛学園前橋国際大学と京都光華女子大学に迷った末、アタックしたのはよかったな、と振り返りました。記事検索したところ何回かは紙面に登場していますが、私は取材が初めてでした。

文系大学の理系転換という高いハードルを、高評価を得た大学はどのように越えようとしているのか? 私自身、興味深くうかがいましたし、読者にとっても価値ある記事になったのではないかと思います。記事はこちらから。

さて。「次は、ブログ記事2000本に向けて」。大学の周年ものであれば、このように掲げるところです。どうして参りましょうかねえ。まだ先ですが一つ思案するのは、いずれ働き方を変えることになったら、どのようにブログをシフトしようかということです。前半1000本のように「17年間、この先も日刊工業の記者でいる」ことはさすがにない(笑)からです。ブログタイトルを変えて書き続けるとか。いややっぱり、中身は変わったとしてもタイトルはキープしていくとか。転換の時点はわかりませんが、そんな思いを巡らせています。

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